香りを閉じ込める方法
夜明け前。
空がまだ色を決めかねている時間帯で、
店の灯りだけが、ぽつんと路地に残っている。
クリムは棚の上で丸くなりきれず、
半分だけほどけた毛玉みたいな姿。
ルゥは入口に伏せ、外の気配をぼんやり嗅いでいる。
その静けさを割るように――
カラン、と控えめな音で扉が開いた。
入ってきたのは、身なりの整った人だった。
声は落ち着いているけれど、
どこか“慎重に言葉を選んでいる”感じがある。
「……香りを閉じ込める方法って、ありますか?」
俺はすぐには答えない。
この手の質問は、用途がすべてだからだ。
「どんな用途で?」
相手は少し迷ってから、ぽつりと答えた。
「……なくなってしまうからです」
それだけで、だいたい分かる。
香りを閉じ込めたい人は、
“保存”したいんじゃない。
“失いたくない”だけだ。
相手は続ける。
「人でも、場所でも、
一瞬だけ残る匂いってあるじゃないですか。
洗えば消えるし、
時間が経てば薄れる。
でも……思い出すたびに、
もう一度そこに戻されるような……」
言葉が、そこで止まった。
クリムが「きゅ……」と小さく鳴く。
ルゥは伏せたまま、尻尾を一度だけ動かした。
俺は静かに言う。
「結論から言う。
“完全に閉じ込める方法”は、作らない」
相手の肩が、ほんの少し落ちる。
「……やっぱり……」
「香りを閉じ込めた瞬間、
それは“記憶”じゃなくて“執着”になる」
きつい言い方に聞こえるかもしれないが、
これは線引きだ。
ただし――
俺は棚から、小瓶を三つ出した。
「代わりに、“扱い方を変える”ことはできる」
相手の視線が、瓶に向く。
⸻
◆一本目
【記憶に結びついた香りを、穏やかにほどくポーション】
「これは“消す”ためのものじゃない。
香りが思い出を引きずり出す勢いを、少しだけ弱める」
相手が目を伏せる。
「……思い出すと、
その場から動けなくなることがあって……」
「だろうな。
香りは、理性を飛び越える」
クリムが「きゅ(急所)」と頷く。
⸻
◆二本目
【今ここに戻るための、呼吸補助ポーション】
「香りに引っ張られたとき、
“今”に戻るためのやつだ」
瓶を軽く揺らす。
「思い出すのは悪くない。
でも、戻ってこられないのは困る」
相手の喉が、こくりと鳴った。
「……戻れなくなるの、
一番怖いです……」
「だから用意する」
⸻
◆三本目
【香りを“記号”として保存するポーション】
相手が首を傾げる。
「……閉じ込めない、んですか?」
「閉じ込めない。
“香りそのもの”じゃなく、
“この香りが好きだった”という感覚だけを残す」
瓶を指で叩く。
「匂いは消える。
でも、好きだった事実は消えない」
ルゥが「わふ(それでいい)」と小さく鳴いた。
俺は相手を見る。
「いいか。
香りを失うのが怖いんじゃない。
“大切だった時間が嘘になる”のが怖いだけだ」
相手の目が、少し潤む。
「……はい……」
「嘘にはならない。
残る形を変えるだけだ」
三本を差し出す。
「香りはな、
閉じ込めなくていい。
必要なら、思い出せればいい」
相手は両手で受け取り、深く頭を下げた。
「……助かりました。
無理に残そうとして、
余計につらくなってた気がします……」
「よくある」
扉が閉まる音を聞きながら、
俺は天井を見上げる。
「……香りを閉じ込めたい、か」
クリム「きゅ(思い出系)」
ルゥ「わふ……(次は音だな)」
たぶん、次はこう来る。
「声を、残せませんか?」
……やれやれ。
でも来たら来たで、
ちゃんと考えるけどな。




