4.やっぱり変人な先輩
しかし実際、神代先輩から手紙を奪うことがこんなにも大変だとは思わなかった。
第一に、クラスが違うどころか学年すら違うのだ。そうそう会う機会もなければ、会いに行くことすらも容易ではない。せめて後輩であれば、先輩という威厳を掲げて比較的堂々と、教室に通うこともできよう。だけれども、先輩となると話は別である。後輩という立場で、毎日毎日先輩達の聖域に足を踏み入れるのは如何なものだろうか。
これを夕香に相談したところ、
「神代先輩は人気あるからね。あんまし付きまとうと目を付けられるかもよ。あたしのようにね……」
最後の哀愁漂う一言には、すごく説得力があった。
夕香は一年の時、生徒会のファンの代表である女の先輩達に、呼び出しをくらったことがあるのだ。ミーハーな性格が祟っての出来事である。今でこそ彼女は遠くからイケメンを眺めることだけで満足しているが、以前の彼女はかなりの行動派だった。まあ、夕香一人だけではなく、彼女含め数人のミーハー集団がいたのだ。生徒会に対し手紙だのプレゼントだの、馴れ馴れしすぎるだのと、悪目立ちする部分が多々あり(そこまでの熱意には感動したが)、お仕置きを受けるという結末を迎えた。
「ほんと、桐子には感謝してるよ」
遠い目をしながら彼女は言った。
実は先輩達のお仕置きは一度だけではすまなかった。先輩達も相当な生徒会オタクで、余程夕香達が邪魔だったらしく、最終的にイジメにまで発展したのだ。
それを見兼ねた私は、先輩達に本気でキレてしまった。あんなに大声を出して怒ったのは初めてだったと思う。だって、それほどタチの悪いイジメだったのだから仕様がない。
しかし、さすがに彼女達もやり過ぎだと気付いてくれたようで、その後は何事もなかったかのようにお互い大人しくなり、今に至るのである。
そんなことがありつつも、未だミーハーであり続ける夕香には恐れ入るのだが(かなり抑えてはいるようだが)。
とにもかくにも、夕香の助言は聞き入れるべきだろう。私だってもう関わりたくはない。
ゲームを開始して一日目。とりあえず本日の成果を振り返ってみる。
まず、朝はかなり早起きをして校門前で神代先輩を待ち構えた。彼は現れはしたものの、私の姿を見つけた途端、他の学生達に紛れて消えた。素早い。
授業の合間の休み時間には、勇気を出して三年の教室を覗いてみた。だがあまりのアウェイ感に、一度で挫けた。大体、見当たらなかったし。あとは先述した通り、後輩という立場をわきまえ、三年の教室訪問は止めた。
放課後、生徒会室に寄ったのだが、前園会長が申し訳なさそうに「帰ったよ」と教えてくれた。
今日は完敗だった。
そして今、私は途方に暮れつつ、我が家へと向かっていた。
まだ一日目だが、この調子ではやばい。何か対策を考えなければ。
ふと、近所の公園が目に留まる。二、三人の子供が、キャッキャと遊んでいる何の変哲もない小さな公園だが、見覚えのある人物がベンチに座っていた。
焼き栗色のふわふわパーマの髪の毛。後ろ姿ではあるが、あれは間違いない。神代先輩である。
一体、こんなところで何をしているのか。気付かれないよう、ゆっくりと背後から近付いてみる。なんだか頭が傾いているような。どうも私に気付く様子もない。
別に驚かそうとか、抱きつこうとか、そういった遊び心も持ち合わせていないので(神代先輩に対しては)、堂々と彼の横顔を覗いてみる。
ふわふわパーマの毛の下には、目をつむり少し口を開けて寝息を立てている顔が隠れていた。人の気も知らないで、なんとまあ幸せそうな寝顔である。こんなところで寝ていたら、ひったくりに遭ったって文句は言えまい。
そう、彼のブレザーのポッケに入ったラブレターが盗まれたとしても。私はすぐさま目標へと手を伸ばす。
大チャンス。
が、手がブレザーへと触れる寸前、手首をがしりと捕まれた。
「寝込みを襲うだなんて、なかなか大胆だね。寺石桐子さん」
気付かれた!
こちらを見上げ、にこりと微笑む先輩。
「でも残念だな。オレの顔を覗いてくるから、キスでもしてくれるのかと思ったのに」
起きてたんかい。まさかの罠?
「寝てたんじゃないんですか」
「君にチャンスを与えてあげたんだよ」
ベンチから立ち上がって「うぅ~ん」と唸り伸びをしながら彼は言った。
「今日の君があまりにも不甲斐なくて」
反論はできない。が、最初から渡す気のないチャンスを与えられたところで無意味である。
「あの、私がここを通ることわかってたんですか?」
「うん」
なぜ。めちゃめちゃ怪訝な顔をすると、
「生徒会副会長の情報網を甘く見ないでくれたまえ」
どや顔で言われた。
「ところでさあ、オレの名前知ってる?」
唐突に話が変わったな。
「神代先輩でしょ。もう忘れません」
「嫌だな、下の名前だよ」
知るわけがない。存在すら昨日知ったばっかりなのに。
神代先輩は頭を掻いて、呆れたようにこちらを見た。
「まったく、無関心にもほどがあるよね」
「そう言われても知る機会もなかったですし、呼ぶわけでもないですし」
すぐさま切り返せば「冷たいなぁ」とわざとらしく肩を落とし、
「オレは史斗って言うの。きちんと覚えなさい」
びしりと指をさされた。なぜ急に先輩風を吹かし始めたんだ、この人は。
「よくわかりませんが、よくわかりました。神代先輩」
「わかってない! そこは史斗先輩って呼ぶところだ!」
なんかもうどうしよう。限りなく面倒くさい。とにかく会話を軌道修正しなければ。
「それよりも、もう手紙を渡してもらえませんか。差出人は私じゃないって、先輩もわかってるんでしょう?」
好きな人であるはずの下の名前も知らなかったのだから。
すると神代先輩は恨みがましい視線を私に寄越し、
「まあ、君のセンスでないことだけは確かだね」
ブレザーのポッケを軽く叩いた。なんだかひどく腹立たしい。
「確かにラブレターなんて出すようなタイプではありませんが、あなたは私の何を知っているというんですか」
「知ってるよ。言っただろ、生徒会副会長の情報網を甘く見るなって」
「じゃあ、全校生徒の帰宅ルートを把握しているとでも言うんですか」
彼は「まさか」と言って、突然私に顔を近付けてきた。
「……君は特別。嬉しい?」
耳元で甘く囁かれ、思わず赤面した私は瞬時に引き下がった。
「か、からかわないで下さい!」
先輩はクスクス笑い出す。恥ずかしい人である、まったく。
「あ」
「え?」
突然、神代先輩は私の後方、公園の入り口辺りに視線を向けた。少しばかり目を細め、しばしの無言が続く。私も振り返って見てみるが、特に何もなかった。子供が走り回っているのが、端々に見受けられるだけである。
「あ、あの?」
声をかけると、彼はこちらに視線を戻し、
「案外、早く決着つくかもね」
にこりと微笑んだ。
私とのゲームのことだろうか。しかし今日の不甲斐ない結果からなぜいきなり、そんな予測が立てられたのか。
先輩は「帰るね」と言って私に背を向ける。
「はあ、さようなら……」
何となく肩透かしを食らった気分になった。
すると神代先輩は振り返って、
「明日は本気で来いよ、寺石桐子さん!」
手を振って、ハッハッハと高笑いしながら公園を出ていった。
残された私は、なんだか台風が去ったあとのような感覚に陥る。
一つわかったことは、やっぱり先輩は変人だということだ。つまり、何にもわかってないということと同義である。
私は溜め息をついて、再び我が家へと向かったのだった。