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ディストピア~滅びゆく世界の中で~  作者: 広崎葵
第3章 偽りの日々
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 東京都練馬区、埼玉県朝霞市、和光市、新座市にまたがる朝霞基地は、特車の試験運用を任されており、日本で唯一特車を保有、運用している基地というのが全国の国防隊員の認識である。

 なぜ朝霞に、というと現在、全国の国家防衛隊の陸上部隊の実施部隊を一元的に運用する組織たる、陸上総隊を朝霞基地に設置することが決まっているからである。

 そんな朝霞基地内がこれ程までに国防隊員以外の人で溢れるのは、三年に一度朝霞基地で行なわれる中央観閲式以外ではほとんど見ない。そんな光景が目の前にあるのを見れば、あの放送はおふざけではなかったのだということがひしひしと伝わってくる。

 平塚は抱えている戦闘糧食(レーション)の入っている段ボール箱を、外に出されている長テーブルの上に置いた。これから基地内に避難してきた民間人に配るのだ。

 日本のレーションは他国のものと比べて味が良いとされているが、普段食べ慣れていない者にとってはキツいだろうな。そんなことを考えながら、早速貰いに来た小学生低学年くらいの男の子数人にレーションを渡す。

 大人が総じて蒼白な顔つきをしている中で、きゃっきゃと屈託のない笑みを浮かべているこの子たちは、事態の深刻さを理解し得ていないのだろう。当たり前だと思う一方、羨ましいと感じている自分がいることに平塚は気付いた。

 状況が把握できていなければ、こんなにも不安感に襲われることも、絶望感に打ちひしがれることもない。純真な心を持つ子供は、自然とそれができている。教養を身につけ、社会を学び、汚い水もそれなりに啜った末に、現実を見据えるというごくごく普通の能力を身につけた大人にはできないことだ。それは自然なことだ、と言われるかもしれないが。

 いっそ死んでしまいたいとまで思い始めた自分を、こんな事ではいけないと頭を振って律する。平塚は通りがかった新兵にレーション配りを押し付けて、自分は愛機が運び込まれた整備倉庫に向かった。

 むん、と機械油と汗が入り混じったお世辞にも綺麗とは言い難い空気が、熱気を伴って平塚の鼻をつく。鼻がむず痒くなり、下を指でぐりぐりと擦る。溶接光と急ピッチで作業を進めている整備兵の怒号が飛び交う。


「この状況下じゃ、《ファランクス》は使い物にならないも同然なんだ。今は倉庫に眠ってる《六四式》を全部叩き起こせってんだよ!」

「そこの! 三号機の修理はもう良いって言ったでしょ⁉︎」

「《八九式》のパーツとは何一つと互換性がねぇ。《六四式》の予備パーツは有るだけ全部並べとけ!」


 足早に行き交う整備兵の顔は疲弊の色に深く染まっているが、誰一人として文句を言う者、作業をサボる者は見当たらない。必死だ。宇宙人が攻めてくる俄かには信じ難い話を、誰もが信じて疑っていない。

 リミッターを解除しての走行で、駆動系がオジャンになった自機は放棄され、新しく与えられた乗機の前に立った平塚は、ふんと鼻を鳴らした。《八九式》の前世代機である《六四式》は、完全に土木用として造られた《八九式》と違い、戦闘用の機体。後に造られた《ファランクス》と比べるとそのスペックの差は歴然であり、用済みの烙印を押された《六四式》はお蔵入りとなった。

 だが、今回ばかりは《ファランクス》よりも《六四式》の方が役に立つ。恐らくは宇宙から発信されているのであろう、強力なジャミングの影響で無線及びレーダーがその役を果たさないのだ。無人操縦式であることが売りであった高機動戦闘用特車ファランクス、今日という日に限ってそれが裏目に出てしまったことは否めない。

 対して有人式である《六四式》なら、ジャミングの影響も受けずに運用が可能だが、その機体は十年近くも倉庫で埃に塗れていたものばかり。万が一の際、万全の体制をとるべく、整備兵が慌ただしく動き回っているのはその為だ。

 乗機として充てがわれた《六四式》のコックピットーー《八九式》のそれと位置は変わらないーーに乗り込んだ平塚は、まず《八九式》ならディスプレイ表示されている計器類が、そこら中にある事に閉口する。しかし、言っても前世代機。基本的な操作系自体には大きな変化はない。

 今機体は予備電源こそ入っているが、それはバッテリーに直接外部から電力供給をしているからであり、本来の意味で機体が動いているわけではない。

 メインエンジンのガスタービンエンジンの燃料はーー満タン。計器をざっと眺めて異常がないことを確認した平塚はガスタービンエンジンに灯を入れるべく、主スイッチに手を伸ばした。


「バカ。まだ灯ぃ入れんじゃねえよ」


 突然掛けられた声に伸ばしていた手を止め、顔を上げる。そこには同期の整備兵、天草宗治あまくさむねはるがいた。携えたレンチで肩を叩きつつ、コックピットに半身乗り出した宗治は、肩を叩いていたレンチで平塚の頭を小突く。


「んだよ。まったく」

「それはこっちの台詞だ、バカ。おれ達ゃ必死こいて整備してんだ。パイロットは命令あるまで部屋に引っ込んでろ」


 宗治の一方的な言いように少しむっとした平塚は、「バカバカ言うなバカ」と返した。意に介する素振りも見せずに、宗治はコックピットから身体を出すと勝手に言ってろとばかりに鼻で笑った。


「このやろ……」


 一発かましてやる。そう思い、コックピットから素早く抜け出した平塚を待っていたのは整備長の怒声だった。


「貴様ら! この大事に何やっとる。さっさと持ち場に戻らんか!」


 鬼爺と蔭で兵達にあだ名される整備長は、齢五十一と隊員の中では高齢も高齢の部類で退職も間近だと囁かれている。そんな噂とは裏腹にパワー漲る、といった風情の整備長は六十を超えても現役で居座り続けるのではないかとまで思わせる。

 そんな事を考える傍ら、命令を受け取った身体は素早く踵を合わせると「申しわけありません! 以後、気を付けます」と口を動かしていた。同じく声を張り上げた宗治の気配を感じながら、整備兵の一人に何事か話しかけられ奥の方へと消えていく整備長の背中を見送る。


「おっかねえ……。鬼爺のあだ名は伊達じゃないってわけか」


 強張らせた肩の力を抜きながら言った平塚に「それだけじゃないさ」と宗治が言う。え? と平塚が問い返すと宗治がこれ見よがしに首を竦めて見せる。


「例の海賊放送が終わったかと思ったら、入れ替わりに起き始めた強力な電波障害の影響で無線、レーダーは共にダウン。有線通信回線もパンクしていて使い物にならないとくりゃ、さながらここは陸の孤島。

 状況が状況だっていうのに、本部は疎か周辺の基地との連絡を取る方法もないんだ。この深刻さを理解している奴の中に、不安を感じてない奴なんかいない。みんな、腹に抱えた"不安"っていう"爆弾"のせいでピリピリしてやがんのさ」


 溜め込んでいる"不安"を"爆弾"とする例えに、平塚は「なるほど」と頷く。


「じゃあ、お前もか?」


 茶化すように訊ねると、以外にも「ああ」とすんなり返してきた。らしくない。その思いが爆ぜ、どうしたんだ? といぶかる目を注いだ。その視線に気がついたのか、宗治は苦笑した。


「おれだって人間なんだ、怖い時は怖いさ」


 そう言うと、宗治は下まで降りるための階段に足を乗せた。


「じゃ、また後でな」


 片手を挙げて階段を降りていった宗治の背中に、平塚も片手を挙げて応えた。


 ***


 人間は何か能力を欠如すると、欠けた分を補おうとして、必然的に他の感覚が鋭角になる。ニーナの場合は視力が欠如しており、その分嗅覚と聴覚、触覚が鋭敏化している。その為、誰かが部屋に入ってくるとその足音、微かに漂ってくる臭いから声を聞かずとも誰が来たのかがおおよそ把握できる。

 ニーナはこの日もいつも通り、いつもの部屋で客が来るのを待っていた。本音を言えば来て欲しくはないのだが、来なければ店に金は入らず、果たして明日のパン、今夜のスープにさえありつけるのかどうかも怪しい。

 目が見えず、年端もいかない子供が、一人で世間を渡り歩き、何らかの職に就いて全うに稼いだ金で毎日を過ごせる道理はない。況してや、自分はこの店の"商品"である女の一人がはらみ、産み落とした生命。出生から穢れている自分が学校にも通うこともなく、店の一"商品"として売られることになったのは、当然といえば当然の成り行きと言えた。

 店の主人曰く、自分は目が見えないだけで中々の美形らしく、小さい娘が好みという客もそこそこいるため良い"商品"になるとのことだった。

 その読みは当たったのか、ニーナが"商品棚"に並べられてからというもの、他の"商品"の使用頻度が一週間に一度であるのに対し、ニーナは一週間に三度や四度は指名があった。

 指名をされ、待機していると大概の男は部屋に入って来るや否や、自らのモノをニーナの中に押し込んできた。自分を人間として見ていないことはすぐに分かった。最初の頃は悔しかったし、悲しかった。

 けれどその感慨はいつしか消えた。殴られ、縛られ、時には火の点いたまま煙草を地肌に押し付けられることもあった。そんなある時、ふと気がついたのだ。自分を大事に思っているから痛いのだ。心と身体が繋がったままだから痛いのだ、と。

 気付いてからは、痛みを感じることはなくなった。客が満足するようにわざと善がったり、嬌声を上げる余裕さえも生まれた。なんでもっと早く気づかなかったのだと、自分自身でも不思議に思うくらいだった。

 そして、唐突にブライアンは現れた。いつも通り、ベッドに腰掛けた状態でいらっしゃいませと言って出迎えるとブライアンは戸惑った素振りを見せた。見えはしなかったが、その空気の乱れで動揺していることら明確に感じ取ることができた。

 暫しの間の後に、彼はぽつりと言った。すまない、と。何に対してのすまないだったのかは今も分からない。目の見えない幼い少女が身売りをしている姿を見て、彼なりに何か思う所があったのだろうか。

 栓なき事だと思う。だけど、なぜかブライアンと出会ってからというもの、指名を受けずに部屋で待機をしている間は、ずっとそんな事を考えてしまっている。

 そして最近は自分も普通に生きられるのだろうかとも考えるようになった。目が見えないということは変わらずとも、身売りをするようなことはせずに、学校に通い、同じ年頃の友達と他愛もない話をして、家に帰れば暖かいご飯とベッド、家族が待っているようなごく当たり前のようで、実はこれ以上ないほどに幸福なそんな生活をーー。

 刹那、一発の銃声がすぐ近くで轟き、着地点のない思索を寸断した。

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