15
——時は少し巻き戻り、《リンドブルム》が地球に散布される以前。
「なんだその口の利き方は!」
開け放たれた窓から怒声が風に乗ってやってくる。上官の声ではなく、同期の隊員たちの声でもない。なまじ声を張ったこともないのだろう声は恐らく、避難してきた民間人のものだ。またか——。
頭の片隅でそんなことを考えながら平塚は、兵舎の廊下の中ほどの窓のサッシに腕を乗せて寄りかかっていた。
咥えている煙草から伸びる紫煙が二筋、三筋と分かれ、薄らいでいく。戯れるように絡み合っては離れていく紫煙の群れを何となしに見送っていると、「喫煙は喫煙所で、だろう? マナーのなってないやつだな」と聞き慣れた声が頭を小突いた。
振り返るとやはり居たのは同期の宗治だった。
「うっせえ」
茶化しているだけと分かっている平塚は、それ以上の言葉を封じて、胸ポケットから取り出した煙草の箱と百円ライターを宗治の方に放った。宗治は同時に放られたそれらを受け止めると、
「おやおや。良いのかい、ご相伴に預かって」
「ぬかせ」
つれないねえ、と肩をすくめてみせる宗治を無視しておざなりになっていた煙草を吹かすことに専念しようとするが、煙草はもう半分以上が灰になってしまっていた。
フィルターばかりになった煙草を携帯灰皿に押し付けた平塚は、煙草を吹かし始めた宗治から道具を取り返し、新しい煙草に火を点けた。
「そういや。おれの《八九式》の整備、終わったか?」
「ああ、あれ? まだ」
「はあ⁉︎」
約束と違う、と怒鳴りかける一瞬前に宗治は「冗談」と言ってクスクスと肩を揺らす。
「はあ⁉︎」
飲み込んだはずの怒鳴りは結局怒鳴り声として発せられる。口に出さずとも、単純なやつと書いてある顔の口元にまだ笑いを引きずっている宗治が口を開く。
「だから、ちゃんと終わらせたって。《六四式》の整備で手一杯だったし、なかなか大変だったんだよ? 鬼爺さんを別なとこの作業に呼んだりしてさ」
「それについてはすまん、面倒をかけた」
宗治は隣の窓を開けると平塚と同じように、サッシに腕を置きながら外に向かって紫煙を吐く。
「なんだって直してくれ、なんて言ったのか知らないし野暮だから聞かないけどさ。取り敢えず今度、ビール奢れよ」
「もちろんだ」
《八九式》を直して欲しいと言ったのは隊長の指示でもなんでもなく、単純に嫌な予感がした平塚の独断だ。
独断行動は懲罰ものだし、知りつつ受け入れてくれた宗治や他の整備班の連中にはビール以上の対価を支払うべきだが、それを求めないあたりがなんとも、妙なところで謙虚な宗治らしい。
「なあ」
近くにいた隊員が仲裁に入ったのだろうか。怒声はあれきり聞こえなくなっていた。
黙々と煙草を吸っていた宗治が口を開いたのは、二人の煙草が、中ほどまで灰に帰したときだった。
「ん?」
「いつ攻めてくんのかな、宇宙人の連中」
「……知るかよ、そんなこと」
「攻めてくるとしたらどうやって攻めてくんだろうな」
「さてな。宇宙を飛んできたぐらいだから《六四式》とか《ファランクス》なんかよりずっと凄え武器を持ってんだろうぜ、マクロスとかみたいに」
肺いっぱいに溜めた煙を吐いて平塚が言う。
「隕石で爆撃とかしてくんのかなあ」
「そりゃヤマトだろ」
ため息混じりに物騒なことをさらりと言ってくれた宗治に修正の合いの手を入れる。それから急に宗治が押し黙ったので、以前にテレビで観た煙の輪っかを作ってみようと小刻みに煙を吐き出していると、宗治が黙ったままこちらをじっと見つめていることに気がついた。
「なんだよ?」
「いや、おまえアニメとか観るんだなと思って」
「観ちゃ悪いかよ」
話の流れから逸した言葉を吐いた挙句、クスクスと肩を揺らし始めた宗治に呆れと多少の憤慨を混ぜて返す。「悪くないけど……」と継がれた弁はクスクス笑いに呑まれ、舌打ちをした平塚は携帯灰皿に短くなった煙草を始末すると、灰皿をその場に置いて立ち去っていく。
「あ、平塚。煙草もう一本」
背後から響いた声に二度目の舌打ちを重ね、再びライターと共に箱ごと煙草を放った。今度も器用に受け止めた宗治は、箱から煙草を取り出しながら「平塚」と呼びかけてきた。
「なんだよ」
今度はなんてからかってくる気だ? じろと睨みつけるように宗治を見る。
「もし……もしさ。戦闘中におれの気が狂ってみんなに危害を加えるようなことが起きたら、その時は……おまえが殺してくれよ」
つい先刻まで忍び笑いをしていた時とは打って変わり、至極真面目な表情と共に宗治は言った。何を言われたのかすぐには分からず、しばしの間固まった平塚は我にかえるや「冗談じゃねえ」と吐き捨てた。
「おれは人殺しは極力したかねえんだ。まして仲間を殺せだ? ふざけるな。冗談は顔だけにしとけ」
「平塚……」
一気に言い切った平塚は踵を返して歩き始めた。一定の速度で、一定の歩幅で歩くことを無意識のレベルまで刷り込まれ、調教されたはずの足が、この時はひどく早足だった。