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ディストピア~滅びゆく世界の中で~  作者: 広崎葵
第3章 偽りの日々
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 依然として各所を修復中である《フリングホルニ》の前方には、先行する八つの強襲揚陸艦の艦影がある。加速に加速を重ねる強襲揚陸艦は、今は拳大の大きさとしてこの目に映っている。

 部屋の全面に貼られたモニターの一角に映るそれらから目を離したデュークは、特段変わった様子も見せずにグラスに注いだ酒を飲んでいるロベルトに視線を据えた。出戻りの兵だったとはいえ、仮にも仲間内から反逆者が出たというのにこの落ち着きようはなんだ?

 疑心を抱いたデュークは、試しに軽いジャブを放ってみた。


「ロベルト様、もしやアリル少尉が裏切ることを知っておられたので?」


 グラスの中身を空け、二杯目を注いでいたロベルトの手が止まる。プラスチック製のボトルをテーブルに置くと、「どうしてそう思う」と応えた。

 手応えありと判じ、デュークは追い討ちをかける。


「あまりにも冷静でおられますので。独断に過ぎるアルバートの動きも気になります。お二人で何か策を講じていたのでは?」

「ほう」


 ドアが開いた音が部屋に響く。ドアの方に視線をやると、そこにはヘルメットを脇に抱えたパイロットスーツ姿のアルバートがいた。


「艦長。ここにいらっしゃいましたか」


 歯を見せて笑いながらアルバートが言う。今さっき仲間をその手で殺しておいて、笑顔を見せる余裕があるのか。化け物を見る目を向けるこちらに気付いたのか、アルバートは笑みを苦笑に変えた。

 唐突にロベルトが「デューク」と声をかける。


「は」


 崩れていた姿勢を正し、ソファに腰掛けるロベルトを正面に見据える。


「作戦に、多少の変更を加えた」

「変更、ですか?」

「ああ。オートマタによる武力制圧ではなく、《リンドブルム》を使っての制圧に変更する」

「なっ……‼︎」


 開いた口を塞ぐ、という思考すら湧かなかった。《リンドブルム》は簡単に言ってしまえば、ウイルス兵器である。リンドブルム・ウイルスは人間の身体に侵入し、宿主の脳内に到達すると同時に活動を活性化、脳を汚染する。

 ウイルスに侵された人間は精神錯乱を起こし、同士討ちを行う。加えて脳を汚染するというウイルスの性質上、感染から六時間後には死に至る悪魔のようなウイルスだ。反面、効かない者には全く効かないという欠点があるのだが。


「あのウイルスはまだ研究段階で、効かない者には全く効かなかったはずですが?」


 問うと、ロベルトは鼻で嗤い、


「どうせ感染者は同士討ちを始めるんだ。効かない者が居たとしても、狂った連中が殺してくれる。それでも生き残った者が居たならば、市民権を与えてやらないでもない。それともなにか? お前はわたしに指図するのか?」


 ロベルトが腰のホルスターに手を伸ばし、カチャリと軽い金属音が鳴る。同時に鋭い殺気がその全身から溢れ出し、堪え切れない窒息感がデュークを包んだ。気圧されながらも、ロベルトの目を見返したデュークは唇を噛みながら、半歩後ろに下がった。

 それを見たロベルトは反応を口元をやや吊り上げるに終始して、それきりこちらに意識を振り向けるのを止めた。

 ーーこんなはずではなかった。

 頭の片隅でふとそんな事を思ったが、艦長という立場にありながら、何も出来なかった、しようとしなかった自分への冷笑が助長されるばかりだった。


 ***


 11月7日、グリニッジ標準時12時26分。

 地球の衛星軌道上に到達した八つの強襲揚陸艦は、それぞれが割り振られた地域の直上に静止していた。

 そして、その一時間と五分後のグリニッジ標準時13時31分。《フリングホルニ》から発せられた攻撃命令を受諾した強襲揚陸艦は、各々に搭載しているミサイルを百発射出しーー計八百発のミサイルが一斉に地球へと降り注いだ。

 自らの推進力と地球の重力を合わせて、亜音速で大気圏に突入するミサイルは、大気を引き裂いた。

 地球の人々にとって空に一斉に筋を引いていく流れ星は、二度と見ることはないだろう壮観な光景であり、無情にもこの世の終わりを告げる光であった。

 迎撃の火線はなかった。一発たりとも欠けることがないまま地上千メートル付近に到達すると、事前に設定されたプログラム通り、それらは一斉にその身を爆散させた。

 その弾頭に搭載された《リンドブルム》は、ミサイルが爆散すると同時に大気中に飛散した。


 ***


 爆発音が大気に充満してから一時間余り。地球の様子は豹変していた。

 街は《リンドブルム》に冒された人々で溢れ、我を忘れた人々は四肢が動く限り街を破壊し、互いに殺し合った。

 アメリカとて例外ではなく、幸か不幸か、感染を免れたブライアンはひたすらに繁華街を走り抜けていた。この三十分の間にリボルバー拳銃は撃ち尽くし、その手中には身なりからして州兵だったと思われる肉塊から頂戴したM4カービンが握られている。

 こうして一心不乱に走ってはいるものの、この状況、果たしてニーナは無事なのか。ニーナもこいつらの様に自我をなくした肉の塊へと成り下がっているのではないか。

 もしニーナがこいつらのようになっていたら、おれはどうするのだろう。答えの見えない自問に、その時はその時だ、と半ば自棄気味に答えたブライアンは、唐突に目の前に飛び込んできた目的地に足を止め、ひとつ唾を呑んだ。

 見慣れた、所々コンクリートが剥がれ落ちている古びたビル。元々人気がない区画のせいか、狂った連中の姿も見えず先刻までの騒乱とは打って変わり、不気味なまでの静寂が場を支配している。受付の窓口を覗いてみるが、いつもの老人の姿はなかった。出掛けた時にこのパニックに襲われたのか。それとも建物の中で狂人と化しているのか。

 後者であることを否定できるだけの理由もない、と自分に言い聞かせたブライアンはエレベーターではなく非常階段でニーナの部屋に行くことにした。もしエレベーターの中に狂人が居たら戦いにくいし、何かしらの要因でエレベーターが停止して外へ出られなくなる可能性も否定出来ないからだ。

 一旦裏へ回って、腐食して穴が開いていたり、手すりがごっそりと無くなっている非常階段を一気に三階まで登りきってしまうと、慎重に廊下へ続く扉を開けた。視線と一体化した銃口を左右に振って障害がないことを確認する。念のため姿勢を低くくし、足音を立てないよう留意しながらニーナのいる部屋に直行した。そのままドアを開けようとして、ブライアンはドアの鍵が恐らくは銃弾で破壊されているのを見た。最悪の事態を思い描き、まさかと背筋がさっと寒くなる。

 なけなしの理性が吹っ飛び、立て付けの悪いドアを蹴破る勢いで開ける。そのまま駆け込んだブライアンの目に飛び込んできたのは、どす黒いまでの赤に染まったシーツとそのシーツの上に横たわる、少女とも呼べないほどに幼い身体が一糸纏わぬ姿でベッドの上に横たわる光景だった。

 シーツを染め上げた赤はベッドに横たわる少女の腹から依然流れ出ており、込み上げてきた吐き気にブライアンは口元を押さえた。少女の傍らにはカミソリが落ちており、これで引き裂かれたのであろうことに疑いの余地はなく、ブライアンはただただニーナであったものに視線を注いだ。

 ふくらはぎから顔までにこの間会った時にはなかった痣や、縄で縛られた痕、煙草を押し付けられたことよる火傷が所狭しと出来ているが、それよりも胸郭きょうかくから鼠蹊部そけいぶの辺りにまで渡って切り開かれた腹がやはり目立っている。

 血などの体液に漬け込まれた腸や臓器類が窓から差し込む光に照らされて、てらてらと輝く。鼠蹊部から下に目をやると、これも成熟していない膣の口から白濁した体液がどろりと顔を覗かせていた。欲望に溺れながらも理性的と言える犯行から、人々が狂人化する前にニーナは殺されたのだと確信する。

 詰めていた息を一気に吐き出したブライアンは、腰が抜けたようにその場にどっと座り込んだ。何も出来なかった。守ってやれなかった。その言葉だけが頭の中を駆け巡る。ただ、どこかではニーナが狂人と化した姿を見ることがなくて安堵している自分を見つけ、苦笑した。悲しみを感じない辺りで、自分ももう狂人の仲間入りを果たしていたのかもしれない。

 慌てて部屋に入ってきた時に放り捨てたM4カービンを拾い上げる意味はもう無く、ブライアンは今すべきことを考え、すっくと立ち上がった。

 思いの外綺麗なニーナの死に顔を見下ろし、頭をゆっくりと二度撫でたブライアンは、ニーナの頭から離した手をニーナの血に浸っているカミソリに伸ばした。銀の光が薄暗い部屋で一閃し、勢いよく噴き出した大量の血液が天井や壁を汚した。

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