アイツは、親友なんかじゃない
奪う者の舌と、灰色の処方箋。
カラン。
乾いたベルの音が、アトリエに落ちた。
「……アイツは、親友なんかじゃない」
入ってくるなり、男はそう吐き捨てた。
アトリエの奥では、店主が試験管を傾けていた。
青い液体が、別の試験管へと静かに移されていく。
こつ。
試験管立てへ硝子の筒が戻される。
「ずっと、一緒にいる」
男は、ふらつくような足取りでカウンターへ近づいた。
「でも、アイツは親友なんかじゃない」
店主は、次の試験管を手に取る。
親指で栓を弾き、中身の匂いを確かめた。
「……わかるように言え」
男は、カウンターの縁を両手で強く握りしめた。
指の関節が、白く抜け切っている。
「小さい頃からだ。……俺が気に入った物や、貰ったもの。そいつを横から奪っていく。それが、当たり前みたいに」
男の喉が、ひく、と鳴った。
「おもちゃも、手に入れた本も、仲良くなった別の友人も。
……全部、俺が『いいな』と思った瞬間に、アイツが持っていく」
棚の下段を整理していたレッターの手が、ぴたりと止まった。
「……気が付いたキッカケは?」
男は、一度深く息を吸い込んだ。
それから、ひどく虚ろな目をした。
「いつもは、楽しみを最後に取っておくんだ。
でも昨日は、たまたま好きなオカズを先に食べて……不味そうなやつだけが、皿に残ってた」
男の唇が、かすかに震える。
「ヤツは、それをヒョイっと奪って、食った」
「そして、俺に言ったんだ」
声が、ひび割れる。
「『……え? これお前が楽しみに取っておいたヤツ? マズかったぞ?』って」
レッターが、息を呑む。
リヒャルトが、帳簿をめくる手を止めた。
壁際で、メテスが音もなく目を細める。
「……そうか」
店主は、手元の試験管を置き、男を真っ直ぐに見た。
「そいつは、お前が『良いものを独り占めする』のが許せなかったわけじゃない。
お前が『何かを失って、がっかりする顔』を食って生きてきた寄生虫だ」
男の肩が、びくりと跳ねた。
「不味いオカズを食って、そいつはがっかりしただろうな。
お前を傷つけられなかったことに」
「……っ」
男は顔を覆い、カウンターに突っ伏した。
店主は、カウンターの下へ手を入れる。
コト。
コト。
並んだのは、二つの小さな薬瓶だった。
「一つめ」
淡い、綺麗な桜色の小瓶。
「心理補助。『蜜の錯覚』だ。
これを飲めば、お前は今後、アイツに何を奪われても『親友に分け与えることができて嬉しい』と本心から思えるようになる。
腹も立たない。傷つきもしない。完璧で、幸福な餌になれる」
男が、弾かれたように顔を上げた。
その目には、はっきりとした拒絶があった。
店主は鼻を鳴らし、二つめの小瓶を前に出す。
濁った、ただの灰色。
石の粉でも溶かしたような、ひどく冷たい色の薬瓶だった。
「現実補助。『焼却の灰』だ」
男が、灰色の小瓶を見つめる。
「これを飲めば、お前の中で、そいつに対する感情が完全に死ぬ。
怒りも、悲しみも、過去の思い出も、一切だ。
ただの『道端の石ころ』と同じになる」
しん、と静まる。
「次にそいつが、お前から何かを奪おうとした時。
お前はもう、がっかりしない。怒らない。ただ、無反応になる」
店主の目が、わずかに細まる。
「お前の反応って『餌』を失った寄生虫が、その後どんな顔をするか……見たいなら、こっちだ」
男は、迷わなかった。
震える手を伸ばし、灰色の小瓶をきつく握りしめる。
「……こっちを、ください」
「後悔はしねぇな」
「……今まで奪われた時間の方が、よっぽど後悔してます」
「銀貨二枚です」
リヒャルトが、感情の読めない声で告げる。
男は財布から銀貨を出し、ひどく丁寧な動作でカウンターへ置いた。
「……ありがとうございました」
男は、深く頭を下げた。
灰色の小瓶をポケットにしまい、背筋を伸ばして入り口へ向かう。
カラン。
扉が閉まる。
静寂の戻ったアトリエで、レッターは両手で自分の二の腕を抱え込んだ。
「……親友だと思ってた人に、そんなことされるなんて……怖すぎます」
「怖いですね」
リヒャルトが、銀貨を帳場の引き出しへしまいながら、淡々と応じる。
「ですが、人間の悪意の中で最も厄介なのは、ああいう『親愛』の皮を被った搾取です」
帳場の引き出しが、ことりと閉まる。
「……レッター」
リヒャルトは視線を上げない。
「気付けるうちに気付けたのは、まだ救いがあります」
メテスが、壁際で低く呟く。
「……寄生虫は、宿主が死んだことに気付くまで、空の殻を齧り続ける」
レッターが、身震いをした。
店主は何も言わない。
ただ、奥の棚からフラスコを取り出し、静かに火にかけた。
ぼっ、と。
青白い魔力火が灯る。
硝子の底で、水が小さく泡立ち始めた。
ぷつ。
ぷつ。
単調な音だけが、静かに続いていた。




