13
開け放たれていた隔壁を潜り抜け、整備デッキに入る。入ってすぐにアリルは、予備のマガジンも尽きた短機関銃から持ち替えた自動拳銃を構える。視線と一体化した銃口を左右に振り、保安隊員がいないことを確認するとそっと息を吐いた。先ほどまで執念深く追ってきていただけに、整備デッキに保安隊員が先回りしていなかったことは僥倖と言えた。
溶接光を絶え間なく閃かせている整備兵の姿もなかったが、おおかた修理作業の方に回されたのだろうと納得し、《ケイオス》へと駆け寄る。地球侵略の為か、《ケイオス》には元々装備していたビームライフルの他にも、肩部には円筒状のミサイルランチャーが、左腕部には増設されたジョイントにガトリング砲が懸架されていた。
やや不調気味であった重力制御装置も外され、六枚羽の代わりに脚部にメインスラスターとしてプロペラントタンクと直結したスラスターを装備し、機体の各所にも姿勢制御用のスラスターが増設されている。スタイリッシュだったはずの《ケイオス》が、ごつい印象を醸し出していることにやや違和感を感じつつも、アリルは頸部にあるコックピットへと収まる。
サブ・ジェネーレーターは既に入っており、各種コンソールが待機を示す表示を明滅させている。正面のコンソールに指を伸ばし、イグニッションスイッチを入れる。ぶるりと機体がひとつ身震いしたのが、メイン・ジェネーレーターたる縮退炉が起動したことを伝える合図だった。
シート脇のレバーを引き上げてコックピット・ハッチを閉鎖したアリルは、機体を整備用ハンガーから前進させる傍らで発着艦指揮所の制御プログラム内に侵入し、整備デッキのハッチを開放するコマンドを事前にアルバートに教えられていた通りに打ち込んだ。
コマンドを受領したプログラムが、整備デッキのハッチを開放させる。通常照明が消え、注意喚起をする赤色灯に切り替わる。赤黒い光に満たされたデッキの空気が抜けるのは一瞬のことだった。ハッチが完全に開放されたことを確認したアリルは、フットペダルを踏み込んだ。《ケイオス》が数歩進み、ハンガーから離れるとスラスターを点火させて、ハッチを抜けた。
外に出たアリルはまず、操縦の感覚を慣らす意味も込めて隔壁に穴が開いていないことを確認した。誘爆が起きていないことは了解していたが、万が一ということもある。外側からスキャンをかけ、問題ないことを確認したアリルは安堵の息を漏らした。撹乱をする必要があっただけで、クローンは置いておくとしても、元々オリジナルの人間を殺すつもりは毛頭無い……が。
間欠的に姿勢制御用スラスターを吹かし、艦の中枢にある戦闘指揮所の直上で《ケイオス》を止める。そしてそのままビームライフルの銃口を《フリングホルニ》に向けた。
「《フリングホルニ》艦長デューク・ワーグナー及び、皇帝ロベルト・パーシヴァル・レーモンドに宣告する。即刻戦闘態勢を解き、地球侵攻を諦め、この宙域から離脱せよ。さもなければ戦闘指揮所を焼く。これは脅しではない」
オープン回線の無線に声を吹き込んだアリルが返答を待っていると、クククと喉の鳴らした笑い声が無線を騒がせる。何がそんなに可笑しい。聞いているのかと重ねようとした時、(いや、アリル。あっぱれだ。なかなかどうして、勇気がある)と笑いを押し殺しながら話していることが丸分かりの口調でロベルトが言った。
「な……」
(だが加えてきみは、愚か者でもある)
「なにを言うか! この宙域から離脱するのかしないのか結論を……」
(離脱なぞするわけがないだろう。ようやく見つけた居住可能惑星だ。ここでみすみす見逃す理由などない)
我知らずアームレイカーを握りしめたアリルは「彼らーー地球の民にも、命はあります。家族もいます。あの惑星に棲む何億という数の人間、その一人一人にそれぞれの人生が、毎日があるんです。それをわたし達が一方的に壊して良いってことはありません」と声を絞り出していた。あまりにも自然に滞りなく出てきた言葉に、自分の中からこんな言葉が出てくるとは、と驚きつつビームライフルを《フリングホルニ》に向け直す。(……そうか。アリル少尉、きみには期待していたのだが……残念だよ)言い終わると同時に、アリルは視界の端で船体のシャッターが開き、《ケイオス》を取り囲むように四方にせり上がってきた砲台を捉えた。
砲台が自機の周囲に展開され、その砲口がこちらを向くのを見たアリルは絶句した。ロベルトたちが自分を殺そうと思っていることに対してではなく、艦の装備が起動したことに対して。《ネクローシス》は初期の性能を発揮しなかったのか? 考えて、即座に違うと切り捨てる。現にLSOを遠隔操作することが可能だった。それはつまり、《ネクローシス》が正常に稼動し、LSOや警備のシステムを食い潰したことを伝えている。
なら、それはつまりーー。
(つまりは、そういうことだ)
こちらの思考を読んだかのようなタイミングでロベルトではない者の声が無線に流れる。次いで、アリルは接近警報が鳴るのを聞いた。《フリングホルニ》の船体に落としていた視線を慌てて上げる。
そこには大型の斧を両手に携えたYRB-888《バーミリオン》という機体名称がポップアップで示された機体がいた。試作機であることを示す『Y』の文字を機体名称に頂いた機体は、爆発的なスラスター光を背負って一気に距離を縮める。
《バーミリオン》が右腕を掲げるのを見て取ったアリルは、ビームライフルの銃身下に装備された銃剣で斧を受け止めた。オールビューモニターで、複合型装甲越しに弾けた激突の火花を見る余裕はアリルにはなく、押し負けそうになった機体を踵のフックを起こし、船体に食い込ませて踏みとどまらせることで精一杯だった。
ぴくりともしなくなった操縦桿に戦慄する。そして追い討ちをかけるように(最後のチャンスだ、どうするか決めろ)と響いた声にアリルは目を見開いた。接触回線が開いたのか、その声は先ほどよりも明瞭に聞こえる。心は石化して動きを止めていたが、心よりも瞬時に状況を分析した脳が信号を送り、口中に凝った聞き馴染んだ声の主の名を無意識半分に口にしていた。
「アルバートさん……」
アルバートの青い瞳と重なった、フェイスマスクの奥の双眸が殺気を宿し、ぎらりと光を放つ。
(元よりおまえは泳がされていた、ということだ。残念だったな)
どうして、と問うよりも早く言ったアルバートの声が空っぽになった脳内に反響する。元より泳がされていた。では自分が胸の内を明かした時も、敢えて見逃していたということになる。保安隊員を自ら撃ち殺し、助けたように見せかけたのも演技だったのか。
ーー遊ばれていた
「このっ……!」
力押しの斧を払うと、アリルはスラスターを全開にして飛び上がった。信じていた者が敵になる。その事がアリルの胸を抉り、鉛を飲み込んだかのように重くした。一刻も早くここから立ち去りたい。訳もなく、その思いを抱えたままアリルはフットペダルを踏み続けた。
愚直なまでに真っ直ぐに飛翔し続ける《ケイオス》の背後で、荷電粒子砲が砲身を巡らせる。帯電の光を宿したのも束の間、即座に臨界点に達し、砲口から放たれた計六軸の火線は《ケイオス》に向かって直進した。宇宙空間ではその勢いを削ぐものがなくとも、重金属粒子を勢いよく打ち出しているに過ぎない荷電粒子弾は徐々に拡散、減衰を示す。
が、粒子弾が減衰を示すには、《ケイオス》と《フリングホルニ》の距離はあまりにも近すぎた。亜光速で直進する光弾の雨を避ける術などなく、《ケイオス》は回避運動を取る暇も与えられぬままエネルギーの奔流に呑まれた。フットペダルを踏み続けていたアリルも、気がつけば青白い光に包み込まれた。
「加代、ごめん。今から本、返しに行……」
確かに出した声はしかし、途中からアリルーー沙耶の聴覚で捉えられなくなった。音が聞こえなくなっている? 慌てて喉に手を当てると、前面のコンソール、握っていたアームレイカー、踏み続けているフットペダル、沙耶を包み込む全てが飴細工のようにぐにゃりと形を崩した。
ああ、わたしは死ぬのか。不思議と名残惜しさは感じなかった。時が来た、という感覚だった。居住可能な惑星を探すために、一方的に身体を改造され、頭が痛くなるほどの知識をぶち込まれ、果てには何億という人々を殺戮させられるはずだった身が無に帰る時が。
融解した装甲から侵入してきた熱波が、沙耶の身体を髪の毛の一本すら残さず焼き尽くすのに、一秒も掛からなかった。吹き荒れる熱波と衝撃波が《ケイオス》を散らし、沙耶という一人の人間の命を散らした。
***
車が行き交い、人も行き交う。いつも通りの帰り道。片耳だけにイヤホンを挿して、お気に入りのアイドルの曲を聴きながら奏と終着点を求めないバカ話を繰り広げる。お腹が千切れそうなほど笑い、奏と別れた加代は付けていなかったもう片方の耳にもイヤホンを挿す。
曲に合わせて鼻歌を歌っていると、ふっと周囲が暗くなった。雲? 今日は雲なんて見えないほど晴れていたのに。思い、空を見上げる。そこにあったのは、雲ではない、明らかに人工物であることを思わせる光沢を放つ、白亜の物体だった。飛行機か、そう考えたのも一瞬、違うと加代は断じる。あまりにも大きすぎるし、何より翼が生えていないのだ。
いつの間にか外していたイヤホンを片手に呆気に取られていると、高速で移動する何物かの存在を報せる、大気を割く鋭い音が加代の耳朶を打った。
首を巡らすと、目にも留まらぬ速さを具現化した速度で飛来する無数の細長い物体--ミサイルが加代の視界に入った。青白いスラスター光を閃かせ、迷う事なく突っ込んでいくそれらは白亜の物体を狙ったものだったが、白亜の物体に傷がつくことはなかった。
凄まじい轟音と共に白亜の物体から伸びた一条の臙脂色の閃光が空を駆け、ミサイル群を一掃したのだ。弾頭に詰め込まれた高性能爆薬が起爆し、ミサイルが次々とオレンジ色の火球へと転じる。
吹き荒れる爆光と爆風に目を細めていると、白亜の物体から人らしき影が複数落下してくるのが見えた。しばらくして、加代はその影の異常に気づいた。影が近づくにつれ大きくなっている。それも普通の人間よりも遥かに大きく。
影のひとつが持っていた短機関銃の筒を持ち上げる。その筒の先でマズルフラッシュが起こり、射出された銃弾が加代へと真っ直ぐに向かってきている。
死ぬ。まだ見ぬ死への恐怖が喉元まで直ぐさま込み上げてくるのは、さして難しいことではなかった。
(加代……)
***
「いやぁぁぁあ!」
発した声が現実の聴覚を刺激する。うっすらと目を開けた加代はドーム型の天井を目の前に、自分がどこにいるのかわからなくなった。
「加代、しっかり!」
言いつつ肩を揺すったのは奏だった。また、夢。声を出して応える気力はなく、漫然とした意識の中でやっとそれだけ考えると、ぎこちなく頷いてみせた。ほっとしたような表情の奏が誰かに呼ばれたのか、今行くと応えて視界から消えるのを尻目に、加代はまぶたを閉じた。
ゆっくりと深呼吸をして荒れていた呼吸を整える。妙に現実味を帯びていて且つ、はっきりしている夢を見るのは、退院してからこれで二度目。三度目の正直とはよく言ったものだが、これはやはり予知夢の類いなのだろうか。非科学的であることは承知しているが、今自分が置かれている状況が状況ゆえ、安易に否定することもままならない。
宇宙を漂流し、居住可能な惑星を探しているという銀河帝国。そして銀河帝国の皇帝だと名乗る男の、降伏勧告とも取れる威圧的な言葉。困惑と緊張の二文字を顔に書いた教師が緊急に全生徒が一斉下校することを伝えたのは、地球圏の通信回線の全てを通じて流しているらしい一方的な海賊放送が始まって、十分ほど経過した頃だったろうか。
インターネット回線はジャックされ、携帯も有線電話の通信回線もパンクした状況下では家族と連絡を取る方法もなく、全生徒は一先ず各々の家に帰るよりなかった。だが加代は家に帰っても両親がいないことは明白であるし、放送を信じて万が一の時のために避難をするにもどこに逃げればいいのかも判断がつかなかった。とりあえず困った時は腹ごなしと、家で解凍した作り置きのおにぎりを食べていると、奏が奏の両親と共に家に来た。
曰く、「こう言ってはなんじゃけど、親御さんが家におるとは思われんかったけえ」らしい。近くの国家防衛隊の基地--朝霞基地に向かうらしい元村一家について行く旨の書き置きを残して、奏たちと朝霞基地に向かい、着いた途端に襲って来た眠気にあっさり倒され、今に至る。
いっそ夢のことを奏に相談してみようかと思ったものの、こんな突拍子もない話をぶつけてそれを避難してきた他の誰かに聞かれてしまう可能性もある。誰もが予想だにしない状況に置かれ、慣れない場所にいるせいも相まって避難民に充てがわれた倉庫にはピリピリとした空気が漂っている。
こんな中であからさまに怪しい夢の話をすれば、最悪の場合、暴動も起きかねない。黙っているしかないと割り切って、身体を起こす。打ちっ放しのコンクリートの上に毛布を敷いただけでは、やはりどうも身体の節々に痛みを覚える。毛布は何枚か重ねてみたが駄目だったか。
凝り固まった身体をほぐしながら、加代はそれとなく周囲に探る視線を投げかける。啜り泣く子供、肩をすぼめる老夫婦。誰もが疲れている。自然に出た感想を胸に仕舞い、加代は夢の最後に頭の中に響いた声を思い起こす。
ただ一言、『加代』と呼びかけてきたあの声は沙耶のものだった。なぜだかはわからないが、そうだと断定できた。
今、どこにいるのだろう。彼女もまたどこかの基地か避難所にいるのだろうか。
「寒い……」