表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

ヒロイン視点:舞台を降りた人と、残った私

いつも通りの学園生活を送っていた、その日のことだった。


授業の合間、教師に名を呼ばれ、別室へ来るようにと言われた。

心当たりはない。


首をかしげながら後についていくと、そこで知らされた。


「……ヴァルディエール伯爵夫人と、その子息が行方不明だそうよ」


一瞬、耳を疑った。


――行方不明?


(そんな展開、あったっけ)


胸の奥で、嫌な音がした。

鼓動が一拍、遅れて伝わってくる。


私はクラリス・ヴァルディエール。転生者だ。

前世は日本人。


ここが乙女ゲームの世界だということも、自分がヒロインであることも、生まれてすぐから分かっていた。


だからこそ、はっきり覚えている。


ゲームでは、エレノア様とルカは、まとめて断罪される。

理由は単純だった。


伯爵の「家族」だから。


罪はない。

何もしていない。

それでも、絞首刑。


(……それが、どうしても嫌だった)


私は、出来ることなら、その未来を変えたかった。


父――アルベルト・ヴァルディエール伯爵は、早く断罪されるべき人間だ。

ゲームの悪役として登場した彼は、ロリコンで性犯罪者だ。


私に対しても、いつも、値踏みするような視線が気持ち悪い。


七歳のとき、実母が「用済み」のように店を追い出されたのを見て、確信した。


(この人、完全にアウト)


実母は十六歳で私を産み、二十歳になったら娼館へとまた売られた。

前世の記憶が正しければ、その後すぐに病気で亡くなっているだろう。


実際、私は彼女に数度しか会ったことがない。

正直なところ、私にとっての母親は前世の母だけだ。


断罪なんて、小説や漫画では何度も見た。

でも、現実になると、そう簡単じゃない。


まず、屋敷の中に味方がいない。

使用人たちは皆、伯爵から賃金をもらっている。


私に優しい人はいるけれど、私の計画を打ち明けて、黙っていてくれる保証はどこにもなかった。


養母であるエレノア様は、伯爵と仲が良くないようだった。

外に愛人がいるらしいという噂もあったし、息子に依存しているという評価も耳にした。


出来の悪い嫁。

それが、この屋敷での彼女の立ち位置だった。


けれど正直、私に嫉妬して、私と伯爵を二人きりにしないよう侍女に命じていたことだけは助かった。


伯爵と二人きりになった瞬間に感じる、あの、じっとりとまとわりつく視線。


家にいる限り、私にできることはほとんどない。


エレノア様は頻繁に町へ出ているようだったから、私も街へ行ってみたいと伯爵に伝えたことがある。


そのとき伯爵は、私の手を握りながら、外は危ないと優しい声で諭した。


けれど、握られた指先は、執拗に撫でられていた。


伯爵が部屋を出たあと、私は思わず手を洗った。


この家で私が出来ることはない。


だから私は、学園入学と同時に動き出した。

攻略対象と恋をするより先に、伯爵の悪事の証拠を集めるために。


もっとも、攻略対象である公爵家の嫡男――レオンハルト・アルヴァインは、正直とても魅力的だった。


感情に流されず、事実だけを見る目を持っていて、私の話を途中で遮らない。


伯爵のことを相談するうちに、私は少しずつ彼に心を許していった。


同情でも、保護でもない。

対等に怒ってくれる人。


気づいたときには、彼の前では呼吸が楽になっていた。


恋に落ちたのは、たぶん、そのずっと後だ。


伯爵の悪事は、明確だった。


裏の娼館。

消えた平民の娘たち。

不自然な金の流れ。


誘拐された娘の中には、エレノア様の子と変わらない年齢の子供もいた。


断罪されて、当然だ。


でも同時に、私は考えていた。


(エレノア様とルカを、どうにか助けられないか)


エレノア様は、すこし不思議な人だった。


悪役の妻らしいと思う瞬間と、使用人が少ない場での空気が、どこか違う。


ルカ君と関わっている姿には、なぜか前世の母を思い出した。


私には過剰に関わらない。

というより、関われないようにされているように見えた。


それでも、妙に距離は保ってくれる。


伯爵と私が二人きりになりそうな場面では、必ず、さりげなく誰かを挟む。


(……もしかして)


そう思ったこともあった。


だからこそ。


「行方不明」


その言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。


(まさか……)


私は授業を抜け出し、王都で馬車を捕まえた。

目的地は、伯爵領。


王都からそこまでは、馬車で二日。

距離そのものより、その「時間」が重かった。


揺れる車内で、私は何度も同じ考えに戻る。


ストーリーには、なかった。

エレノア様とルカが、行方不明になる展開なんて。


断罪は王都で行われる。

証拠が揃い、壇上で暴かれ、すべてが終わる。


それが、私の知っている未来だった。


――それまでに殺される展開なんて、なかったはずだ。


でも、現実はゲームじゃない。


(……証拠集めを、勘違いされた?)

(私の動きが、どこかで漏れた?)

(口封じ……私のせい?)


考えるほど、最悪の想像ばかりが浮かぶ。

揺れに合わせて、胸の奥がざわついた。


眠れなかった。


目を閉じても、嫌な想像だけが鮮明になる。


――お願いだから、生きていて。


そう願い続けて、ようやく屋敷が見えた。


屋敷は、いつもより少しざわついていた。

使用人たちの足取りが早く、視線が落ち着かない。


でも、そんなことはどうでもよかった。


私は、まっすぐエレノア様の部屋へ向かった。


扉は、開いていた。


中を見た瞬間、私はほんの少しだけ息をつく。


荒らされていない。

持ち去られたものは確かにあるが、乱暴に漁られた痕跡はなかった。


――よかった。


部屋を見回していると、机の上が目に入った。


一冊の絵本。

この国で有名な童話で、誰もが一度は目にしたことのある、ごく普通の本。


……のはずだった。


表紙のタイトルの下に、小さく添えられた文字がある。


日本語。


(……え?)


心臓が、はっきりと音を立てて跳ねた。


ゆっくりとページをめくる。

中身は、何の変哲もない童話。

いつも通りの挿絵、いつも通りの結末。


そして、最後のページ。


物語の終わり。

その余白に、短い一文が書き添えられていた。


――それも、日本語で。


『私達、好きに生きるわね』


一瞬の沈黙。


次の瞬間。


「……っ、はは……あははははは!!」


思わず、声を上げて笑ってしまった。


背後で侍女が戸惑ったように声をかけてくるが、そんなの気にしていられない。


(なにそれ!!)


普通の絵本。

可愛い挿絵。

誰が見ても、ただの童話。


――でも。


これは、転生者にしか分からないメッセージだった。


さらに気づく。

裏表紙が、ほんのわずかに膨らんでいる。


開いてみると、中には数枚のメモ。

どれも日本語で書かれていた。


内容は、商人経由と思われる伯爵の悪事の断片。


決定打にはならない。

でも、私が集めてきた証拠とつながる部分がある。


(……全部、分かってたんだ)


断罪ルート。

巻き添えになる未来。


だから、逃げた。


関わらず、でも気を配って。

最後は――

舞台そのものから、降りた。


このメモは、きっと賭けだった。

自分以外に転生者がいるかもしれない、という。


もし他の人が見つけたとしても、ただの落書きにしか見えないだろう。

この文字を読める人間がいるなんて、普通は思わない。


根拠はない。

でも、はっきり分かる。


あの二人は、きっと大丈夫だ。


私は絵本を閉じ、深く息を吐いた。


(……よし)


学園へ戻る。


帰りの馬車は、行きとは違った。

胸の奥が、妙に軽い。


向かう先は――彼のもと。


顔を見るなり、私は満面の笑みで言った。


「予定が変わったわ」


「え?」


「あんなクズ、さっさと断罪しちゃいましょう!」


今までで一番、晴れやかな笑顔で。


だってもう。


守るべき人たちは、自分で未来を選んだ。


残るのは――

悪役の後始末だけ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ