4.
彼女と出会ったのは、街の外れに並ぶ小さな露店の一角だった。
市場の中心部から少し離れたその場所は、派手さこそないが、人の流れが絶えない。常連と旅人、地元民と外から来た者が自然に交ざり合い、品物だけでなく噂や情報も行き交う場所だ。
隣国から来た商人がいるという話は、少し前から耳にしていた。女性ながら自分の商会を立ち上げ、仕入れから売り先の開拓までを一手に担っているという。にもかかわらず、豪奢な馬車も、目立つ護衛も連れていない。
(――無駄がない人ね)
実際に目にした第一印象は、その一言に尽きた。
名前は、マリア・ロッサ。
背筋が伸び、足運びに迷いがない。視線は鋭いが、相手を威圧するものではなく、物と人を同時に測る“値踏み”の目をしている。
最初の取引は、宝石だった。
私が差し出した指輪を、彼女は何も言わずに受け取る。
「こちらは?」
短く問いながら、光にかざす。角度を変え、石の内側まで確かめ、台座の歪みや細工の癖、長年の使用による磨耗まで見逃さない。沈黙は長かったが、不思議と居心地は悪くなかった。
「買い取っちゃっていいの?」
「はい。相場より、少し下で構いません」
あえて理由を添えずに告げると、彼女はほんの一瞬だけ私の顔を見た。
「……なるほど?」
「ええ」
それ以上は言わない。マリアも、深追いはしなかった。
「品質は悪くない。急ぎでなければ、もう少し上にもできるけど?」
「構いません」
「なら、こちらで引き取る。交渉成立ね」
即断だった。
銀貨が数十枚、私の手に渡る。余計な確認も、書付もない。それで取引は終わった。
――そのはずだった。
数週間後。
同じ露店の前で、彼女は足を止めていた。足元には、少し大きめの布袋が置かれている。口がわずかに開き、中身がちらりと見えた。
赤紫の皮。細長い形。ごつごつとした、不揃いな表面。
(……あら)
思わず視線が止まる。
「それ、どうされたの?」
懐かしい見た目に、つい声をかけた。
彼女は袋を足先で軽く寄せながら、肩をすくめる。
「隣国の市場に流れてきた。珍しいが、扱いに困っていてね。食糧難の助けになると聞いたんだけどね。なかなか買い手がつかなくて」
商人として、ずいぶん率直な評価だ。
私は一歩近づき、改めて布袋を覗き込む。
(さつまいも)
見間違えるはずがなかった。前世で、何度も孫に焼いてやった芋だ。
この世界では主流ではない。見た目は地味で、土臭い。調理法を知らなければ、ただの“よく分からない根菜”で終わる。
「火は使えます?」
「もちろん」
「砂糖は?」
「ある。だが高い」
その言葉に、私は小さく頷いた。
「……なるほど」
そのとき、つないでいた手が、くんと引かれた。
「かあさま、これ、美味し?」
「ええ、とても」
マリアの眉が、わずかに動く。
「“売り物”になると?」
「ええ。私の思っているものなら、ですが」
「いいわね。聞かせて」
彼女は即座にそう言った。近くの椅子を引き寄せて私に譲り、自分は木箱に座る。
ルカは私の膝にちょこんと腰を下ろし、一度こちらを振り返って、いたずらっぽく笑った。
私は、その場で作ることはできないため、言葉で説明することにした。必要なところは、紙に簡単な絵も添える。
まずは、一番基本。
「一番簡単なのは、蒸すことです」
鍋に水を張り、蒸籠があれば理想。なければ布を敷いて、直接水に触れないようにする。
「皮ごと蒸してください。切らない。丸ごと」
そうすることで、甘みが逃げない。
「火を通すと、香りが変わります。砂糖を使わなくても、自然な甘さが出ます」
次に、焼き芋。
「皮ごと焼く。灰の中が一番ですが、火床でも十分です。できるだけゆっくり火を通すと、中が蜜のようになります」
私は、割る仕草をしてみせた。
「割った瞬間、湯気と一緒に甘い香りが立ちます」
「……匂いは重要だな」
「ええ。通りがかりの足を止めます」
次は、加工品。
「砂糖が使えるなら、蒸した芋を潰して練ります。裏ごしして、砂糖と少量の油脂を加える」
「丸めて焼けば菓子になりますし、薄く伸ばして焼けば日持ちもします」
さらに。
「角切りにして油で揚げ、砂糖を絡めれば――」
一拍置いて、続けた。
「外はカリッと、中はほくほくの甘味になります」
この世界に“大学芋”という名前はない。
話しているうちに、自分でも食べたくなってきた。何より、ルカに食べさせてあげたい。
マリアは腕を組み、少し考え込む。
「……酒場向けもいける?」
「ええ。甘さを控えめにすれば。塩を少し振るのも悪くありません」
「保存は?」
「薄切りにして天日干し。粉にすれば、粥にもパンにも混ぜられます。保存食としても優秀です」
彼女の目が、完全に“商人の目”になった。
「……これは、売れそうね。今まではジャガイモと同じ扱いだったけど」
その言葉に、私は一瞬だけ思う。
――それだと、この国の人には、少し物足りない味になる。
「なるほど。素材を殺してたわけね」
「情報料は?」
(頂けるものは、頂かないとね)
私は、おおよその額を告げる。決して安くはないが、法外でもない。
マリアは一切値切らなかった。
「妥当ね。これが想像通りに動けば、微々たるものだわ」
金貨を数枚渡される。
彼女は袋を結び直しながら、ふと顔を上げた。
「……名前は?」
「エレノア」
「私は、マリア」
それだけだった。
握手も、雑談もない。だが、その場の空気は確実に変わっていた。これは単なる取引ではない。“関係”の始まりだ。
その後も、彼女とは何度か街で顔を合わせた。偶然と言えば偶然だが、ゴーヤを手に、明らかに私を探していたこともあった。
下処理の仕方を教え、ゴーヤチャンプルーや天ぷら、佃煮の作り方を伝える。もちろん、報酬は忘れずに。次に会ったときには、隣国の暑い地域で、ゴーヤがひそかに人気になっていると教えてくれた。
それから幾月か経った頃。
「エレノア」
名前を呼ばれる。
「私は、必要なものを探している」
静かだが、力のある声。
「売れる品、人、そして――信用できる知恵」
彼女は、真っ直ぐこちらを見た。
「あなたは、それを持っている」
私は、すぐには答えなかった。市場のざわめき、子供の笑い声、遠くの呼び声が耳に届く。
「私は、ここにしばらくいるつもり」
マリアは続けた。
「次に来るときもあなたと話したいと思ってる。今は聞くだけ、だけどね」
(……ほんとに、凄い人ね)
私の事情も私がどうしたいのかも、きっと察しているのね。
私は静かに頷いた。
「私も、また貴方と話せたら嬉しいわ」
「では、また」
「ええ。また」
それだけで、十分だった。
帰り道、私はルカの手を握りながら考えていた。
学園入学まで、残りおよそ七か月。
迷いがないと言えば、それは嘘になる。
それでも足は止まらない。
私はただ、選んだ道を一歩ずつ進んでいく。




