闇に落とす前に寝かせろ
店の扉がカラン、と鳴いた。
入ってきたのは、
目の焦点が合ってない女性。
歩き方もふらふらで、昼なのに夜みたいな顔をしている。
クリムが「きゅ?」と様子をうかがい、
ルゥは入口側に寝転びつつ、片目だけ開けた。
女性はカウンターに両手をつき、低い声で言う。
「……闇に……闇に……
闇に落とすポーションをください……」
俺は即答した。
「呪い系はうちではやってない」
「違うんです……!」
女性は勢いよく顔を上げる。
「毎日……まいにち……
大地が揺れるような音で……
眠れないんです……!」
「魔術師協会で調査依頼だな」
「違うんです……」
女性は、涙目で囁いた。
「……旦那の……いびきが……」
……ああ。
それは確かに、文明災害。
クリム「きゅ……(深刻)」
ルゥ「わふ(逃げ場なし)」
⸻
「確認する」
俺は淡々と聞く。
「本人に自覚は?」
「ないです」
「注意したことは?」
「あります……
“止まってたよ”って言われて……
そのあと倍になります……」
「最悪の成長分岐だな」
女性は机に突っ伏した。
「耳栓もダメ、
部屋分けても壁越しに来るし、
先に寝ても起こされるし……
私、最近“無音”を妄想するようになって……」
「闇に落ちかけてるな」
ルゥが鼻を鳴らす。
“殺意より睡眠”の合図だ。
⸻
俺は腕を組む。
「整理するぞ。
これは“いびき問題”じゃない」
女性が顔を上げる。
「え……?」
「慢性的な睡眠不足だ。
判断力も感情も削れてる。
今のお前に必要なのは、
闇じゃなくて回復だ」
クリム「きゅ(正解)」
⸻
俺は棚から小瓶を三つ並べた。
最初の一本を軽く叩く。
「これは、
自分だけ先に深く眠れるやつだ」
「……旦那じゃなくて?」
「まずお前だ。
眠れてないやつが、
問題解決できるわけねぇ」
女性の肩が、少しだけ落ちる。
⸻
二本目。
「こっちは、
音に対する反応を鈍らせる」
「耳が遠くなる……?」
「違う。
“危険じゃない音”を脳が無視するようになる。
雷と同じだ。
慣れると起きねぇ」
女性の目が、少しだけ生き返る。
「……それ、欲しい……」
⸻
三本目。
「最後は、
いびきをかく側が、
深い呼吸に入りやすくなる」
女性が身を乗り出す。
「旦那に飲ませていいやつですか!?」
「合法な範囲でな。
これは“眠りを整える”だけだ。
気絶はさせない」
クリム「きゅ(残念)」
ルゥ「わふ(理性)」
⸻
女性は三本を見つめ、
しばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「……私、
闇に落としたいほど
追い詰められてたんですね……」
「そうだ。
でもな」
俺は瓶を押し出しながら言う。
「睡眠不足は、
人格を一段階下げる。
元に戻すには、
まず寝ろ」
女性は、弱々しく笑った。
「……闇じゃなくて、
眠り、ですね……」
「闇に落ちるのは簡単だ。
眠るほうが、よっぽど技術がいる」
ルゥが「わふ」と肯定し、
クリムが女性の袖をちょんと引いた。
女性は瓶を抱え、深く頭を下げる。
「……今夜、
久しぶりにちゃんと眠れそうです……」
「おう。
世界を救う前に、
まず自分を寝かせろ」
⸻
扉が閉まる。
俺は棚に手を伸ばしながら、ぼそっと言った。
「……いびきはな、
魔王より厄介な時がある」
クリム「きゅ(同意)」
ルゥ「わふ(静寂は正義)」
さて次は――
「寝相が悪すぎる問題」か、
「夢で説教される問題」か。
……どっちも、需要はありそうだな。




