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 目の前に置かれたティーカップは紅茶で満たされていた。柔らかな香りが湯気とともに立ち上ってくる様は本物のようにしか目に映らない。

 試しに飲んでみようかと考えたが、ふと、死者の国のものを口にしたら現世に戻れなくなる黄泉戸喫(よもつへぐい)の話を思いついた加代は出しかけた手を脚の上で重ねなおす。

 その動作を見て加代の危惧を察したのかカヨはくすりと笑い、「大丈夫よ」と言ってから自身の分の紅茶を飲んでみせた。


「ね? わたしがわたしに危害を加える理由はないわ」

「……それじゃあ」


 ここまでされたら、飲むなという方が無理だ。意を決してカップを傾けた加代は、口に含んだ途端に広がった紅茶の旨味と芳醇な香りに目を見張った。


「美味しい……」


 思わず溢れた言葉にカヨは目を細める。それから何度か傾けたカップを加代がソーサーに戻すのを待ってから、カヨは「さっき、わたしはパラレルワールドから来たって言ったのは覚えてる?」と口を開いた。本題に入った気配を察した加代は、姿勢を整えながらしっかりと頷く。


「わたしの世界線ではね、地球は隕石の衝突で壊滅したのよ」

「隕石……」


 脳裏に焼き付いたばかりの人々の阿鼻叫喚、空を埋めた巨大な土塊の絵図がフラッシュバックする。


「それも巨大なね。他の世界線でも地球が壊滅した理由は少々の違いこそあれ、隕石の衝突だった。あ、でも数の少ないイレギュラーだったけど核戦争、地球規模での自然災害なんてのもあったわね。……それぞれ共通点なんてないように見えるけど、実はあるのよ」

「なんなの、共通点って」


 質した加代だったが返す刀で、なんだと思うと逆に問うような視線を向けられる。検討などつくわけもない。謎の焦燥に駆られた加代は目の前のカヨの存在に押されて、「わたし?」とやぶれかぶれの半信半疑で答えてみた。

 するとカヨはあっさり「当たり」と口にして、「うっそ⁉︎」と加代が柄にないリアクションを取る羽目になった。


「本当のことよ」


 至極真面目な表情で頷いたカヨが嘘を言っているようには見えなかった。


「共通するのは今井加代という強い感応の力を持つ少女の存在と、死にたくない、こんな結末は嫌だと叫ぶ人々の集合的無意識の後押しが世界を救うためにあちこちの世界線に跳ぶ今のわたしを創ったの。

 だけど、何回前からかしらね。たまにしかないはずの異物(イレギュラー)本質(レギュラー)になり始めたのは……」


 顔を曇らせたカヨはため息を吐くと、どうしようもなかったという風にうな垂れた頭をテーブルに肘をついた手で支えた。

 壮大な話で喉が渇いていたが、カップの中ですっかり冷めてしまっているのを見た加代は結局、手を伸ばさずにカヨの話に耳を傾け直す。


「ある時から隕石が得体の知れない何かに変わったわ。初めは宇宙から飛来した巨大な立方体の物体が無機物的に地球を侵食したわ。その何度か後の地球では似たような立方体の中から出てきた機械兵の侵略で地球の文明は途絶えた。

 そして、あなたの世界線では明確な意思を持った人類が外宇宙から攻め込んできたわ。––あなたも一人は知っているのよ?」

「私が、知っている? 誰?」


 よほど怪訝そうな顔でもしていたのかどうかは不明だが、カヨが付け加えた言葉で加代が衝撃を受けたのは確かだった。


「沙耶よ」


 沙耶と聞いて思い浮かぶのは病院で出会った不思議な雰囲気をまとっていた少女だ。貸した本を楽しそうに読む姿や、共に退院した際に食べた至極美味そう姿を瞼裏に写した加代は、「あの沙耶が……?」と応えると、


「じゃあ、沙耶は今どうしてるの?」

「死んだわ。一方的な侵略を企てている仲間に反抗した末に」


 そっけなく告げながらも、その顛末も付け加えたのは加代の心中を察してのことだったのだろうか。真意を探る余裕はなく、ただ沙耶が死んでいた事実が加代の思考を麻痺させかけるが、カヨの話が再度始まったので加代は切り替えなければならなかった。


「辿った地球(ほし)の記憶から推測するに、彼らは過去に地球から去った人類ね。どうやら紆余曲折の末に戻ってきたみたい。だけど……」

「だけど?」

「他の世界線の過去の歴史に人類が外宇宙に逃れたなんて事実はなかったわ。歴史がここまで大きく変化するなんて、これは明らかな異常事態よ」

「えっと……ちょっと待って。全部を理解できた自信はないけど、聞いた感じ、状況がどんどん悪化してはいない?」


 シワの寄った眉間を人差し指で押さえながら待ったをかけた加代は、咀嚼半ばの情報の中で生まれた疑念を訊ねる。否定を願う思いも虚しく、カヨは多弁で渇いた喉を紅茶で湿らせてから「してるわ」とあっさり応じた。


「要因として考えられるのは、わたしでしょうね……」

「あなたが? どうして……あなたは世界を救うために在るんじゃないの?」

「そうよ、わたしは世界を救うための存在」

「なら……!」


 カヨが自分の所為といえば、まるで加代自身の所為でもあるかのように思えてくる。焦れた加代が真実を引き出そうとすると、カヨが声を荒げて言った。


「わたしが関われば関わるほど、わたしは世界を捻じ曲げているのよ!」


 胸の内に溜め込んでいたものが堪らず噴出したようだった。激昂したカヨの剣幕に気圧され、思わず身を引いたが、椅子の背に阻まれた加代はそろそろとカヨを正面に見つめた。

 いかり肩を落とすと、打って変わって音もなく湧いてくる清浄な水のように静かになったカヨは「ごめんなさい」と一言謝罪してから再び口を開いた。


「……わたしは世界線を渡ってはその世界に干渉をしてきた。そこまでは言ったわよね?」

「……ええ」

「言い残したけれど、わたしは救済に失敗する度にその世界のわたしを掬い上げてきたわ。掬い上げたわたしは、核となるわたしという"個"の上に、新たなわたしの"個"を重ねていった。

 干渉して失敗してはそうした"わたし"の重ね掛けをして感応の力を蓄えていった。感応の力が増えれば世界を改変する力も変わるから。でも、まるで対抗するかのように災厄も力をつけていく。……端から見ればただのいたちごっこね」

「干渉をやめることはできないの?」

「できたらしていたかもしれないわね。でも無理。災厄の力が増幅した原因はおそらく、因果の重複とそれによる世界の捻れ。今の世界はね、何度も何度も同じところを玉留めした糸みたいになってるのよ。

 膨れ上がった玉留めの部分で数え切れないくらいの数の糸が結び合ってる中で、一本だけを抜き取るなんてできないでしょう?離れようにも離れられない……。因果の重複に至っては、わたしが世界線こそ違え、同じ存在が関わり続けているから余計にこじれてしまっているのかも」


 自嘲じみた苦笑を表情に薄く貼りつけたカヨは、そのまま背中を椅子の背に預けた。項垂れる様子はなかったが、加代は疲れているんだなと感じとった後で、当たり前かと思い直す。

 超常の力を身につけたとしても所詮、人間は人間でしかない。惨劇などという安い言葉では補完しきれなきほどの有様を何度も何度も見てきた末に得た答えが、世界を救わんとする自らの行ないが世界の惨状を増長させていたなんて誰が想像しよう。

 悲しいだろう。悔しいだろう。いっそ救済など止めてしまいたいだろう。それでも絡まった因果と、自分にしかできないことが生む使命感がそれを許さない。止めることは元よりできないのだ。

 それでも––。


「それでも……救おうとした破滅を見つめ続けて、世界もあなたも救われないなんて、悲しすぎる」


 居た堪れない思いが胸の内を吐き出させていた。カヨは下げていた顔を心持ち上げると、驚いたように見開いた目で加代を見つめた。

 その視線に多少の居心地の悪さを感じた加代は、「だって、そうでしょう?」と同意を求めるように問う。するとカヨは俯けていた顔を今度はしっかりと上げて、視線を加代のそれと絡ませた。


「そうね、私が更なる破滅を招いてしまっていることは悲しいし、悔しい。本来なら救ける立場にいるのだからなおさら……けど、進むしか道がないことも事実なの。因果的にも、私個人としても、ね」


 感情を多分に滲ませた言葉に、抗弁ができるはずもなく、今度こそ加代は俯いて黙りこくるしかなくなった。胸の高さまでカップをソーサーごと持ち上げたカヨは、紅茶が小さく波だてているであろうカップの中を見つめながら、「ねえ、加代。これはあくまで提案で、私からのお誘い。受諾するも、拒否するも、あなたが自由に選べるわ」と前置きをしてから、


「私と一緒に来てくれない?」


 と訊いてきた。

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