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ディストピア~滅びゆく世界の中で~  作者: 広崎葵
第3章 偽りの日々
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 鼻腔に絡みついて離れない血の臭いに、ブライアンは目を覚ました。開けた瞼を何度か瞬き、目を擦ろうとして右腕に力を入れると痺れるような痛みがブライアンの右腕を襲った。苦悶に顔を歪めたブライアンは、何がどうなっているのかがわからず、ただ頭の中が白熱しているのを感じる。何度目かの唾を呑み下して記憶を何回か巡ったところで、ああとため息ともとれない声を漏らした。

 次第に記憶が戻ってきて意識が覚醒してくるにつれて、眠気という名の麻酔が切れ始める。切れ始めた麻酔に呼応して、局所的だった痛みが徐々に身体中に痛みが伝播していく。狂乱した男共を撃ち殺している時に、ブライアンの腹の奥底にあった考える事を放棄し、全神経を増悪というタールで塗り固めていったどす黒い激情は、今はもうない。漣ひとつ立っていない自分の心を見ると、まるで全てが夢だったかのようだが、撃たれた痛みが依然としてブライアンを襲っている事が、あれが夢ではないことを物語っていた。

 重油に漬け込まれたかのように身体が重い。古い血を抜く手間が省けたと思ったが、流石に抜け過ぎたかーー。強張っている頰に苦笑を刻む。


「大丈夫ですか?」


 枕元から女性の声が聞こえてくる。ぼんやりとしていた視界が明瞭となり、ブロンドの髪をした若い女性の姿が目の前に現れた。女性の頭の後ろにある蛍光灯の光に目を細めながら、「気分は最悪だ……だが、何とか大丈夫そうだ」と返した。話した途端に腹に激痛が走ったが、見ず知らずの他人の手前ということも手を貸し、つまらないプライドが目を覚まして気づかぬふりでやり過ごす。


「良かった」


 笑った女性の表情は柔らかで、ブライアンは気づかぬうちにそこにニーナの笑顔を重ねていた。


「失礼だが、あなたは?」


 腹筋にあまり力を入れないように気をつけながら、ブライアンが訊ねると「アリスです。アリス・アリューシャン。あなたは?」と問い返す。


「ブライアン・ウォーレットだ。助けてくれてありがとう。幾つか訊きたい。此処は何処だ? おれの他に女性と女の子が居たと思うんだが、彼女たちは?」

「彼女たちは……」


 アリスは口を噤むと、ブライアンの左手側を仕切っているカーテンを見た。カーテンは厚手で、向こうの様子は窺えない。今まで視界に入っていても気にしていなかった壁や天井、床を見ると、打ちっぱなしのコンクリートがあった。光源は蛍光灯以外は窓の類いも見当たらない。地下室にいるのかな、と見当をつける。


「まず、ひとつ目の質問への回答。此処はわたしの家の地下シェルターです。あなた方がいた所から数軒先にあります。両親と一緒に暮らしています。あ、両親は今は上で暇つぶしの本を選んでます。次にふたつ目。彼女たちは、まだ目覚めていません。……何があったのかは大体想像が付きます。恐らく精神的なショックも大きいのでしょう」

「そうか……」


 おそらくはカーテンの向こうで眠っている二人は今、どんな顔で寝ているのだろう。せめて眠っている間だけは恐ろしい夢も見ずに、辛い現実から目を背けられていれば良いのだが。


「十八時を過ぎた頃からあのおかしな放送は止みました。でもそれが民衆の不安を余計に煽ったようで、避難所では物資の略奪が起きて街中での暴動は平常化しています」


 こういう時ほどアメリカという国が恐ろしいと感じることはない。所定の手続きさえくぐれば誰でも銃の所持が認められているということは、誰かが銃を使って強盗やテロを起こそうと思えばすぐにでも実行可能ということだ。無論、そうならないために通信は全て傍受されているのだろうし、連邦捜査局国家保安部(NSB)ーーアメリカ連邦捜査局(FBI)の公安警察ーーが目を光らせていることは想像に難くない。

 だが、今まで健全であった市民がひょんなことで発狂して、家にあった護身用の銃で事件を起こす可能性とてないわけではない。自分の身は自分で守る。それが身の上のこの国で生まれた以上、ブライアンはそんな社会は間違っていると批判しながらも、自らもまた同じ過ちを犯している。

 矛盾が生じていることはわかっている。しかし、そうしなければ明日は我が身なのだ。死んでしまえば元も子もない。女も抱けないし、飯も食えない。だから対抗手段として銃を持ち、必要ならば相手を撃ち殺す。今日という日を生き、明日という未来を迎えてこのクソッタレな世界を変えられるなら。

 そこまで考えてから、ブライアンはゆっくりと身体を起こした。シーツから抜け出した身体の上半身は服を着ておらず、包帯が巻かれていた。彼女か、彼女の両親が処置してくれたのだろう。力を入れるたびに気絶してしまいそうなほどの激痛が走る。

「何するんですか! 安静にしてないと傷が……!」言いつつアリスがブライアンをベッドに寝かせようとしたが、ブライアンは腕を掴む彼女の手をやんわりと退けた。


「会いに行かなきゃいけない人がいるんだ」


 静かに告げると、アリスははっと息を飲んだ。そう、会いに行かなければならない。畳まれている血で染まったシャツの脇に、白いワイシャツが置いてある。これを着ても? 目で問うと、アリスは伏し目がちに頷く。糊がきいている、着ていて気持ちのいいシャツだった。

 血まみれのシャツの上に乗せてあった銃を取るが、あの親娘の一件で弾は使い切ったため弾倉は空だ。最早モデルガンと何ら変わりはないが、暴徒相手にも虚仮威しくらいの役には立ってくれよう、と希望的観測を抱きつつ幾分か軽くなった銃をズボンのポケットに突っ込む。


「ブライアンさん」


 出て行こうと一階へと続く階段に足を乗せた時、アリスが呼び止めてきた。振り返ると銃を持ったアリスがいた。


「リボルバーで弾も入ってる分だけですが、無いよりは」


 そう言って手中のリボルバーをブライアンに渡す。断ろうとしたが、アリスの真剣な眼差しを受け止めたブライアンは断りの言葉を飲み込んだ。代わりにありがとうと礼を言ってから自分の自動拳銃を取り出し、リボルバーと交換した。


「じゃあ」


 ブライアンは階段を上り始めた。二度と振り返るようなことはせず、真っ直ぐに一階へと向かった。


 ***


 話がある、とアルバートに告げたアリルが案内されたのは物資倉庫だった。オートマタの予備部品や、研究の試作過程で開発が中止されたオートマタの残骸があるここの基本的な臭いは整備区画と変わらない。だが、空気循環の悪いここには埃っぽさがあり、整備区画よりも悪質である。

 むず痒い鼻に手をやり鼻の下をごしごしと擦ってから、アリルは無造作に置かれているオートマタの腕部に腰を掛けた。アルバートも向き合う形で、手近にあったオートマタの頭部に腰を下ろす。


「何だ? 話って」


 早速本題に斬り込んできたアルバートが、上半身を低くし肘を膝の上に乗せて両手を絡ませる。必然的にアリルをやや睨め付ける格好となったが、別に気にはならない。


「……地球に攻撃を仕掛けるそうですが、それは本当ですか?」

「……どこから仕入れた」


 アルバートが動揺を隠せぬ声音で言う。できれば嘘だと言って欲しかったが、この反応から推測するに本当のことなのだろう。唇を噛み、俯いたアリルは「ロベルト様が……」と囁くように言った。


「ロベルト様、か。相も変わらず、手回しが早いというか何というか」


 そうぼやいたアルバートは、一瞬それた視線をアリルに据え直してから続ける。「残念ながら事実だ。今から約22時間後に地球の首都に攻撃を掛ける」だから、こうやって話している時間など本来ならばないのだが。目で告げるアルバートを見つめ、「では、地球への降伏勧告は何だったのです」と返す。感情はセーブしているつもりだったが、怒りが抑えきれておらず語尾が震えた。


「建前だよ。あと、地球人をパニックに陥らせて内輪揉めを引き起こすための起爆剤でもある」


 平然と言ってのけたアルバートを睨んだアリルは「こんな事に正義なんてない」と言った。


「そうかもな。だが、これが戦争だ。我々とて戦力が無限にあるわけではない。戦力には限りがある。だから、少しでも勝利の女神の気を我々の方に向けさせにゃあいけんのさ。……全てはお前さんが地球を発見した時から決まってたことなんだよ」


 そうか。アリルは納得した。自分が地球を発見さえしなければ地球の人々は死ななかったし、ロベルトたちの手中で踊らされることもなかった。全ての責任は自分自身にある。そんな人間がなぜ、地球の人々を救いたいなどという戯言を胸に秘めていられようか。

 が、現状を打破することは難しくとも戦力を削ることはできるかもしれない。耳に入った情報によれば、小判鮫の如く《フリングホルニ》にへばり付いているのはオートマタの輸送船団。輸送船の攻撃能力は乏しく、地球にオートマタをばら撒いただけで終わるだろう。できるならば、《フリングホルニ》の出航を遅らせ、その間に地球にやってきたオートマタを殲滅させたいものだが、《フリングホルニ》には冷凍睡眠で眠っている同胞もいる。あまり傷つけずに、出航だけを遅らせる方法は。


「アルバートさん。できるだけ血を流さずに《フリングホルニ》の足を止める方法を教えて下さい」


 アルバートがロベルトと繋がっている可能性もなきにしもあらずだが、その時はその時だ。いざという時はアルバートの足に一発ぶち込んでーー。

 ギョッと目を見開きつつも、アルバートは顎に手をやると「そうさなぁ」と呟いた。


「ホストコンピューターの《フォトン》に新作のコンピューターウイルスを侵入させてみるか。ただ、こちらにも相当の演算能力が必要だな」


 今度はアリルが目を見開く番だった。「手伝ってくれるんですか?」と思わず話の腰を折り、訊き返してしまう。


「手伝って欲しいんだろう?」


 アルバートが訊き返す。ぎこちなくアリルが頷くと「なら、手伝ってやるよ」白い歯を見せてアルバートが言った。

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