胃薬マシマシで。
カラン……ッ!
勢いよくベルが鳴った。
「店主!!! ちょっとちょっとー!!!」
騒がしい声が、夕方のアトリエへ飛び込んでくる。
店主が、乳鉢を持つ手も止めずに面倒くさそうに顔を上げた。
「……なんだ?」
「いらっしゃいませ」
リヒャルトが、完璧な営業スマイルで出迎える。
その手には、ちゃっかりと新しい帳簿が握られていた。
転がり込むようにカウンターへ縋りついたのは、顔色を土気色にしたギルド職員だった。
制服の襟元は乱れ、肩で荒く息をしている。
今にもその場へ倒れ込みそうなほど、見事に憔悴しきっていた。
無言のまま、メテスが湯気を立てる特製茶を差し出す。
「あ、ありがとう……っ」
ギルド職員は、縋るようにカップを両手で包み込んだ。
そして、そのまま勢いよく口に含み――
「にっがっ!! え!? 嫌がらせ!?」
あまりの不味さに、盛大に咽せた。
メテスは、きょとんとした顔をした。
嫌がらせの意図など微塵もない。
ただ純粋に、極限の疲労回復に効く薬草を、良かれと思って限界まで煮出しただけだった。
「……わふ」
ルゥが床に伏せたまま、呆れたように鼻を鳴らす。
「きゅ……」
クリムが、店主の肩の上で小さく身を竦めた。
店主が、低く促す。
「……それで?」
「はっ! ちょっとちょっとー!! 店主ー!!!」
やかましい。
店主が、射殺さんばかりの鋭い目を向ける。
ギルド職員はびくっと肩を跳ねさせたが、それでも止まらなかった。
「沈みこんじゃった廃坑! 原石がドバドバ! 魔石もドバドバ! ドバドバ!! わかる!?」
ぴくり、と。
リヒャルトの瞳が、金貨の輝きを宿して怪しく光った。
「監査中なわけよ! うち! いま! そう! 今も!!」
泥の底が抜け、莫大な資源の鉱脈が露出した。
しかも場所は、あの廃坑跡だ。
地図にも記録にもなかった、超弩級の資源地帯が、最悪のタイミングで誕生してしまったのである。
だが、ギルドは現在、絶賛監査の真っ最中。
上を下への大騒ぎになっていることは、その胃を押さえる姿から容易に想像がついた。
店主が、深くため息を吐く。
「……リヒャルト」
「はい。忙しい時に何してくれているんだボケ、ですね」
リヒャルトが、世にも美しい笑顔でギルド職員の心声を完璧に代弁した。
「……よかったな」
「よ、よくないよー?」
ギルド職員が、半泣きで胃を擦る。
リヒャルトは帳簿を開き、流れるような所作でペンを走らせながら、すかさず切り込んだ。
「……こちらへの報奨金や権利は、もちろん頂けるんですよね?」
その言葉に、ロビーで寛いでいた居住者たちや常連客が、わくわくした顔で一斉に身を乗り出した。
「……そ、それは……。君たちが勝手に、ね? 権利という話なら、採取クエストを受けたアルテルナくん達にあるわけで……」
歯切れの悪いその言葉を、リヒャルトの笑顔がばっさり切り捨てる。
「……討伐隊が、何も出来なかったんですよね?」
「……うっ。君、攻めてくるね」
図星だった。
ギルド職員は誤魔化すように再び特製茶を口へ運び――
「ぐっ! にっがっ!! マズっ!!」
再度、盛大に咽せた。
カウンターの端で、メテスが目に見えてしょんぼりと肩を落とす。
「なんだなんだー?」
「目撃情報が欲しけりゃ、調書に協力するぜ!」
「ルナの投擲は見事だった!」
「ネスの顔、真っ青だったもんな!」
ロビーの有志たちが、面白がって次々に声を上げる。
「……それはお願いしますね!」
ギルド職員が、涙目のまま有志たちへ頭を下げた。
それから、すがるような目で店主を見上げる。
「あのとんでもない爆発、どうやったのさ……」
店主は、感情の読めない冷たい目で職員を見下ろした。
「偶然の産物だ。素材も無けりゃ、再現もできない」
すっぱりと切り捨てる。
莫大な利権の渦中などという面倒事に、これ以上首を突っ込む気は一切ない。
その明確すぎる拒絶だった。
「……胃が……ひどいよ……店主」
ギルド職員が、とうとうカウンターへ突っ伏して呻いた。
監査。
莫大な利権。
討伐隊の不手際。
目の前には強欲な事務員。
その隣には一切口を割らない錬金術師。
胃が死なない方がおかしい。
店主は小さく鼻を鳴らした。
それから、棚の奥へ手を伸ばす。
ことん。
ことん。
ことん。
カウンターの上に、ラベルの違う小瓶が三本、規則正しく並べられた。
ひとつめ。
淡い緑色。中でぬるりと重たい液体が揺れている。
「即効性の胃薬だ。飲めば五秒で痛みは引く」
ギルド職員の顔が、ぱっと明るくなる。
「ただし、副作用で胃そのものが“治すために暴れてる”って分かる程度の激痛が三分続く」
「痛みの質が変わっただけじゃない!?」
ふたつめ。
薄茶色。見るからに不味そうな濁りが底に沈んでいる。
「こっちはじわじわ効く。胃の粘膜を丁寧に修復していく」
「……味は?」
「絶望」
「聞くんじゃなかった……!」
みっつめ。
透き通った金色。高級酒みたいに綺麗な光を返す小瓶だった。
「完璧に胃痛を消し去る。副作用もない。今夜は熟睡できる」
ギルド職員が、震える手でそれへ伸びかける。
店主が、冷たく言い添えた。
「金貨一枚」
「法外!!!」
「お前の胃が、監査と利権と事後処理で潰れかけてるなら、安いもんだろ」
ギルド職員は、三本の小瓶を前にして本気で悩み始めた。
激痛三分。
味が絶望。
金貨一枚。
どれも嫌すぎる。
ロビーの野次馬たちが勝手に口を挟む。
「金貨のやつ行けよ!」
「いや、ここは激痛三分だろ! 話のネタになる!」
「絶望味、ちょっと興味あるな」
「お前が飲め」
リヒャルトが帳簿の上でペンを回しながら、にこやかに追い打ちをかけた。
「ちなみに、監査対応で追加の胃痛が見込まれるなら、まとめ買いもおすすめですよ」
「鬼!?」
「商人です」
即答だった。
ギルド職員はうんうん唸り、胃を押さえ、三本の瓶を見比べた。
やがて、震える指先で、金色の小瓶を選ぶ。
「……これで……」
「賢明だな」
店主が短く言う。
チャリン――ではない。
ごとり、と。
本当に重そうな音を立てて、ギルド職員が金貨を置いた。
「毎度あり」
リヒャルトの声が、やけに艶やかだった。
ギルド職員は金色の小瓶を引ったくるように取り、栓を抜いて一気に煽る。
キュポン。
ごく、ごく、ごく。
それから、しばらく固まっていたが――
「……あ」
ふっと、顔から力が抜けた。
「治った……」
「そりゃ治る」
店主は素っ気なく言う。
ギルド職員はその場で、へなへなと笑った。
「……ありがとう、店主。あと、メテスくんのお茶はもういいです」
「……そうか」
また少しだけ、メテスがしょんぼりする。
「きゅっ(味が終わってる!)」
「……わふ(……そこが問題だ)」
ロビーに笑いが広がる。
胃薬三本を並べたカウンターの向こうで、店主は面倒くさそうに頭を掻いた。
「……ったく。監査だの権利だの資源だの、勝手に揉めてろ」
「ひどい!」
「事実だ」
ギルド職員は金貨一枚分、少しだけ背筋の伸びた顔で立ち上がる。
「……でも、調書と目撃証言は、ちゃんとお願いしますね」
「内容次第だな」
「条件次第ですね」
「……必要なら行く」
三者三様の返事だった。
ギルド職員は、もう一度だけ深く息を吐く。
今度は、さっきみたいな胃から捻り出すような息じゃない。
「……はぁ。とりあえず、生き延びてくるよ」
「そうしろ」
カラン。
扉が閉まり、ようやく静けさが戻る。
その直後。
「店主! 俺も胃薬!」
「私は喉に優しいやつ!」
「目覚めがいいやつがほしい!」
「だから媚薬を要求するなって言ってるだろうが!」
またたく間に、ロビーの喧騒がぶり返した。
店主は深いため息を吐きながら、次の小瓶を棚から引っ張り出した。




