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『伝統』という名の集団暴行。テニサーに洗脳され「団結こそ愛」と俺を捨てた彼女が、全国報道で破滅し泣きついてくるまで  作者: ledled


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9/9

エピローグ 幸福という名の復讐、あるいは新しい季節の始まり

丸の内のオフィスビル群が、夕暮れ時の淡い紫色に染まっていく。

高層ビルの二十五階にある会議室から見下ろす東京の街は、まるで宝石箱をひっくり返したように煌めいていた。かつて、地方から出てきたばかりの俺が圧倒され、どこか恐怖すら感じていたこの景色も、今では日常の一部になっている。


「相沢さん、今回のプロジェクト、大成功でしたね! クライアントの専務も大絶賛でしたよ」


弾んだ声と共に、缶ビールを差し出してきたのは、入社二年目の後輩、長谷川はせがわだ。

今日は大規模なシステム導入プロジェクトの打ち上げだった。会議室を借り切っての簡単な慰労会だが、メンバーの顔には達成感と安堵の色が浮かんでいる。


「ありがとう。長谷川さんが最後まで粘り強くデータ検証してくれたおかげだよ。あのバグ、君が見つけてくれなかったら今頃どうなっていたか」

「やだなぁ、相沢さんの的確な指示があったからですよぉ。私たち若手は、相沢さんについていくだけで必死なんですから」


長谷川は照れくさそうに笑い、ビールのプルタブを開けた。彼女は仕事熱心で聡明、そして何より、周囲への気遣いができる女性だ。

ふと、数年前の苦い記憶が脳裏をよぎりそうになるが、俺はすぐにそれを振り払った。

過去の亡霊は、もう今の俺には必要ない。


「乾杯!」

「お疲れ様でした!」


プラスチックのコップがぶつかる音が、心地よく響いた。

俺、相沢翔太あいざわ しょうたは、二十六歳になっていた。

大学卒業後、第一志望だったこのITコンサルティング企業に入社し、四年目。激務ではあるが、自分の能力を正当に評価してくれる環境で、充実した日々を送っている。


「そういえば相沢さん、聞きました? 今週の週刊誌ネタ」


少し酒が回ってきたのか、同期の男がニヤニヤしながら話題を振ってきた。


「なんだよ、また芸能人の不倫か?」

「いやいや、もっとえげつないやつ。あの数年前に世間を騒がせたテニサー事件の主犯格、刑期を終えて出てきたらしいっすよ」

「テニサー事件……ああ、『キングス』か」


俺は手元のビールを見つめたまま、淡々と答えた。心拍数は一つも上がらない。


「そうそう。なんでも、出てきたはいいけど親から勘当されてて、就職先もなくて、日雇いの現場でも『元ヤリサーの王様』ってバレてボコボコにされてるらしいっすよ。ネット記事になってました。『転落したエリートの末路』みたいなタイトルで」

「へえ、そうなんだ」

「反応薄いっすねぇ。相沢さん、あの大学出身じゃなかったでしたっけ? 知り合いとかいなかったんですか?」


同期が興味本位で尋ねてくる。悪気がないのは分かっている。彼らにとってあの事件は、消費されるだけのただのゴシップなのだ。


「まあ、同じ大学だったから噂くらいは知ってるけどね。関わりはなかったよ。住む世界が違ったから」


俺は嘘をつくことなく、しかし真実の核心には触れずに答えた。

「住む世界が違った」。それは今の俺の実感であり、偽らざる本音だった。

かつての俺は、彼らを見上げて、劣等感に苛まれていた。

彼らに復讐を誓い、地を這うようにして証拠を集め、破滅させた。

だが今はどうだ。彼らは泥沼でもがき苦しみ、俺はこうして温かい場所で、信頼できる仲間と笑い合っている。

もう、同じ地平には立っていないのだ。


「それより、次の四半期の目標の話だけどさ……」


俺が話題を変えると、みんなすぐに仕事の話に戻った。

須藤健人という男の破滅など、ビジネスの最前線で戦う俺たちにとっては、ビールのつまみにもならない些細な話題でしかなかった。


          * * *


打ち上げがお開きになり、俺は一人で駅へと向かった。

一二月の風は冷たいが、アルコールで火照った頬には心地よかった。

丸の内のイルミネーション並木道は、カップルや家族連れで賑わっている。幸せそうな笑い声、煌めく光。

かつての俺なら、この光景を見て「自分には関係ない」と目を逸らしていただろう。あるいは、隣にいない誰かを思って胸を痛めていたかもしれない。

だが今は、この美しい景色を素直に「綺麗だ」と感じることができた。


「……相沢さん?」


背後から声をかけられ、振り返る。

さっき別れたばかりの長谷川だった。彼女は少し息を切らして、白い息を吐いていた。


「あれ、どうしたの? 忘れ物?」

「いえ、その……駅まで、ご一緒してもいいですか? ちょっとお話ししたいことがあって」


彼女の頬が赤いのは、寒さのせいか、それともお酒のせいか。

街灯に照らされたその表情を見て、俺はなんとなく察した。そして、嫌な予感ではなく、胸の奥が温かくなるような予感を感じた。


「もちろん。歩きながら話そうか」

「はい!」


二人並んで歩き出す。ヒールの音がコツコツと響く。

長谷川は少しの間、言葉を探すように沈黙していたが、やがて意を決したように口を開いた。


「あの、相沢さんって、今……特定の方とか、いらっしゃるんですか?」

「えっ」

「あ、すみません! 不躾でしたよね! ただ、相沢さんすごくおモテになりそうなのに、全然そういう浮いた話を聞かないから、不思議だなって……」


慌てて手を振って否定する彼女の姿が、不謹慎だが可愛らしいと思ってしまった。

かつて俺が好きだった幼馴染の少女も、昔はこんな風に素朴で可愛らしかった気がする。

だが、その面影を今の長谷川に重ねることはなかった。長谷川は長谷川だ。自分の足で立ち、自分の言葉で話し、俺と対等に向き合ってくれている一人の女性だ。


「いや、いないよ。ここ数年はずっと仕事が恋人みたいなものだったから」

「そうなんですか……。あの、過去に何かあったとか……?」


彼女の勘の良さに少し驚く。

俺は立ち止まり、イルミネーションを見上げた。


「まあ、大失恋ならしたことあるよ。学生時代にね」

「やっぱり。忘れられないんですか?」

「うーん、どうだろう」


俺は少し考えてから、素直な言葉を紡いだ。


「忘れられないっていうか、今の自分を作るきっかけになった出来事だったとは思う。すごく辛かったし、相手を恨んだりもした。でもね、おかげで目が覚めたんだ。自分が何を守りたくて、何のために強くなりたいのか。それを教えてくれたという意味では、感謝してるかもしれないな」


「感謝、ですか……。相沢さんって、やっぱり大人ですね」

「ただの強がりだよ」


俺は苦笑した。

本当に、感謝なんて大層なものじゃない。ただ、あのドブのような経験があったからこそ、俺は這い上がり、今の場所に辿り着けた。

復讐心という燃料があったから、走り続けることができた。

そして走り抜けた先で、燃料は燃え尽き、後に残ったのは「自信」という強固な土台だけだった。


「私、相沢さんのそういうところ、尊敬してます。……いえ、尊敬だけじゃなくて」


長谷川が俺のコートの袖を、ちょこんと摘んだ。

その控えめな仕草に、心臓がトクンと鳴る。


「私じゃ、ダメですか? 相沢さんの新しい思い出を作る相手として」


真剣な瞳。

そこには、かつての優奈が見せていたような、承認欲求や計算高さは微塵もなかった。

純粋な好意と、少しの不安。

俺は彼女の手の上に、自分の手を重ねた。


「……光栄だよ。俺なんかで良ければ」

「ほんとですか!? やったぁ!」


長谷川がパッと笑顔を咲かせた瞬間、世界が一層明るくなった気がした。

俺たちは笑い合い、自然と手を繋いで歩き出した。

その手の温もりは、俺の中に残っていた最後の氷の欠片を溶かしていくようだった。


          * * *


駅前の広場に出ると、そこはさらに多くの人でごった返していた。

クリスマスマーケットが開催されているらしい。屋台から漂うホットワインやソーセージの香りが、冬の空気を賑わせている。


「あ、見てください相沢さん! 雑貨屋さんが出てますよ!」

「ちょっと見ていく?」

「はい!」


長谷川にはしゃぐように手を引かれて、人混みをかき分けて進む。

その時、雑踏の隅で、ふと見覚えのある後ろ姿が目に入った。


薄汚れたダウンジャケットを着て、ボサボサの髪を束ねた女性。

彼女は寒空の下、ポケットティッシュ配りのアルバイトをしているようだった。

道行く人々は彼女を避けて通り、誰もティッシュを受け取ろうとはしない。


『あ、あの、お願いします……』


か細い声。

聞き覚えのある声だった。

俺は足を止めた。


「相沢さん? どうしました?」

「……いや、なんでもない」


その女性が振り返った瞬間、俺たちは目が合った。

数メートルの距離。

痩せこけて、化粧っ気もなく、目の下に深い隈を作った顔。

かつて「キングスの姫」と呼ばれ、華やかなドレスを着て男たちに囲まれていた彼女の面影は、もうどこにもなかった。

川口優奈。

俺の幼馴染であり、元恋人。


彼女の目が大きく見開かれた。

俺の姿を認識し、そして俺の隣にいる長谷川を見て、さらに俺たちが繋いでいる手を見た。


『しょ……う、た……?』


唇が動くのが見えた。

彼女は手に持っていたティッシュの束を取り落とし、ふらりと一歩、こちらへ踏み出そうとした。

その瞳には、驚愕と、後悔と、そして縋るような期待の色が浮かんでいた。

まるで、地獄の底から救いの糸を見つけた亡者のように。


もし、ここであの頃の俺なら、どうしていただろうか。

ざまぁみろと嘲笑っていただろうか。

それとも、哀れみを感じて金を恵んでやっていただろうか。


だが、今の俺が感じたのは、驚くほどの「無」だった。

怒りも、悲しみも、喜びも、優越感さえもない。

ただ、見知らぬ他人がそこにいる。それだけの感覚。

彼女は俺の人生の登場人物ですらなく、ただの背景の一部になっていたのだ。


「行こう、長谷川さん。寒いから」


俺は優奈から視線を外し、長谷川に向き直った。


「え、あ、はい。お知り合いでしたか?」

「ううん、人違いだったみたいだ」


俺は嘘をついた。いや、嘘ではない。

あそこにいるのは、俺が愛した「川口優奈」ではない。

俺の愛した少女は、数年前の四月、この東京の空の下で死んだのだ。今あそこにいるのは、その抜け殻を被った、ただの哀れな他人だ。


俺は長谷川の手をしっかりと握り直し、歩き出した。

背後から、何かを叫ぶような、嗚咽のような声が聞こえた気がしたが、街の喧騒にかき消されて、すぐに聞こえなくなった。

振り返ることはなかった。

振り返る必要がなかった。


「あ、相沢さん! あのキャンドル、可愛くないですか?」

「いいね。部屋に置いたら良さそうだ」

「ですよね! あっち見に行きましょう!」


長谷川の明るい声が、俺を未来へと引っ張っていく。

俺はもう、過去の泥沼に足を取られることはない。

復讐は終わったのだ。

相手を破滅させることでも、見下すことでもなく。

相手の存在を完全に忘れ、自分自身が誰よりも幸せになることによって。


俺は空を見上げた。

澄み渡る冬の夜空に、オリオン座が輝いている。

かつて、孤独にあの空を見上げ、歯を食いしばって復讐を誓った夜があった。

あの時の俺に教えてやりたい。


大丈夫だ、と。

お前が選んだ道は、間違っていなかった。

お前は戦い、傷つき、そして勝ったんだ。

最高の「ざまぁ」は、お前が今、心からの笑顔で笑えていることだ、と。


「相沢さん、早く早く!」

「ああ、今行くよ」


俺は小走りで長谷川の隣に並んだ。

冷たい風が吹き抜けるが、繋いだ右手は熱いくらいに温かい。

これが俺の現実。これが俺の幸福。

そして、これから始まる新しい物語の、最初の1ページだ。


俺たちは光の中へと歩いていった。

背後の闇に沈む過去を、永遠に置き去りにして。

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