Ⅱ 知らない人
一読いかがですか?
窓から照る、傾きかけた太陽の光が眩しい。
教室内は静まり返っていた。
それもそのはず、既にHRを終えてかなりの時間がたっている、特に用事の無い生徒たちは帰路についているであろう。
グラウンドからは、運動部の掛け声が聞こえる。
教室内にいるのは、俺ともう一人だけ。
つい先日赴任してきたばかりの若い世界史の教科担任。
伊神霧恵先生だ。
さてさて、帰路につこうという生徒を呼び止めて、一体そこまでして話したい事とはなんだろうか?
考えてみるが、うまく頭が回らない。
俺は手に持っていた手提げカバンを適当な机の上に置いてから、次の言葉を聞いた。
「本当に君なんだ?」
聞いた言葉、しかし、理解の及ばない内容のそれに、どう反応してよいものかと考える。
そして返した。
「ええと……はい、俺ですが?」
「静かに、顔を見せて」
言うなり俺の肩に手を置いて、真っ直ぐと二つの瞳を俺の顔に向けた。
なんだろう、女性にこんな風に見つめられたのは初めての経験で、しかも、突然の行動に顔全体が熱くなる。
「は、はいっ!?」
「同じだ……本当に君なんだね?」
聞こえた声は、再びの疑問で。
それに対して俺の口から返すことのできる言葉はなかった。
「あっと、ごめんね。あのさ、私の顔に見覚えとかない?」
「見覚えですか? ……そうですね」
俺の肩を押さえつけていた両手を離して、一歩を後退ってから再び質問を投げかけてきた。
まったく、奇怪な行動をとる人だ。
しかし、初めての理解の行く質問の内容に、俺はすぐさま答えを出した。
「……ないですね。先生みたいな美人は、そうはいないものですよ」
媚びを売るくらいの余裕はあるようだ。
「……そう。まぁ、いいわ。ごめんなさいね、急に呼び出したりして……話はそれだけよ。さようなら、貴志雄大十君」
何故だろう。彼女の声には悲しみの感情が込められていた。
なんとなくだが、感じ取れたそれに対して、自然と自分の眉間に力が入った。
何か気に障るような事を言ってしまっただろうか?
来る声も質問で、考えることも質問だ。
まったくもって、わからない事だらけの要件だった。
ただでさえ、俺には問題が山積みなのに……。
問題?
そこまで思考して、自分の中で忘れてはいけないある事を思い出した。
家族、また忘れていた。
俺には家族がいて、三限目の数学の時間に思い出して……。
何故、こんなにも大切なことを忘れかけていたのか、というかイレギュラーすぎるだろ。
どれだけ阿呆なんだ俺は、何かが、呪的何かが俺に働いているのだろうか。
実に恐ろしい話だ。
しかし、だとすれば誰がそんなことを?
再び考えて、一つの結論に至る。
一之瀬の野郎。明日にでも覚えておけよ。
と、自分の中で勝手な結論をつけて、明日の友人へと浴びせる暴言の内容を考える。
先ほどまであった余裕は、どうやらなくなってしまったようだ。
人生万年留年生という、我ながら実に滑稽な暴言を考えたところで、その思考が全て止まる。
真剣に考えなくてはいけないことだ。
「あ、一ついいかな?」
「あっ、はっ、はいぃ?」
思わず声が裏返る。
伊神先生の言葉で、なんとか現実に戻ることができた。
どうにも俺は、頭の中で展開される自分の世界に浸るのが好きみたいだ。
「これは、とても大事なことよ? あなたの今後の全ての事柄について関係していること」
言う彼女は真剣だ。強い視線を痛いくらいに感じる。
「山の上の屋敷に向かいなさい。それだけよ。さようなら」
さようなら。
そう言いながら振り返り、教卓のある扉の方へと、スタスタと歩いてゆく。
「山の上の? 屋敷?」
聞いた言葉の内容は、やはり理解のおよばないものだ。
しかし、それは俺の今後に関わる重要なことだと聞いた。
「……わからないな」
謎しか残らない会話の連続、それが今終わりを告げたのであった。
おつかれさまでした。