レッター、白亜の要塞の進化に追いポーション。
カラン。
お昼の光が差し込むアトリエに、鈍いベルの音が落ちた。
最後のお客様を見送ったレッターが、重い扉を閉める。
表の札を、ぱたんと『準備中』へ返した。
「じゃあ、ちょっと五階までお裾分けをもらいに行ってきますね」
カウンターの奥へ声をかける。
「……運ぶ」
壁際で剣の手入れをしていたメテスが、音もなく立ち上がった。
「ありがとうございます。助かります」
二人は並んで、アトリエの奥にある魔導リフトへ向かった。
チーン。
呼び出しボタンを押すと、いつもより少しだけ早く扉が開いた。
レッターが乗り込む。
ふと、壁の一角に違和感を覚えた。
「……あれ?」
見慣れないコルクボードが、綺麗に据え付けられている。
居住者同士がやり取りするための掲示板らしい。
『中層階探索、パーティ募集中。前衛急募』
『三階廊下にて、落とし物の手袋を預かっています』
和やかなお知らせが並ぶ中、
一番下に、真新しい紙が画鋲で留められていた。
『上階から順に定期点検、音が出ます。――有志職人一同』
レッターの背筋に、ぞわりと嫌な予感が走る。
「……有志の、定期点検……?」
ごくり、と唾を飲み込んだ。
「……上階から順に、って書いてありますし。まず最上階を確認してみましょうか」
メテスが、横でぽつりと落とした。
「深夜。高濃度の魔術展開の気配を、連続して感じたな」
レッターが、胃のあたりを強く押さえる。
「そ、そういうことは……っ、もっと早く店主に伝えた方が……!」
「……嫌な気配ではなかった」
メテスが、ふいっと顔を逸らした。
敵意がない魔術ならヨシ、という彼なりの危険度判定だった。
「だめだ……っ、これ、僕たちだけで抱えるには重すぎます……!」
レッターは、開いたままの扉越しにアトリエへ向かって叫んだ。
「リヒャルトさん! ちょっと来てください!」
すっ、と。
帳簿を持ったまま、リヒャルトが優雅な足取りでリフトへ乗り込んでくる。
「どうしたのです?」
「上へ行きます。……見れば分かりますから」
カチ、と。
十三階の術式盤が光った次の瞬間、魔導リフトが、あり得ないほどの速度で急上昇を始めた。
ぐんっ、と重力がかかる。
「ひっ!?」
レッターが思わずメテスにすがりつく。
「ほう」
メテスが、感心したように天井を見上げた。
「上層階への到達時間短縮。……有事の迎撃が速くなる」
チーン!
一瞬で十三階へ到達し、扉が開く。
「……あれ?」
レッターが目を瞬かせる。
身構えていた分だけ、目の前の光景は拍子抜けするほど平和だった。
「……廊下が、広くなっている?」
以前はすれ違うのがやっとだった廊下が、倍ほどの幅に拡張されている。
絨毯はふかふかで、壁には等間隔に謎の補助灯が温かい光を放っていた。
「壁の強度も上がっている。……建材ごと替えてるな」
メテスが、壁を軽く拳で叩きながら静かに頷く。
「それに……」
ふ、と吸った空気が、驚くほど軽い。
「空調が、自動調整されている……? あっ、なんだか、すごく過ごし易い……」
以前まであった湿っぽさが完全に消え去り、
森の中にいるような爽やかな空気が満ちていた。
窓にはうっすらと青い光を放つ強化結界が張られ、
天井には非常灯が埋め込まれている。
壁のあちこちには、便利な収納スペースまで増設されていた。
「……素晴らしい」
リヒャルトが、流れるような手つきで帳簿をめくる。
「廊下の拡張、壁の強化、空調の魔導化。……外注すれば、金貨数十枚規模の請求書が届く大工事です」
リヒャルトの口角が、美しく、そしてひどく黒く釣り上がった。
「それが、無料」
「リヒャルトさん! 笑ってる場合じゃないです、無断改築です!!」
レッターの胃痛が、別のベクトルで再燃した。
「誰が、どうやってこの壁を動かしたんですかぁぁぁ!!?」
「防衛面が向上した。……実戦向きだ」
メテスが、壁の強度を確認しながら静かに頷く。
「メテスさんまで!!」
レッターだけが、常識の重さに胃を押さえていた。
チーン。
悲壮な顔のレッターと、上機嫌な二人が五階へ降り立つ。
「あら、レッターくん。待ってたわよ~」
主婦が、湯気を立てる大鍋と、脇に積んだ蓋付きの保存箱をいくつも前にして待っていた。
メテスが無言でそれらを受け取る。
「ありがとうございます! ……あ、あの……!」
レッターは、おずおずと主婦の顔色を窺った。
「無断で、ここまで設備が変えられてるじゃないですか? 廊下も、壁も、空調まで……」
「大丈夫ですか……?」
主婦は、ぱあっと花が咲いたように笑った。
「大歓迎よ!」
「…………えっ」
「だって、すごく住み心地が良くなったじゃない! 廊下は広いし、空調は快適だし。……何より、収納が増えたのが本当に助かるわぁ!」
主婦の言葉に、少しの怯えもなかった。
「むしろ、今日はどこが進化してるのか楽しみなくらい!」
チーン。
帰りのリフトは、お裾分けのいい匂いで満たされていた。
「いやあ、住み心地が良くなったよねぇ」
「ゴミ捨て場なんて、入れた瞬間に魔術で消滅するようになったぞ」
「わかる! トイレの自動洗浄は神!」
「すごいな! もう、ほかに住める気がしないよ」
他の階の居住者たちまで、和気藹々と最新設備の自慢で盛り上がっている。
誰も、その背後にある『職人たちの暴走』と『過剰な建築術式』を気にしていない。
「……需要と供給が、完璧に一致していますね」
リヒャルトが、心底満足そうに帳簿へ何かを書き込んだ。
メテスも、平和な住人たちを見て小さく頷いている。
「……あぁ、胃が……」
レッターだけが、手すりに寄りかかって深く息を吐いた。
それから腰ポーチから店主特製の胃薬ポーションを取り出し、ポンッ、と小気味よく栓を抜いて一気に煽る。
「……こういう時は、やっぱりこれですね」
白亜の要塞は、今日も勝手に進化していく。
住人たちが喜び、番頭が得をし、レッターだけが胃薬を飲みながら。




