表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

277/289

黒い襲撃者と、要塞の鉄壁。


ガンッ!


アトリエの扉が、重たい悲鳴みたいな音を立てた。


「で、出た……っ! 出たんだ!!」


悲鳴だった。

顔面を蒼白に引きつらせた男が、転がるようにロビーへ飛び込んでくる。


「黒い……黒いアイツが!!」


ピキリ。


アトリエの空気が、一瞬で凍てついた。


メテスが音もなく床を蹴り、男の前に立ち塞がると同時に片手剣を鞘から引き抜いた。


放たれる、本物の殺気。


カウンターの奥では、リヒャルトの指先に青白い魔力が鋭く収束し、ロビーの職人や冒険者たちも、呼吸を止めてそれぞれの得物に手をかけていた。


退路の封鎖。

死角の排除。

息をする間もない、暗殺者級の迎撃陣形。


「落ち着け」


店主の地を這うような声が、張り詰めた空間に落ちた。


「……数は。武装はしているか」


男は床に座り込んだまま、ガチガチと歯を鳴らして叫んだ。


「ひ、一匹だ! 流し台の裏に潜んでて……! テカテカ光る黒い鎧を着て、ものすごい速さでカサカサと……っ!」


スン……。


メテスの剣から力が抜け、リヒャルトの指先の魔力が霧散した。

ロビーの面々も一斉に武器を下ろす。


「……なんだ」

「……虫かよ」

「びっくりしたなぁ。俺の出番かと思ったわ」

「大事なくてよかったよかった」


致死量の殺気が充満していたロビーが、一瞬で日常へ戻った。


「な、なんだよその反応! 親の仇のように憎いんだぞ! でも、恐ろしくて戦えないんだ……!」


「親の仇なら、自分で始末しろ。うちは駆除業者じゃない。ポーション屋だ」


店主が、重い溜息を吐いた。


「そんなこと言わずに、なんか薬をくれ! 部屋に帰れないんだ!」


「……白亜の要塞には、虫は一匹たりとも出ない」


店主の断言に、職人たちが胸を張る。


「そうだぞ! 俺たちが完璧な防虫結界を編み込んであるからな!」


男が、羨望のまなざしで周囲を見回す。


「いいなぁ……結界……」


「よそを羨んでる暇があったら、自分の家をどうにかしろ」


店主はカウンターの下から、三つの小瓶を並べた。


「お前が借りてる『外』の家で戦う気があるなら、選べ」


ひとつめ。

『絶対反射の雫』。


店主が黒ずんだ青の小瓶を指先で軽く弾く。


「反射神経を上げ、ヤツの動きを止める。叩き潰す感触はしっかり手に残る」


「無理だ! 味わいたくない!」


ふたつめ。

『妖精の幻霧』。


淡い金の靄が、瓶の中でふわりと揺れた。


「ヤツが“花の妖精”に見えるようになる。……妖精だと思って手乗りにする覚悟が必要だ」


「ひっ……! 発狂する!」


男は震えながら、別の薬を求めた。


「氷とか、遠くから凍らせるようなやつは……っ」


店主の目が、凍るほど冷えた。


「ねぇよ」


短く切って、鼻を鳴らす。


「……お前、賃貸だろ。床を傷めりゃ、困るのは大家だ」


店主は最後の一本を押し出した。

淀んだ茶色の、素焼きの壺だった。


「現実補助。『殲滅の餌壺』だ」


「……餌?」


「お前が部屋を留守にしてる間に、それを置いておけ」


店主の声は、淡々としていた。


「潜んでいた黒いヤツらは、一匹残らず匂いに寄る。食った瞬間に終わりだ」


男の目が、ぱあっと輝いた。


「すごい! それなら僕、何もしなくていい!」


「そうだ。戦う必要も、感触を味わう必要もない」


店主は、そこで一拍置いた。


「ただし」


男の顔から、笑みが消える。


「帰ってきた時に片付けるのはお前だ」


静かな声だった。


「部屋の真ん中に、黒いのがまとまって転がってる。……それを自分の手で、袋に詰めて捨てろ」


レッターが、奥で小さく顔を引きつらせた。


男は、壺と自分の手を交互に見比べ、ごくりと唾を飲み込む。


「……これ、ください。これなら、なんとか……っ」


「毎度。銀貨一枚だ」


リヒャルトが、一切の無駄がない手つきで壺を包み始めた。

だが、その口元には、さらに深い闇が揺れている。


「あ、ちなみに」


男の肩がびくりと跳ねる。


「忘れた頃に、また別の場所から出る可能性はあります。ですから、継続購入をおすすめしますよ?」


「ひっ、ひぃぃぃ……っ!」


男は、包まれた壺を胸元へ抱え込んだ。

ようやく助かったと思った顔と、まだ何も終わっていないと理解した顔が、ひどく情けなく同居している。


その視線が、ふとロビーを彷徨った。


磨かれた白い石畳。

防虫結界の編み込まれた壁。

怯えて駆け込んできた自分を、何事もなかったみたいに受け止める頑丈な建物。


「……ところで、お客様」


リヒャルトが、そこで初めて柔らかく声を変えた。

柔らかいのに、逃げ場だけはなかった。


「……ご職業は?」


「えっ? あ、えっと、中堅商会の事務で……」


「なるほど」


リヒャルトの目が、男を上から下まで値踏みするように舐める。

その視線は、もはや客を見るものではなかった。


「収入は? 勤務形態は? 趣味は? 生活リズムは?」


男は、その圧倒的な“面接”の空気に飲み込まれていた。


「え、あ……順調です。残業も少なめで、読書が趣味で静かに暮らしてます……っ」


リヒャルトの口角が、わずかに上がる。


「完璧です。当要塞の入居基準を満たしておられます」


にっこり。


「防虫、快適、設備充実。……理想の住環境ですよ」


男は、入居案内書と、自分が抱える茶色の壺を交互に見比べた。


虫の恐怖と、片付けの地獄から逃げ出せる“白亜の要塞”という聖域。

それは、今の彼にとって、何よりもまっとうな救いに見えた。


「……家賃は、いくらですか」


「おい」


店主が、呆れ果てたように声を落とす。


「勝手に囲い込むな。うちはポーション屋だ」


だが、リヒャルトは振り返りもしない。


「私は要塞の資産価値と、安定した家賃収入を管理しているだけです」


メテスが壁際で、静かに頷いた。


「……身元が確かなら、安全だ」


「きゅ!(入居面談!)」


ルゥが、床で呆れたように息を吐いた。


「わふ(……また、騒がしくなるな)」


男はまだ壺を抱えたまま、案内書を開いた。

白い紙面へ目を落とし、こわごわと息を吐く。


さっきまでの悲鳴混じりの呼吸ではなかった。

ようやく見つけた避難先を、恐る恐る確かめるみたいな、細い息だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ