サイドストーリー 王の転落、あるいは伝統という名の砂上の楼閣
「須藤さん、今年の一年は豊作ですねぇ。特に文学部の子たち、レベル高いっすよ」
大学のカフェテリアで一番見晴らしの良いテラス席。そこは暗黙の了解で、俺たち『キングス』の幹部専用席となっている。一般学生どもが遠巻きに羨望と嫉妬の眼差しを向けてくるのを肌で感じながら、俺、須藤健人は優雅にアイスコーヒーを口に運んだ。
「まあな。俺の顔と『キングス』のブランドがあれば、女なんて選び放題だ。だが、重要なのは顔だけじゃない。『適性』だよ」
「適性、ですか?」
「ああ。こちらの色に染まりやすいかどうか。過去のしがらみを捨てて、俺たちの『伝統』を受け入れられる素直さがあるかどうかだ」
俺はスマホの画面をスワイプし、新入生リストの中から一人の写真を表示させた。
川口優奈。田舎出身の芋っぽい娘だが、磨けば光る原石だ。そして何より、瞳の奥に強い承認欲求と、都会へのコンプレックスが見え隠れしている。こういうタイプが一番、俺たちの「教育」には向いているのだ。
「こいつ、彼氏持ちじゃなかったでしたっけ? 経済の相沢とかいう、地味な男」
「だからいいんじゃないか。彼氏がいる女を奪い取り、その彼氏ごと絶望させる。そこまでがセットで『キングス』の愉しみだろう?」
副代表の男が下卑た笑い声を上げ、周囲の幹部たちもそれに同調する。
俺たちは選ばれた人間だ。親は資産家や有名企業の役員、俺自身も将来を約束されたエリート。この大学という箱庭において、俺たちは絶対的な王であり、ルールブックなのだ。
凡人たちが「愛」だの「純潔」だのと青臭い道徳ごっこに興じている間に、俺たちはその上を行く。女は共有財産であり、性を支配することで組織の結束を高める。それが創設以来脈々と受け継がれてきた、崇高なる『伝統』なのだ。
「さて、そろそろ仕上げにかかるか。優奈ちゃん、最近だいぶ揺らいできてるからな」
俺はリストの彼女の写真を見つめ、口元を歪めた。
あの相沢とかいう男、必死に彼女を引き止めようとしているらしいが、無駄な努力だ。俺が与える圧倒的な「特別感」と「背徳の快楽」を知ってしまった女が、あんな退屈な男の元に戻れるはずがない。
数日後、俺は優奈を呼び出し、彼女を完全にこちらの世界へ引きずり込んだ。
方法は簡単だ。高級な食事、ブランド品のプレゼント、そして「君は特別だ」という甘い囁き。田舎娘の自尊心をくすぐり、満たしてやるだけでいい。
そして最後の一押しは、翔太という男の前で彼女に従属を誓わせることだった。
『あなたとの行為より、サークルの団結の方が重い』
路上で優奈が言い放ったあの台詞は、俺が教え込んだ脚本通りだったが、彼女自身の本心からの言葉のようにも響いた。素晴らしい演技力だ。いや、もう演技ではないのだろう。
呆然と立ち尽くす相沢の顔。絶望と無力感に塗れた負け犬の表情。
車のウィンドウ越しに見たあいつの顔は、今まで味わったどんな高級ワインよりも芳醇な優越感を俺に与えてくれた。
「可哀想になぁ。まあ、一般人は一般人らしく、地面を這いつくばって生きていればいいんだよ」
俺はアクセルを踏み込み、夜の街へと繰り出した。助手席には、俺の忠実な奴隷となった優奈がいる。彼女はもう、俺の指示なしでは息もできないほどに飼いならされていた。
* * *
そして迎えた六月。
『キングス創立記念パーティー』の日がやってきた。
軽井沢にあるOB所有の豪華別荘。そこは法も倫理も及ばない、俺たちだけの聖域だ。
「須藤くん、今年も盛況だね。君のリーダーシップのおかげだよ」
「いえ、先輩方が築き上げてきた伝統を守っているだけです。今日は最高のもてなしを用意していますから、存分に楽しんでください」
大手広告代理店に勤めるOBにワインを注ぎながら、俺は内心でほくそ笑んでいた。
こうやって先輩たちに恩を売っておけば、俺の就職活動はイージーモードだ。コネと人脈。それこそが社会を生き抜く最強の武器であり、実力だけで這い上がろうとする馬鹿正直な連中とは住む世界が違うのだ。
パーティーは深夜にかけて最高潮に達した。
メインイベントである『儀式』の時間だ。
今年の生贄、もとい巫女役は優奈だ。彼女は俺が選んだ純白の薄衣を纏い、まるで聖女のような顔をして、男たちの欲望を受け入れる準備を整えていた。
「さあ、見せてみろ。お前の忠誠心を、俺たちの絆の深さを!」
俺の号令とともに、会場は熱狂の渦に包まれた。
泥酔した新入生の女子たちが、抗う力もなく先輩たちの手によって「女」にされていく。彼女たちも明日の朝には泣くかもしれないが、俺たちが撮影した動画を見せればすぐに大人しくなる。
「これをバラされたくなかったら、来週も来い」
その一言で、彼女たちは共犯者となり、やがて優奈のように自ら快楽を求めるようになる。完璧なシステムだ。誰も傷つかない、ウィンウィンの関係なのだ。
俺はスマホを構え、優奈が複数の男に奉仕する姿を動画に収めた。
画面の中の彼女は、涙を流しながらも笑っていた。狂気と快楽が入り混じった、美しい表情だ。
俺はこの世界の王だ。何もかもが思い通りになる。
この瞬間が永遠に続くと、俺は疑いもしなかった。
茂みの奥で、冷徹なレンズが俺たちに向けられていることなど、知る由もなく。
* * *
異変に気づいたのは、翌日の昼過ぎだった。
別荘のキングサイズベッドで、二日酔いの頭を抱えながら目を覚ました俺は、スマホの画面を見て凍りついた。
未読件数、二千件以上。
LINE、メール、着信履歴。通知センターが埋め尽くされている。
何だ? 何が起きた?
寝ぼけた頭が一瞬で覚醒する。
震える指でニュースアプリを開く。トップニュースの見出しが、俺の眼球を焼き尽くした。
『【独占スクープ】名門大学テニスサークル『キングス』の闇! 集団性的暴行の内部映像流出!』
「……は?」
喉から間の抜けた声が出た。
記事をタップする。そこには、昨夜のパーティーの写真が掲載されていた。モザイクがかかってはいるが、明らかに俺だ。そして優奈だ。
さらに記事をスクロールすると、動画へのリンクがあった。再生ボタンを押す。
『さあ、これより伝統の儀式を執り行う!』
俺の声だ。昨夜、高らかに叫んだ俺の声が、クリアな音声で流れている。
続いて映し出される、地獄のような乱行の様子。俺が笑いながら撮影している姿も、バッチリ映り込んでいた。
「嘘だろ……なんで……」
スマホを取り落としそうになった時、着信音が鳴り響いた。
画面には『父さん』の文字。
俺の背筋に冷たいものが走った。普段、厳格な父から電話が来ることなんて滅多にない。
「も、もしもし……」
『貴様ァ!! 今すぐテレビを見ろ!!』
鼓膜が破れそうな怒号。俺は慌てて別荘のリビングにある大型テレビをつけた。
どのチャンネルも、同じニュースを流していた。
『キングス』の実態。須藤健人という実名。そして、父の名前までが「大学評議員の息子」として報じられている。
『どういうことだ説明しろ! 会社にまでマスコミが押し寄せてきてるんだぞ! お前のせいで俺の立場が……いや、会社の株価まで下がり始めている!』
「父さん、違うんだ、これは誤解で……」
『動画が出てるんだぞ! 何が誤解だ! お前なんてもう息子じゃない! 勘当だ! 勝手にしろ!』
プツッ。
通話が切れた。
嘘だ。あの親父が、俺を見捨てる?
俺はエリートじゃなかったのか? 将来を約束された王じゃなかったのか?
「須藤!! どうなってんだよこれ!!」
部屋に、他の幹部たちが雪崩れ込んできた。全員、顔面蒼白だ。
「俺の実名が出てるぞ! 内定先にバレたら終わりだ!」
「お前が安全だって言ったからやったんだぞ!」
「どうにかしろよ代表!!」
さっきまで「一生ついていきます」と言っていた連中が、鬼の形相で俺に詰め寄ってくる。
醜い。どいつもこいつも、自分の保身ばかりだ。
「う、うるさい! 俺だって知らねえよ! 誰だ、誰が動画を撮ったんだ!」
俺は叫び返したが、声が震えていた。
その時、サイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。
一台や二台ではない。何台ものパトカーの音が、この別荘を取り囲むように響き渡る。
「警察……?」
窓から外を覗くと、正門を突破してくる制服警官たちの姿が見えた。
終わりだ。
俺の築き上げた王国が、音を立てて崩れ落ちていく。
「いやだ……捕まりたくない……俺は悪くない……」
俺はリビングの隅に後ずさった。
視界の端に、ソファで呆然としている優奈の姿が入った。彼女もまた、スマホを握りしめたまま震えている。
「優奈! お前、何か知ってるんじゃないのか!? お前の彼氏だろ、あの相沢ってやつが!」
「わ、私……知らない……翔太とは別れたし……」
「嘘つくな! お前が手引きしたんだろ! 俺を嵌めるために!」
俺は優奈に掴みかかろうとした。しかし、その手は空中で制止された。
踏み込んできた警官たちが、俺を取り押さえたのだ。
「須藤健人だな! 準強制性交等容疑で逮捕する!」
冷たい金属の感触が手首に食い込む。手錠だ。
俺が手錠? ありえない。俺は選ばれた人間なんだぞ。こんなゴミみたいな警官に触れられていい存在じゃないんだ。
「放せ! 俺の親父が誰だか知ってるのか! お前ら全員クビにしてやる!」
俺は喚き散らしたが、警官たちは冷ややかな目で俺を見るだけだった。
その視線は、かつて俺が相沢に向けたものと同じだった。
哀れなもの、理解不能な愚か者を見る目。
連行される途中、別荘の前に集まった野次馬やマスコミの中に、一瞬だけ見覚えのある人影が見えたような気がした。
あの相沢翔太。
彼はカメラを構えるわけでもなく、怒鳴るわけでもなく、ただ静かに、無表情でこちらを見つめていた。
まるで、道端の石ころを見るような、何の感情も籠もっていない瞳。
『ざまぁみろ』と笑ってくれた方がマシだったかもしれない。
彼のあの無関心な瞳は、俺の存在そのものを否定していた。
俺がお前を見下していたんじゃない。お前にとって俺は、最初から相手にする価値すらない、ただの害虫だったのか。
パトカーに押し込まれる瞬間、俺のプライドは完全に粉砕された。
* * *
留置所の夜は冷たく、静かだった。
エリート街道をひた走っていた俺の人生は、ここで断絶した。
弁護士の話では、実刑は免れないという。示談にしようにも、被害者の数が多すぎるし、世論がそれを許さない。親父も保釈金を払う気はないらしい。
俺は狭い独房の天井を見上げながら、これまでの日々を反芻した。
どこで間違えた?
優奈に手を出したことか?
動画を撮ったことか?
それとも、あの地味な男・相沢翔太を甘く見たことか?
「……クソッ」
悔しさがこみ上げてくるが、それ以上に虚しさが胸を支配していた。
俺が信じていた「伝統」とは何だったのか。
俺が誇っていた「権力」とは何だったのか。
全ては砂上の楼閣。少し風が吹けば崩れ去る、脆く儚い幻影だったのだ。
隣の独房から、かつての取り巻きの一人がすすり泣く声が聞こえる。
別の部屋からは、優奈の名前を呼んで発狂している男の声も聞こえる。
これが俺の王国の成れの果てだ。
俺は膝を抱え、冷たい床にうずくまった。
これから始まる長い長い償いの日々と、二度と戻らない栄光の日々を思い、俺は初めて恐怖で震えた。
王冠は落ち、泥にまみれ、もう二度と拾い上げられることはない。
俺はただの性犯罪者番号〇〇番として、ここで朽ちていくのだ。
鉄格子の向こうにある小さな窓から、月が見えた。
あの夜、優奈を奪った時に見上げた月と同じ形をしているのに、今の俺には、それが死神の鎌のように見えてならなかった。




