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 平塚慧悟と名乗った影の人物はやはり、国防隊員のようだった。平塚の差し出した手を有り難く取って、加代と奏は立ち上がる。その際にかき混ぜられた空気が、平塚の全身から湧き立つ血と硝煙の臭いを運んで鼻腔に絡み、吐き気を起こさせる。


「なぜ、殺したんです」


 お礼を言おうとしたはずの加代の口から、意思とは別に本音が溢れる。

 問われた平塚は身を固めたのも一瞬、「仕方がなかった」とため息とともに返す。


「理由もなしに殺すなんて......」

「司令が許可した。自分とて嬉々として仲間を撃っているわけではない」

「嬉々としてって、そんなことは言ってませんよ」

「そうか。会話の途中で悪いが移動を開始したい。今は時間が惜しい」


 会話を打ちきった平塚は、倒れている国防隊員の前にしゃがんで両手を合わせてからなにやら装備をまさぐって予備弾倉らしきものを頂戴する。その表情はうかがいしれなかったが、人を殺し、その持ち物を漁る行為は、佳代に少なからない嫌悪感をもたらした。


「君たちも来い」


 予備弾倉を腰のベルトに挟め、一応の装備確認も済ませたらしい平塚が小走りを始めながら言う。咄嗟に追いかける加代と奏。


「うちらも......?」

「どこに行くんです」


 それまで黙っていた奏が口を開いた。見ると、瞳は揺れ、唇も震えていた。


「整備倉庫だ。そこに車両も自分の乗機もある。自衛の術もない国民をむざむざ見捨てるなんてこと、できはしない」

「ほんなら! うちの家族も――ううん、他に避難してきた人のことも助けて! みんなきっと、どうしたらええんか分からなくなってる」


 涙をたたえた奏が訴えたが、「ダメだ」と平塚が即座に訴えを取り下げる。


「上空から響いた最初の爆発音、それからほどなくして正気を無くして、互いを殴り、絞め、刺し、撃ち始める奴らが出てきた。狂気に取りつかれたように」


 脚を動かし、説明の口を開きながらも、平塚は時折周囲に監視の目を走らせることも忘れない。


「国防隊員だけに起きたことじゃない、一般人もだ。俺たちみたいに正常な判断ができるやつもいるにはいたが、狂人になった連中の数の方が圧倒的に多いから結果はお察し、殺されてたよ」

「そんな……!」


 膝から崩れかけた奏を加代が支える。平塚はちらと惻隠の目を奏に向けるのを見た加代は、こんな無神経な人にも人の心はあるのだと状況そっちのけで関心する。


「避難所に行くのは死にに行くようなものだ。心配だろうが、今は逃げるしかない」


 そう続けた平塚は、建物の角に至った所で立ち止まり、加代たちに手で止まれというサインを出した。

 半分ほど顔を出して向こう側の様子を伺う平塚。加代は握る手から力が弱くなってきている奏を振り返った。


「奏……」

「……なんでこんなことになってしまったんかね。うちら悪いことしとらんのに」


 表情といえば笑顔が即座に浮かぶ奏の端麗な顔が、この時はくしゃくしゃになっていた。つられたのか、目頭と鼻の奥がツンと熱くなるのを加代は感じる。

 なぜ自分たちが、奏が苦しまなければいけないのだろう。私たちはただ明日という近しい未来のために生きていただけなのに。これが宇宙人の仕業だというのなら、なんて酷い……


「まずいな」


 平塚の呟きで、瞼を閉じて広げていた思考が寸断される。目に溜まっていた涙が溢れないよう、一度強く瞑ってから加代は状況に立ち直った。


「どうしたんです」


 問うと、「角から頭を出して見てみろ。そっとだ」といって平塚が立ち位置を変えさせる。

 加代は建物の角にほど近い場所に移動すると、言われた通りにそっと覗いて、息を呑んだ。


「あんなに人が……」


 しかも皆が違わず狂乱に呑まれている。これを突破するのは至難の技であることは、素人目にも明らかだ。身を建物の影に戻すと、平塚が口を開いた。


「正直あの数を突破するのは難しい。だが、やりようはある」

「なにか手伝えることがあるなら、言ってください」


 人––それも同じ地球人であり、同じ日本人を殺すことは堪え難い。だが堪え難さで自分たちが助かる道を閉ざす、と言うのは更に度し難い。

 助かるために他人を殺す。手前勝手も過ぎる考えだ。そう承知した上で加代は平塚の目を真っ直ぐに見据えた。

 せめて奏を生かしたい。自分という人間を正面から受け止めてくれていた奏に生きていてもらいたい。そう叫ぶ心に従い、加代は平塚に指示を仰ぐ。


「……俺が突っ込んで銃を撃つ。奴らは音に過敏のようだ、発砲の音で俺が引きつけている間に君は友達と一緒に倉庫まで走れ。倉庫に入ったら奥から二番目、右手側に俺の特車があるからコックピットに収まってろ」

「平塚さんは?まさかとは思いますけど……」

「それはない」


 先回りした平塚が否定する。平塚は唐突に屈むと(くるぶし)の辺りに引っ付けていたものを取り、加代に手渡した。見ずともその重さ、立ち昇る機械油の臭いから察した。小型の自動拳銃だ。


「コックピットに収まったらこの拳銃を撃て。それを合図に俺も特車に向かう」


 初めて手にした純粋な人殺しの道具に慄きながらも、加代はしっかりと頷く。自身も顎を少し引くほどの頷きを返すと、拳銃のセーフティの外し方と撃ち方のひどく簡単なレクチャーを加代に施した。


「じゃあ、手筈通りに頼む……えっと」

「加代です。今井加代」


 飛び出そうとして言葉に詰まった平塚に、加代が答える。


「頼むぞ、加代」


 名を聞くなりそう言い残した平塚は建物の影から飛び出して、疾風の如く駆けていく。ほどなくして響き始めた銃声に強張った全身の筋肉を、深呼吸してなだめてやる。


「加代、本当に行くん……?」


 おずおずと奏が問うてくる。その姿を真正面に捉え直した加代は拳銃を持っていない手で奏の頰をそっと撫でた。


「私は奏に生きてて欲しい。傲慢だって分かってるけど、生きて一緒に笑っていて欲しいんだよ」


 奏の家族を救ってやらないことに対する罪悪感がないわけがない。むしろ、あり過ぎてどうにかなってしまいそうだ。

 だが現状助けられるという保証がなく、自分たちだけでも逃げられる可能性があるのならば、そちらを選択した方が利口だろう。

 それに加代は、この場で正常な意識を保てている人間は自分を含めて平塚と奏の三人だけだという妙な確信があった。それは火柱を見た直後に得た確信とどこか似通っていて加代にとって気持ちのいいものではなかったが。

 そんな加代の心情をどれだけ理解しているのだろう。奏は自分の傲慢を羅列した加代から目を逸らしたのも束の間、「分かった。急がんとね」と呟いた。


「ありがとう。ごめんね」


 自分の家族を置いて逃げる。その行為の決断にどれだけの呵責があったことか。ただ謝ることしかできない自分の不甲斐なさを改めて自覚した加代は、次の瞬間には奏とともに倉庫へと駆けていた。

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