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 意識が目覚めると、そこは暗闇だった。加代は本能的に周囲を探ろうとしたが、なぜだか四肢に力が入らず、思うように動かせない。そこに在る感触はあるのに、意思の通りに動かない恐怖は四肢が無い時よりも勝る。時さえも止まったかのような窒息に囚われた加代は、思考がまとめる端からほどけていくの知覚する。

 とにかく光を。助かる方法を。先走る思いが思惟の氾濫を招いた。闇の中で、ついさっき見たばかりの光が爆ぜる。眩ゆい光は闇を打ち消しながら、神経系に似た形に伸びていく。


 ***


(お母さん! お母さん!)

(嫌ああああああ‼︎‼︎)

(凛! どこ⁉︎ 凛‼︎)

(死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……)


 泣き叫ぶ声に、我が子を探す声、虚ろに同じ言葉を繰り返す声が、硬直した頭蓋を揺らす。混沌––人々が狂気の色に染まりつつある最中での混乱の様は、もはや混沌と言えた––の中は色んな声で溢れていた。

 誰もが互いを見ていなかった。ただ一分一秒でも死から遠ざかろうする彼らの意思を駆り立てるのは事象への畏怖か、はたまた、事象によってもたらされる死という結果への畏怖か。

 ただ、恐怖というノイズに阻害され、彼らの真意を汲み取ることができなかった加代は、彼らを追い詰める事象を見上げた。

 青いはずの空を赤黒く染め上げ、視界いっぱいに広がっている巨大な岩。裂かれる大気がびりびりと震える音が鼓膜を刺激することで死の感覚が如実に膨らんでくる。

 死の感覚は恐怖を呼び、心を支配した恐怖は思考を空回りさせる。事実、加代は空にある巨大な岩が隕石であると脳が理解するまでに数秒を要した。

 逃げなければ。でもどこへ?

 思考が際から空白に塗りつぶされていく、刹那。目が眩むまでの閃光が上空で起こった。凄まじいまでの強風が一拍遅れて地上を舐める。暴風に奏上した轟音に、聴覚が捉える音は次第に甲高い高周波になっていき––––。



 ***


(来たね)


 眩い光を背にした影が言う。隕石飛来という災害の渦中にいたはずの我が身が、今度は上下左右、奥行きさえも分からない"空間"の中に置かれているのを加代は視る(、、)。今の加代には身体はなく、ただ意識だけがそこに在った。

 影と正対する視点が交わり、複数の視点を重ねて視るという知覚の仕方に戸惑い、不自然さを感じたのは最初の一瞬だけですぐに慣れた。だからなのかは判然としないが、光も闇もない空間の中で眩しさを感じる奇妙さも、今の加代には大したことに映らないのもまた事実だった。


「あなたは……」

(どうやら覚えているようだね)

「思い出したのはたった今。それまでは夢を見たことすら忘れてた」


 加代の返答に影が微笑むのを知覚する。声は前に対話した時よりも明瞭に聞こえた。


(では、さっそくになるけれど本題に入ろうか)


 そう言う影に話のペースを持っていかれる気配を察した加代は、「待って」と反射的に口を挟んでしまったが特に続ける言葉も思い浮かばず、結果として「わたしの身体をちょうだい」と、ともすれば素っ頓狂なことを口にしていた。


「わたしはあなたに一方的に呼ばれた側だし、どうせ話すならお互いに顔を見て話したい」


 影のきょとんとした気配を察した加代がまくし立てるように一気に言うと、


(身体……そうだね。どうせならそうしよう。少し時間を貰うよ)


 あっさりと影は了承した。相手側の身体の召喚は拒否されるとばかり思っていた加代は少々面を食らう。ともかく影が要求を飲んでくれたことにありがとうと言おうとしたところで、図ったように加代の肉体が空間に現れると、即座に加代の意識は現れた肉体に注がれた。

 意識体では意識の網が空間内に際限なく広がっているように感じていたが、肉体に戻るや加代が出迎えたのは窮屈な入れ物に無理矢理押し込められる感触だった。


「きっつ……」

「ふふ、最初はそんなものよ」


 声に触れた耳がくすぐったさに襲われる。脳に響くようだった"声"が鼓膜を震わせる声に変わったのだ。相手も実体化したのだろうか。

 声の主はどんな存在なのか。好奇心の後押しを受けて顔を上げた加代は、その顔を見て絶句した。


「驚くよね。わたしはカヨ。はじめまして、今井加代さん」

「な……わたし……?」


 ワンピースの裾を摘んで軽いお辞儀をしてみせた声の主––カヨの容姿は、まさしく加代と瓜二つであった。

 加代が制服姿なのに対し、カヨは薄い光を放つ白のワンピースを着ている。そっと添えられた微笑みと相まって、その姿は穢れを寄せつけない神聖さすら感じさせる。


「そ、あなたはわたしでわたしはあなた……って、これじゃ下手な新興宗教みたいね」


 心なしか、少女らしい口調になったカヨは一人勝手に笑いながら、開いていた距離を歩いて詰め、ほんの目の前まで来ると、ごく自然に加代の手を取った。触れた端からぶしつけに流れ込んでくる温もりは、少しこそばゆい。


「あなたに手伝って欲しいことがあるの」

「手伝うって、なにを」

「世界の救済」


 カヨはこともなげに言ってのける。は?というのが最初に浮かんだ言葉だった。それから、世界平和という言葉を咀嚼しながら、どういうことなのだろうと考え始めるが、


「考えたところで分からないでしょう。手始めに説明すると、わたしは別の世界線から来たあなたなの」

「別の世界線……それって、パラレルワールドってこと?」

「パラレルワールド、そうね。その方が分かりやすいかも」


 カヨが指を鳴らすと、ザッピングのように空間が揺らぎ、チリチリとノイズに似た音が耳元で聞こえる。


「うわっ」


 瞼を閉じて開けるだけの一秒にも満たない瞬きの間に、空間に草原と空が現れた。いや、構築されたと表現した方が正しいか。間の抜けた声を出してしまったことを恥じる気持ちは働かなかった。腰を落とした加代は、草を撫でてみた。掌に草の先端が触れる柔らかな、しかし確かな感触が返ってくる。


「不思議? ここではわたしの意思で全てが変わるの。まあ、明晰夢みたいなものと考えて」


 カヨが更に指を鳴らすと、今度はパラソルとテーブルがひとつ、そして椅子が二脚現れた。テーブルの上にはティーセットと、サンドイッチや焼き菓子が乗せられた三段からなるケーキスタンドが置かれており、さながら英国のティータイムの風景がそこだけ切り貼りされたかのようだった。

 戸惑いつつも、慣れた様子で椅子を引いて座るカヨの見よう見まねで加代も椅子に収まる。


「さて……どこから話しましょうか」


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