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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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265/288

ここ最近、ずっと泊まらせてもらえなくなった…

締め出された夜と、帰るためのランプ。


カラン。


夜の帳が下り始めた白亜の要塞一階、アトリエ・くぼ地に、重たい金属音が響いた。


入ってきたのは、街の治安維持を担う騎士だった。

磨き上げられた甲冑を身につけているが、その足取りはひどく重く、背中は丸まり、兜の下の顔はどんよりと沈み切っている。


「……いらっしゃいませ。いつものを?」


リヒャルトが、カウンター越しに淀みない笑顔で尋ねる。


「ああ。……いつものを頼む」


騎士は丸椅子にどさりと腰を下ろし、深く、ひどく深くため息を吐いた。

リヒャルトが手早く用意した疲労回復のポーションを受け取ると、無言のままぐいっと煽る。


「……何か、浮かない顔をされていますね」


リヒャルトが空になった小瓶を引き取りながら、静かに水を向けた。


騎士はもう一度ため息を吐き、カウンターに両肘をついて頭を抱えた。


「明日は非番だ。だから前日の今日、彼女の家でいつものように泊まる気でいたんだが……」


「おや。お熱いことで」


「……ふぅ。今回だけじゃない。ここ最近、ずっと泊まらせてもらえなくなったんだ」


リヒャルトの営業スマイルが、ほんのわずかに同情の角度へ下がる。


「理由は聞かれたのですか?」


「さりげなく、聞いてはみた。だが……返ってきたのは、体調不良だと」


騎士の声が震えていた。


「一度や二度ならわかる。だが、三週連続だぞ。しかも、昼間会っている時は普通に笑っているのに、夜になると『今日はちょっと……』と帰されるんだ。俺は何か、致命的な――」


カラン!!


騎士の言葉を遮るように、勢いよく扉が開いた。


上の階の居住者である、商会勤めの若い女性だった。


「はぁーっ、疲れた!!」


女性はカツカツとヒールを鳴らしてカウンターへ突進し、騎士の隣の席へ鞄を叩きつけた。


「気を使う相手と食事とか、もう最悪だった~! 肩凝るし、愛想笑いで顔の筋肉痛いし! 店主、いつものポーション! あと、思いっきり勇気出せるヤツちょうだい!」


店主が顔色一つ変えず、奥から青と赤の小瓶を無造作に滑らせた。


女性はそれをひったくるように手に取り、青い方をグイッ! と煽る。


カンッ!!


天板が割れんばかりの勢いで空瓶が置かれた。


「ぷはぁっ! ありがとう! よーし、これで決心が固まったわ!」


女性は赤い瓶をポケットにねじ込み、くるりと踵を返した。


「明日、別れ話してくる!! じゃ、おやすみー!」


カラン。


嵐のように、女性はエレベーターホールへと消えていった。


アトリエの空気が、しんと静まり返った。


「…………」


騎士が、ゆっくりとカウンターへ突っ伏した。


その背中からは、もはや「項垂れる」という言葉すら生ぬるい、絶望のオーラが立ち昇っていた。


レッターが、慌てて騎士の背中へ手を伸ばしかけて止まる。

クリムが同情するように小さな耳をぺたんと伏せた。

ルゥは「わふ……」と、ひどく気の毒そうなため息をこぼした。


「……俺も、明日あんな風に言われるんだろうか……」


消え入りそうな騎士の呟きに、店主が乳棒をぴたりと止めた。


「てめぇの図星を、勝手に他人の話に重ねるな」


「だ、だって! 彼女も俺に気を使って、愛想笑いをして、それで疲れて別れようとしてるんじゃ……!」


「かもしれねぇな」


店主はあっさり肯定した。


騎士が「ひぐっ」と変な声を上げる。


「だが、浮気や心変わりとは限らねぇぞ。お前、彼女の家に泊まる時、何してる?」


「何って……飯を食って、一緒に寛いで、眠るだけだ」


店主は忌々しげに舌打ちをした。


「それが疲れるんだろうが」


騎士が、ぱちりと目を瞬く。


「お前は『寛いで眠るだけ』かもしれないがな。泊められる側にとっちゃ、他人が一晩自分の領域にいるってのは、それだけで大仕事だ」


メテスが壁際で静かに頷いた。


リヒャルトが、流れるように補足する。


「ええ。部屋を片付け、食事の用意をし、すっぴんやだらしない姿を見せないように気を張り続ける……。『いつものように泊まる』のが当たり前になっていたのなら、彼女の負担は相当なものだったはずです」


「そ、そんな……俺は別に、すっぴんでも構わないし、飯だって適当で……」


「そういう問題じゃねぇんだよ。女の『自分の城』に上がり込んでおいて、お客様気分で寛いでる男の存在そのものが重いって話だ」


店主の容赦ない言葉に、騎士はついに両手で顔を覆った。


「ああ……俺はなんて無神経だったんだ。だから彼女は体調不良を口実に……」


店主はカウンターの下から、コト、コト、と二つの小瓶を並べた。


「お前がどうしても『彼女の拒絶の理由』と向き合いたいってんなら、選べ」


ひとつめ。


どぎついピンク色の液体。

底の方でチカチカと不穏な光が点滅している。


「物理補助。『証拠あぶりのブラックライト』だ」


騎士が指の隙間から瓶を見る。


「飲めば、彼女の部屋に残った『お前以外の誰かの痕跡』だけが、光って見えるようになる。もし男が連れ込まれてりゃ、一発でわかる」


騎士の顔が引きつる。


「……俺は、彼女を疑いたいわけじゃない」


「だろうな。それに、もし白だった場合、疑いの目で部屋中を見回すお前を見て、彼女の愛は完全に冷めるだろうよ」


ふたつめ。


無色透明だが、氷のように冷ややかな冷気を出している液体。


「心理補助。『完璧な下宿人』だ」


店主は透明な瓶を指で弾く。


「飲めば、お前は一晩中『一切の気配を消し、彼女の家事の負担をゼロにする完璧な居候』になる。彼女が寝ている間に部屋をピカピカに磨き上げ、朝食を作り、邪魔にならないよう隅っこで直立不動で待機する」


中年冒険者が隣で吹き出した。


「ただの便利な魔法道具じゃねぇか!」


「うるさい」


店主が切り捨てる。


「彼女は疲れないだろうが、恋人じゃなく便利な家事代行扱いになる。それを愛と呼べるかどうかはお前次第だ」


騎士は深くうなだれた。


「……どっちも駄目じゃないか。俺はただ、また彼女と笑って過ごしたいだけなのに」


「なら、最後だ」


店主は面倒くさそうに三本目をドン、と置いた。


夕暮れ時の空のような、温かくも少し寂しい橙色の液体。

中で小さな光の粒が、ランプのように灯っては消えている。


「みっつめ。現実補助。『帰路のランプ』だ」


騎士が、すがるように顔を上げた。


「……それは?」


「お前の『泊まりたい』って欲を、綺麗さっぱり消し飛ばす薬だ」


静寂。


「飲んでから彼女の家に行け。

そうすりゃ、お前は飯を食って、茶を飲んで、一番話が盛り上がったところで……心の底から爽やかに『今日は楽しかった、じゃあ帰るよ』と言える」


騎士が目を丸くする。


「帰る? 俺から?」


「そうだ。一切の未練も、寂しさも残らずな」


店主は橙色の瓶を騎士の前へ押し出した。


「泊まるのが当たり前になってるから、断る方が『体調不良』なんて嘘をつかなきゃならなくなる。お前が自分から『帰る』って背中を見せてやれば、彼女は嘘をつく罪悪感からも、お前をもてなす疲労からも解放される」


メテスが壁際で、低く呟いた。


「……撤退もまた、立派な戦術だ。間合いを詰めるだけが愛情ではない」


騎士は、橙色の瓶をじっと見つめた。


自分から帰る。

一番一緒にいたい夜に、あえて距離を置く。


「……それで、彼女は俺を嫌いにならないだろうか。見放されたと思わないだろうか」


「知るか。だが、」


店主は鼻を鳴らした。


「毎週居座る重てぇ男より、自分の時間を尊重してさっさと帰ってくれる男の方が、よっぽど『来週も会いたい』と思えるだろ」


騎士の肩から、こわばっていた力がすっと抜けた。


「……そうか」


騎士は橙色の瓶へ手を伸ばした。


「これを、頼む」


「賢明ですね」


リヒャルトが、今度は心の底からの微笑みで瓶を包んだ。


「お代は銀貨二枚。

なお、服用後は驚くほど足取りが軽くなり、帰り道に鼻歌などを歌ってしまう可能性がありますが、仕様です。彼女に見られないようご注意を」


「仕様、か……」


騎士は苦笑し、銀貨を置いた。


瓶を受け取って立ち上がる。

その顔には、入ってきた時のような重苦しい絶望はもうなかった。


「……ありがとう。今日は、彼女の顔を見たら、本当にすぐ帰ってみるよ」


「ああ。さっさと帰って、自分のベッドで寝ろ」


騎士が深く一礼し、踵を返す。


カラン。


扉が閉まる。


アトリエの中には、少しだけ軽い余韻が残った。


レッターが、空になったコップを拭きながらぽつりとこぼす。


「……好きな人とずっと一緒にいたいって思うのは、普通のことなのに。難しいですね」


「人間は、腹八分目が一番美味く感じるようにできてるんだよ」


店主は乳鉢を引き寄せながらぶっきらぼうに言った。


クリムが胸を張る。


「きゅ!(自分の巣が一番!)」


ルゥが床で尻尾を揺らした。


「わふ(……一人の時間も大事だ)」


リヒャルトが静かに帳簿へ書き込む。


「『泊まる』という既得権益を手放す勇気。……素晴らしいですね。私も見習いたいものです」


「お前はまず、人の部屋へ勝手に上がり込む癖を直せ」


メテスの鋭いツッコミに、リヒャルトはくっくっと喉の奥で笑った。


白亜の要塞の夜。

近づきすぎた距離を測り直すための、少し切なくも優しいランプの灯りみたいな気配が、アトリエに静かに残っていた。

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