終 この世界は檻だった。
第一章完結! 次回は断章を挟み、いよいよ物語のメインとなる異世界へと旅立ちます。
「まぁ、そんなわけで嫌われる事が多い数学だけれどな。いいかよく聞け。ゴホンッ」
教卓の前で数学の中年教科担任が何か言っている。
なんだ?
俺は今何を……そうか、なるほど。
今は三限目の数学の授業の時間で、俺は寝ていたんだ。
「いいかい? 数学はスガーク! 簡単だよ!」
最高にスマイリーな表情の元、発せられた言葉に教室中が凍り付いた。
そういえばこの頃、娘が相手してくれないとか言っていたけれど、恐らくアンタのそれが原因だろう。
心の中で思って、前にも一度、これと同じことを考えた事があったような気がする。
そう感じて考えてみるけど、何も浮かばない。
「さてと、そろそろ授業も終わりに近づいてきたね。今日はこの辺にしとくかぁー――なんだ?」
中年教師の言葉が止まった。見ると視線が窓の外へと向いていた。
その視線につられ、生徒達の視線も窓の外へと向けられていく。
「――――!」
何やら声が聞こえる、叫び声だ。
窓の外から聞こえるが、上手く聞き取れない。
教室中がざわめき始めた。
中年教師が何事かと、窓辺に歩みを進めて外を見下ろしている。
「な、なんだあいつは?」
そして教師から出た疑問。
教師に続いて、教室中の生徒達が窓辺へと駆けよっていく。
「なんだ?」
口にして俺は、そっと席を立ち上がった。
「おい大十! なんかアイツ、お前の名前呼んでるみたいだぜ?」
「え? 俺?」
集まる生徒の一人からでた言葉。俺の名前を呼んでいる? 知り合いかな?
気になり、歩幅大きく窓辺へと歩みを進めた。
「……誰よあれ?」
「大十よ。あの奇怪な格好をした白い男は、お前の知り合いなのかぁ?」
言うのは、俺の古くからの親友である一之瀬だ。
彼は腕を組み神妙な顔つきになって窓の外にいる男を見ていた。
男はグラウンドの中心で大股広げながら、両腕を豪快に左右に振って何やら叫んでいた。
「いや、残念ながら知らないね。俺の名前を呼んでいたってのは本当なの?」
「おうよ。ほら聞いてみ、現在進行形で叫びまくってるから」
言われて耳を澄ましてみる、すると周りの生徒達のざわめきに紛れて、聞こえる声があった。
「おぉーい。たーいぃーとくぅーん。あーそびーまよぉー」
「あ、やっぱ知らないわ。知っていても関わりたくないわ」
こちらに激しく手を振る白い衣服に身を包んだ男は、満面の笑みを携えて俺の名前を叫び続けていた。
「あれ……ちょっと待てよ?」
一度窓の外から視線を外した俺は、もう一度確認するように白い男の全体を見てみた。
すると、何かが浮かんでくる。そうだ。あいつは――。
「ゆ、ユーク――、ユーク!? そうだ! ちょっ、なんだここ? 一之瀬、今何時だ?」
おかしい。なんだこれ。
俺は少し前まで山の上の屋敷で、ブリキを見つけて彼女に助けを求めていたはずだ。
何故俺は学校にいる? 今は何時だ? やけに空が明るい。
「ユーク? 外人さんかぁ? ……時間は、十二時にもう少しなるんじゃないのかな。次が四時限目で終わったら飯だ」
「十二時……つまり、今は三限目の終わりか。俺が全てを思い出した数学の時間……時間が巻き戻っている!?」
「はぃ? お前は何をファンタジーなこと口走ってやがる?」
一之瀬を無視して俺は駆けだしていた。教室を出て勢いよく階段を駆け下りる。
「本っ当に、世界はどうなっちゃたんだろうね」
★
「やぁやぁ大十少年。遅かったね待ちくたびれたよ。なんだかね、君のクラスの女子生徒達が僕に向けて、まるで気味の悪い物でも見る様な視線を向けてきて、非常にチクチクしたよ! 何か変な趣味に目覚めそうになっちゃった!」
満面の笑みを絶やさずに、どこか嬉しそうに言うユーク。
「その趣味に目覚めることはお勧めしないよ……、で、これは一体どういう状況なんだい?」
グラウンドまで全力疾走で校内を走ってきた俺は、両膝に手をついて息を整えることに必死だ。
「君を閉じ込めていた奴が動いてるね、逃がさないつもりだ。この世界は君の記憶によって繰り返されている十一月三十日なんだよ。だから君を失ったら、この世界は維持できなくなる」
言い終えてから白のコート、そのポケットの中をまさぐって一枚の布きれを取り出した。
それを丁寧に両の掌に載せてから、はいっ、と俺へと差し出してくる。
「……、これはなにかな?」
「どうぞ! ずっと前から好きでした!」
何を言っているんだろうね、この人は。
思いながら、彼がとる行動なのだから無駄なものでは無いのであろう、俺は掌にのった布切れへと手を伸ばして、布の端っこを摘んで広げてみた。
「ちょっ、なんだこれ!」
広げた瞬間、摘まむ指先から力が抜けて、それが落下していく。
落ちていく布切れ、ユークがスライディングと共に見事に落下するそれをキャッチした。
「そう。お察しの通りパンツだ」
「真顔で言うな! 変態!」
へらへらと笑いながら出た男の言葉、それから人差し指を立てて唐突に真剣な顔つきになり次の言葉を発する。
「これは、伊神霧恵女性の桃色パンツだ。少し前にカバンの中から拝借したもので、君にはこれを頭から被ってもらう」
「あのぉ、アンタは馬鹿なのかなぁ!? いや、馬鹿だね! 否定のしようもない馬鹿野郎だよ!」
★
「どうやら敵も焦っているようだね。この島と一切の関わりを持たない僕が簡単に中に入れるようになっている……、無理矢理に君の時間を戻して取り込もうとしたけれど大失敗! 魔法使いをなめてもらったちゃー困るよね!」
実に楽しそうな口調でそう言うユーク。
そして現在、俺は人生初の体験をしていた。
「おっと、これ本当に落ちないんだろうな?」
「大丈夫、大丈夫! 魔法使いを信じなさい!」
とても心配だ。
俺は今、空を飛んでいた。
正確には飛ばされていたというのが正しいのだろうか、ユークが言うには魔法を使って、俺を浮遊させているらしい。
時間が止まって、一日がループしていて、お次は魔法ときたものだ。
ユークのすぐ横で顔を進行方向へと向け、さながら正義の特撮巨人ヒーローの様に空を飛ぶ。
向かうは屋敷だ。
それともう一つ、俺は初めての体験をしていた。
それはなんというか、とても言いずらいのだが……。
俺は今、人として進んではいけない領域に存在していた。
「おや? 匂いを嗅ぐだけじゃなくて被らなくていいのかい?」
「被るわけないだろう!?」
そう俺は今、幼馴染のパンツの匂いを嗅いでいた。
それはもうしっかりがっつり、右手で握りしめた下着を通して空気を吸っている。
「被り心地良いのになー」
「え? 被ったの?」
ユークの聞き捨てならない台詞に物申す。
しかし、俺の言葉に答えを返さずに、ユークはこちらに笑いかけてきた。
「いやぁ、女性の下着を目の間にして、男としての理性を保っていられる大十少年は凄いね! 尊敬しちゃう!」
――うわ! この人絶対被ったよ!
心の中で叫ぶが、俺だって人の事をとやかく言える状況ではない。
俺が匂いを嗅いでいる理由、それはユークが″敵″と呼ぶ存在の力によって、俺が再びあの教室へ戻される事を阻止するためだ。
幼馴染の匂い。それが霧恵の匂いだと理解できる。
そうやって幼馴染の下着の匂いを嗅いでいれば、嫌でも現実を認識してしまう。
それによって幻想を回避するという――あれ、これ別にパンツじゃなくてもよくないかな?
頭によぎる疑問を捨てて、俺達は屋敷に到着した。
★
「遅いわよ! 早くしないと十一月三十日が終わる……、そしたら嫌でも貴方はまたループすることになるのよ!」
また不機嫌な顔をして、霧恵が俺に怒声を浴びせてくる。
それも俺を心配してのことなのだろう、聞き入れたその声に答えるべく、俺はブリキに再び願いを告げた。
「改めてお願いするよ! 俺を救ってほしい……お願いできるかな?」
俺の言葉にそっと頷いて、彼女がベッドから立ち上がる。
俺を閉じ込めている世界は今、とても曖昧な状況下にあるらしい。
ブリキの元まで来るのに、天井に開いた穴から部屋に入った俺達だが、部屋を見回すと所々綺麗な壁や整った絨毯などが敷かれているかと思えば、壁が崩れてくすんでいるところもある。
世界は今、現実と幻の狭間にある。
ブリキの踏む床には瓦礫が落ちていた。砕けた天井からさす月明かりに身を浸しながら、ブリキが両手を頭の上へとかざす。
瞬間。
視界が歪んだ。
歪む視界の影響を受けているのは俺だけではない、ブリキの隣に立つ霧恵や俺の背後に立つユークなども影響を受けているらしく、皆が怪訝な表情を浮かべ顔を会わせた。
その時だ。耳をつんざくような叫び声が聞こえて俺の聴覚を刺激した。
それは部屋に響いたものでは無くて、なんというか、世界全体に響き渡っている音の様な気がした。
とても人間の物とは思えない叫び声、俺や霧恵が何事かと視線を動かす。
「来たね」
未だに続く叫び声に重ねられたユークの声。
その声と同時に世界が揺れた。
「じっ、地震!?」
揺れる視界。床が振動している。
振動の後に叫び声が一層大きくなり、何かが部屋の壁に激突した。
激突と共に壁が吹き飛び煙が上がって、視界が奪われる。
吹き飛んだ壁は、部屋の入口の反対側の壁だ。
「何よこれぇ」
「霧恵女性落ち着いて、見てごらん。あれが僕達の敵さ」
煙が視界を奪う中で、部屋の入り口とは反対側の崩された壁、煙の中から二本の大きな手が姿を現した。
伸ばされた手は、俺の身体のウエスト部分を掴んで壁の外へ引きずり込もうとしてくる。
「ちょっ、なんだよこれぇぇ!? ……化け物?」
その内、視界を奪う煙が薄くなり、俺を掴む巨大な剛腕の主がその全体をあらわにした。
見るとその全体は黒い人型。しかし、背中には二枚の羽が生えており人型をしている図体も異常に大きい。
――ていうか、これは少しまずくないかな?
俺を砕けた壁の外へと引きずり出さんと、剛腕に力が込められる。
「ちょぉぉぉぉ助けてぇぇぇぇぇ!!」
焦る俺の手がベッドのシーツを掴む。しかし、掴んだシーツに相手の剛腕の力に対抗するだけの耐久力はなて、シーツごと俺は壁の外へと引きずり出された。
俺が部屋の中へ助けを求める視線を送る中で、最後に俺が視界に捉えたのは、満面の笑みでこちらに手を振るユークの姿だった。
★
現れた巨大な化け物に見事に捕まった俺は今、屋敷の空を飛んでいる。
化け物が背中に携えた羽は、飾り物ではなくしっかりと機能していた。
両の羽をはばたかせて、空高くへと浮上していく。一体、俺をどこへ連れて行こうというのか。
「ハハハッ……、笑えない冗談だ」
無造作に掴まれた俺の体を握る力はそれなりのもので、少しの痛みを感じる。
空には大きな月があった。見るとその月は、ガラスの様に砕けた空の間から見えるもので、まるで飾り物の様な空の中に、綺麗な月が埋まっている。
恐らく、あれは現実世界の月なのであろう、ではあの割れた空の先へと進めば、この止まる世界から出ることができるのだろうか、様々な思考が一気に俺の頭の中に浮かび上がる。
それからもう一度、視線を屋敷の砕けた天井へと向け、そして見つけた。
彼女を。
「ブリキ! って、空飛べたの!?」
俺が視界の中に捉えた少女は、空を浮遊していた。
こちらへ向けて一直線に直進してくる、それに気づいた化け物が大きな唸り声を上げた。
「うおぉぉぉ、ちょっとなんかヤバイよこれ! ブリキ!! 逃げた方がいいよぉぉぉっとうおわぁぁぁぁぁぁぁ」
唸り声と共に俺を掴んだ右手を振り回す、何回か振り回されて俺の吐き気が限界へと近づいたその時だ。
再び化け物の唸り声が、偽物の空と本物の月を背に響いた。
「えっ?」
――何が起きた?
唸り声の後、俺の体は宙に投げ出されていた。落下する。
「ちょっうえぇぇぇぇぇぇぇぇぇいやぁぁぁぁぁぁぁぁ」
死を悟る、屋敷の正面にある大きな庭の芝生が近づいてくる。
「おっと危ない。涙吹けよベイベー!」
ハイテンションに告げられた声の主はユークだ。
彼は浮遊して落下する俺を掴み、助けてくれたようで、相変わらず口元に笑みを携えた彼に俺は本当に心からの感謝の気持ちを伝える事にした。
「ありがとう! いや、ほんとにっ、ゲホッゲホッ。死ぬこれ!」
俺の眼前には大庭の芝生があった。
本当に目の前であと数瞬、ユークの助けが遅かったら俺は間違えなくお星様になっていたであろう。
すぐ横の芝生には霧恵もいた。彼女は両の瞳を輝かせて空を見上げている。
それからユークが芝生の上に俺を降ろして、見てごらん、と空を指さす。
「これは……、なんというか綺麗だね」
指の先に広がる世界は、美しい輝きを放ちながら消滅していた。
元々、少し砕けていた空が張りぼての様に崩れていく。
破片が飛ぶが、その破片が俺の所まで落下してくることはない、偽物の空が落す破片は、すぐに光となって消えていったからだ。
――世界が崩壊しているんだ。
そう感じた。そして視界の中心にいる一人の少女と、巨大な化け物。
見ると巨体の右腕がなくなっていた。
何らかの力が生じて右腕が失われたのであろう、それによって俺は落下したわけだ。
まぁ、結果的に助かったのだから良しとしよう。
壊れゆく世界を捉えた視界の中で、少女が化け物へと両の手をかざした。
その瞬間だ。
化け物の体が霧の様に四散し、後に残ったのは何もない虚空。
「さて、そろそろ危ないから脱出しようか」
ユークが言いながら振り返って俺の額に指先で触れ、続けて霧恵の額にも同じように触れた。
先程、グラウンドから屋敷まで飛んで来た時と同じ力を俺達に与えてくれたのであろう、それは空を飛ぶ浮遊の力。
身体が浮上して先の空を行くユークを追う様にして、俺の身体も壊れゆく世界の空を進んだ。
「大十少年。理解は及んだかい? つまり、この世界は檻だったってことさ」
不敵な笑みを浮かべる男から、壊れゆく世界にそんな声が落された。
おつかれさまでしたー。
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