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何とも言い難い居心地の悪さに、アリルは閉口する。昼食のため食堂に来てみたら、同じく昼食を取るために集まったクローン兵でごった返していたのだ。ごった返すといっても、地球で見た生命感溢れる印象が彼らにはない。食事を取るのも任務の内とでも言うかのように、黙々とチューブ入りの流動食を喉に流し込んでいる。
まるで生ける屍だ。銀河帝国の人間であることを示す登録証を、配膳機にかざしながらアリルは思った。無機質な電子音が出来上がりを報せた流動食のチューブを取り、手近な空席に座る。チューブの蓋を開けて、自分が昔居た頃に食べていたものと何ら変わりのない流動食を流し込む。どろどろとしていて味という味はないが、これ一つで一食に必要な栄養素とビタミン、ミネラル、カロリーが含まれている。空腹感は……我慢するしかない。
一気に半分ほどを飲み下したアリルは、ふぅとため息ともつかない息を吐いた。自ら戻ってきたとはいえ、尋問がなく見張りも付けられないというのは意外だった。我が物顔で狭い世界の、狭い生物界のトップに君臨して優越感を貪っている地球人の毒気に当てられているかもしれないのに。
隣の席に座っていた奴が立ち上がると、すぐに同じ顔、同じ体型のやつが座る。部屋という括りでみれば広めの部類に入る食堂を見渡せば、あちらこちらで同じことが繰り広げられている。味気ない食事がより味気なくなったように感じたアリルは、今度こそそれとわかるため息を吐いてから流動食を飲み干した。席を立って、据え置きのゴミ箱にチューブを捨てる。
食堂を出ると、リフトグリップを使って移動をする。リフトグリップは無重力下での移動を円滑化するために開発されたもので、壁に取り付けられたグリップを掴むと、リニア駆動のグリップが発進して壁面に張り巡らされたレールに沿って、目的地まで移動することが出来る。グリップを強く握れば握るほど加速し、停止の際はグリップの手前にあるブレーキレバーを引けばいい。
艦内の地図と路線図を頭に呼び起こしつつ、アリルはグリップを握る力を強める。突き当たりを右に曲がったところにあるエレベーターを使い、目的地まで移動する。
隔壁をくぐると機械油の臭いが身を包んだ。鼻腔に絡みつくようなこの臭いはどうも好きになれない。ヘルメットを被って臭いを遮断させたかったが、スーツ内の酸素がもったいないので止めた。レーザー溶接機が煌かせる溶接の火花の向こうに、見知った人の姿を認めるとアリルは床を蹴って人影まで一気に距離を詰めた。
「おう、アリルじゃねぇか」
短髪で色黒の男ーーアルバートが持ち前のどら声を響かせる。近づけば近づくほどに、クローン兵より一回り、二回りは大きいアルバートの体躯の大きさが顕著なものとなる。今現在目覚めている、他のオリジナルの人間が醸し出す尖ったナイフのような雰囲気がないアルバートは、以前いた時もアリルの良き話し相手だった。
アルバートが取り付いているオートマタの頭部に同じく取り付くと、「お久しぶりです」とアリルは白い歯をアルバートに見せる。銃型のレーザー溶接機のトリガーをロックしてから、それをホルスターに収める。
「おれにしてみれば、一月も経ってねぇんだがな。ちったあ女らしくなったじゃねぇか」
「何それ酷い。わたしが女に見えなかったみたいじゃないですか」
「事実だろ? それに褒めてやってんだから嬉しく思えよ」
「ん……まぁ、はい」
唇を尖らせながら返したアリルの頭をアルバートはわしわしと荒っぽく撫でた。ぐしゃぐしゃに乱れてしまった髪をら慌てて撫で付けるアリルなど視界に入っていない様子で、アルバートが再び口を開く。
「随分と人間らしくなりやがったな。前はロボットみてぇに凍りついた表情してやがったが……。おまえが見つけた惑星、地球だったか? そこでの経験が良かったのかもしれんな」
地球という言葉の後ろから、ロベルトの言った殲滅という言葉が追いかけてきた。地球に住む人類と、宇宙を漂流する我々の何が違うのだろう。彼らも我々と同じように食事をし、呼吸をしている。しかし、彼らと我々は似て非なるものだ。
何がという主語が抜けていたが、地球人と我々は『違う』という不可解なまでに明瞭な印象だけは、くすむことなくアリルの中にある。彼等は許されざる兵器をも、抑止力と称して未だに保有している。そういった愚かな面もあるものの、合理的かつ全ての作業の迅速化を信条としてきた我々が喪った温かみがある。その温かみの意味するところはしれないが、もし自分の感覚が間違いでないのならーー。
一旦口をつぐんでから、言葉を続けようとしたアルバートを手で制したアリルは「お話ししたいことが」と意を決して囁いた。眉をひそめたアルバートは見ずに、目を左右に走らせてから「できれば、他の人に盗み聞きされないところで」と一気にまくしたてた。
***
最終確認を怠らなければ……。そう思いながら、平塚慧悟は特車の狭苦しいコックピットの中で、重く大きなため息を吐いた。何度目の後悔かは忘れた。元々いくら後悔をしてもしたりないネガティヴ思考の人間であったから、数える気にもなれないと言った方が正しいのだろうが。
平塚は国家防衛隊陸上部隊所属の三等陸佐である。五十年前に自衛隊が解体、その代役として置かれた国家防衛隊は名称の他にも保有する兵器や装備も見直された。第二次世界大戦の末期に、広島に投下された原子力爆弾の爪痕は深く、核兵器こそ導入しないがそれまで敬遠されていた対地用兵器やより破壊力の高い兵器を輸入したり、国内で生産していた。
『防衛力』というより、最早『戦力』と呼ぶべきその実力は総合的に見て、経済難や時代の荒波に幾度となく襲われてもなお世界第二位の軍事力であり続けた中国を押しのけ、今やアメリカに次ぐ力を保有している。
交戦権を放棄した日本がこれ程までの力を持つようになったのも、五十六年前に起きたクーデターがきっかけだ。あの日以来、日本は何かが変わった。一時的にしろ、自衛隊が国の未来を左右する立場に立ったからか、クーデターの裏で暗躍していたと言われるアメリカ政府に圧力を掛けられたか。
理由は分からないが、国の予算の多くが国防隊の予算として消費されるようになったのは事実であり、それを補うためにも基本的生活用品以外の税率は二十パーセントに上がった。国会ではその懸案はいざこざもなくすぐに承認され、国民も思っていたほどの反発をしないまま増税を受け入れた。平塚が生まれる前の出来事だが、見直してみれば目立った反発もなくこれほどの変化がすんなりと受け入れられたことは、奇妙さを通り越して正体不明の恐怖を平塚に与えた。真相はクーデター以降、発言力を増したアメリカからの圧力だというのが有力な説だ。
生まれたら完成されていた、そんな薄気味悪い世の中にため息を吐く日もあれば、自分自身の不甲斐なさに項垂れる日もある。その日は大体、入れ替わり立ち替わりやって来る。今日は土木作業の最中でミスをしてしまい、作業に三十分の遅れを出した。よって、本日のメニューは後者である。
持ち込んでいた水筒を傾け、ぬるくなった水で喉を鳴らす。水道水特有のカルキ臭さが鼻に抜ける。せめてもの加熱すらしなかった、ただの水道水は入れてくるものではない。使用期限が切れたと分かったらすぐに交換するのだった、と今朝浄水器が使えなかった原因についても遅い後悔をする。
(これより基地に帰投する。……平塚少尉。聞こえているのか、平塚少尉。……平塚少尉!)
隊長ーー根本大尉の怒声がヘッドセットから溢れる。水筒をしまい、切っていたマイクのスイッチを入れた平塚は「申し訳ありません。マイクの調子が悪くて。帰投、了解です」と言ってから、一方的に通信を切った。
「パイルバンカー安全装置作動。確認でき次第、自動操縦にて基地に帰投する」
音声入力ソフトが反応し、正面のディスプレイに了解の文字が浮かぶ。油圧駆動特有の、重い音が連続する。しばらくの後、完了の文字が表示されると、自動操縦に切り替わった機体ーー《八九式》が前進を始めた。
全高八・六メートル。戦車のようにキャタピラーを履いた車体の上に、パイルバンカーというリニア駆動を応用した杭打ち機を両腕に装備する機影の異様さは、遠目からでもはっきりと視認できる。
土木作業用と言わなければ、兵器と思われてしまいそうな《八九式》は、特車二類という部類に分類されている。特車一類もあるが、そこは土木作業用特車ではなく、《ファランクス》を始めとする高機動戦闘用特車を多数運用している。同じ特車という括りでも、見た目や性能を比べればまるで別物である。
不調を訴え始めたエアコンに舌打ちすると、平塚はコックピットのハッチを開放した。人でいう頭部に取り付けられたコックピットは、見晴らしが良い。前を行く特車が巻き上げる砂煙を避けるために、車間距離を開ける。
周囲を山が囲んでいるからか、頬を撫でる風は基地で感じるそれよりも柔らかく冷んやりとしていて、太陽が振り下ろす熱と光による暑さも束の間忘れさせてくれる。秋だというのにこの二、三日続く猛暑に嫌気がさしている身としては有難いことこの上ない。基地との通信は山々によって阻害され、外界へのアクセスはできないが、こうも気持ち良いのなら山間部での作業も悪くない。
まぶたが重くなり、うとうとし始めた時だった。無線が唐突に耳触りな甲高いノイズを奏でた。浅い眠りを破られた平塚は、即座に覚醒した脳がまだ基地からの通信が入るには早いと告げるのを聞く。行動中の僚機間での通信はレーザー通信に限定されているから、僚機からの通信でもない。何かあったのか。
吹っ飛んだ眠気を惜しむ間も無く、ノイズは徐々に明瞭になっていく。
(……しは銀河帝国皇帝、ロベルト・パーシヴァル・レーモンドです。この放送は地球で使われている、全ての無線通信網を介して流れています。どうか、落ち着いてわたしの話に)
途中まで聞いたところで無線を切った平塚は、そのまま隊長とのレーザー通信回線を開いた。
「隊長……これは……」
(ああ……どうなってるんだ、これは)
焦燥を滲ませた根本の声が耳朶を打つ。一般的に、軍が使用するレーダー、無線等は民間のものよりも強力で盗聴防止の為にも強固な電子的なバリケードが設置されている。民間の無線に割り込むならまだしも、国防隊の無線に割り込むとは尋常ではない。
(隊長、最大速力で基地へ帰投することを具申します)
平塚の前を走る《八九式》に乗る清水哀少尉が、冷静な声で無線に入り込んで来る。確かに基地と通信できない以上、行って状況を確かめるのが先決か。が、最大速力とは言っても、エンジンに掛けられているリミッターを解除するだけだ。エンジンや駆動系を保護する為に掛けられているそれをわざわざ解除して、万が一どこかに損傷を拵えでもしたら始末書もの。加えて、整備兵から白い目で見られるのは避けられないだろう。
整備兵とパイロットのムードが険悪になることほど怖いものはない。もし自機担当の整備兵が機体の整備を手抜きしようものなら、いざという時に整備不良による事故や機能停止が起こりかねない。
おそらく同じことを考えているだろう根本は、二分程沈黙を保った後に(よし。全機、リミッター限定解除。最大速力で基地に帰投する。全責任はわたしが持とう。……トレーラーも付いてこれるな?)と告げた。後続のトレーラーの運転手が肯定すると、リミッター解除の命令が再び下った。
「了解」
(了解です)
後に続いた清水の声は聞き流し、平塚はハッチを閉める。閉められたハッチの前面と上面に据えられたモニターが作動して、左右のモニターが先ほどまで見ていた景色を映す。CG補正がかけられたその景色は、実景よりも色鮮やかだがそれは自然本来の美しさを殺してしまっていて、妙な息苦しさが平塚を襲った。
水筒を逆さにして不味い水を飲み切った平塚は、「ガスタービンエンジン、リミッター限定解除。操縦をおれに寄越せ」と言った。音声入力ソフトが指示の了解を示す。機体のタービンの回転数が上がっていくの耳とコックピットに伝わってくる振動で感じる。
平塚は根本機と清水機が土煙を上げ、驀進するのを見届けると、何かを振り払うが如く自らもアクセルを踏み込めるだけ踏み込んだ。