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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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255/289

白い爆音と、迎えに来た手。

レッターを追って、店主が捜索隊の陣形から離れた。


その分厚い戦闘装束の背中が、ぬめるような白い靄の奥へ吸い込まれて消えた瞬間。


リヒャルトの胸の奥で、ひどく嫌な音がした。


店主だから大丈夫だ。


未知の階層を単独で生き抜いた男だ。

この程度で、後れを取るはずがない。


そう、理屈では思う。


思うのに。


隣に立つメテスの気配が、目に見えるほど強張っているのがわかった。


「……メテス」


呼んでも、返事がない。


ただ、大盾の裏のグリップを握り込む手が、白くなるほど力を込め、微かに震えていた。


微睡みの迷宮。

箱庭での死闘。


あの時も、そうだった。


店主が前に出た。

自分たちを庇った。

そして、大量の血を流して倒れた。


その瞬間、自分たちは何もできなかった。


あの背中が裂けた瞬間の冷たい感触が、この不気味な白い靄の中で、吐き気がするほど鮮明に蘇ってくる。


「……ダメだ」


メテスの声は、地鳴りのように低かった。


だが、その低さの底で煮えたぎっている衝動の正体を、リヒャルトは誰よりもよく知っている。


「死なせない。俺は店主を追う」


「メテス!」


リヒャルトは反射的に、弾かれたようにメテスの太い腕を両手で掴んだ。


「待ってください! 対幻惑用の鈴を装備してください! あなた一人では危険すぎます。……僕も行きます!」


メテスの瞳が、ぎり、と強く揺れる。


今にも単独で飛び出していきそうだった彼の暴走を、ほんのわずかに押し止めたのは、リヒャルトのその言葉だった。


リヒャルトは即座に振り返り、青ざめているギルド職員を鋭く見据えた。


「職員さん!」


「ひっ、は、はい!」


ギルド職員がびくりと肩を揺らす。


「店主が単独で追跡に入りました。僕たちも向かいます。レッター救助と店主の補佐を最優先とします。こちらの支援用ポーションはすべて託しますので、負傷者対応と隊列維持をお願いします」


「わ、わかりました……!」


「必要最低限の補助は残します。もし、一刻経っても僕たちが戻らなければ、方位を固定した発煙筒を上げてください」


「承知しました!」


リヒャルトは素早く回復と浄化の小瓶の束を職員へ押しつけ、自分の腰の鈴が確実に鳴ることを確かめる。


メテスも無言で、対幻惑用の鈴を腰へ強く結びつけた。


「……行くぞ」


「ええ」


二人は同時に地を蹴り、白い靄の奥へ飛び込んだ。



薄緑色に濁った白い靄が、呼吸をするたびに肺の奥までねっとりとまとわりついてくる。


ルゥの嗅覚も、クリムの警戒の鳴き声もないこの森の道は、歩くことすらひどく気味が悪かった。


前方へ突っ走るメテスの広い背中は、いつもよりさらに大きく、そして焦っているように見える。


不意に、靄の壁を突き破って魔物の鋭い爪が飛んできた。


ガンッ!!


メテスの大盾が、その一撃を正面から完璧に受け切る。


「……邪魔だ」


吐き捨てるように言って、メテスが大盾を構えた肩ごと魔物を乱暴に弾き飛ばした。


リヒャルトは足を止めないまま、流麗な動作で魔術杖を振るう。


「右、散れ」


鋭い風の刃が走る。


湿った靄が一気に両断され、前方の朽ちた木立と、ぬかるんだ地面のうねりが数秒だけ露わになる。


「左に太い根! 前方浅い窪地です。滑らないでください」


「……わかった」


二人はほとんど呼吸を合わせるみたいにして走った。


メテスが前で障害を物理的に粉砕し、受け止める。

リヒャルトが霧を魔法で剥がし、安全な足場を見せ、死角を潰す。


普段なら、この陣形の真ん中に店主がいて、その指示で全体の盤面を回す形になる。


だが、今は違う。


中心が、いない。


それだけで、背筋が凍るほど空気が冷たく、頼りなかった。


前方から、ふいに重い爆破音が響いた。


ドォン――!!


メテスが即座に左腕を上げ、リヒャルトの足を強引に止める。


「……止まれ」


二人の足が同時に止まる。


白い靄が爆風で遅れて揺れ、頭上の枝先から冷たい水滴がぱらぱらと落ちてきた。


「……今の音は」


リヒャルトが鋭く呟く。


メテスは耳を澄ませるように、警戒した獣のような顔を上げた。


「……店主たちが、こっちへ向かっている」


その一言で、リヒャルトの背筋に冷たい汗が流れた。


こちらへ向かっている。


それはつまり、無事に保護して帰還の途についているか。

それとも、大量の魔物を引き連れて追い詰められているか。

そのどちらか、あるいは両方だ。


「……最悪な事態に陥っていたりしませんか?」


「来た道を戻るぞ」


メテスが即断する。


だが、次の瞬間、その重い声が危機感に鋭く裂けた。


「走れ!!」



ぐちゃり、と靄の奥から泥を蹴り立てて、巨大な影が飛び出してきた。


最初に見えたのは、店主の分厚い戦闘装束だった。


その背中に、レッターの小さな身体をしっかりと担ぎ上げている。


ルゥが牙を剥き出しにして低く走り、クリムが店主の肩口で羽毛を逆立てて威嚇の声を上げている。


そして、その後ろから。


這うように、木々を跳ねるように、数え切れないほどの異形の魔物たちが、雪崩を打って追ってきていた。


「お前ら! 馬鹿か!!」


店主の容赦ない怒声が飛ぶ。


「なぜ陣営から離れた!!」


「店主!」


「ご無事で――」


「無事じゃなかったら怒鳴ってない!」


その理不尽な返しに、ほんの一瞬だけ、ああ、いつもの店主だと思えた。


だが、立ち止まって安心している暇など一秒もない。


店主は並走する二人の力量を一瞥で推し量る。


「リヒャルト! 殲滅ポーションを後方の群れへ投げろ!」


「はいっ!」


リヒャルトは腰のポーチから小瓶を抜き放ち、振り向きざまに、最も密集している場所へ向けて正確に投擲した。


ドォォォン!!!


白い閃光が森を焼く。


次いで、遅れて強烈な爆風が襲いかかってきた。


メテスが即座に大盾をぬかるんだ地へ食い込ませるように構え、三人の背後を完璧に守る。


爆風が盾の表面を激しく殴りつけ、ちぎれた枝葉が弾丸のように吹き飛んでいった。


レッターが、店主の背中で恐怖にびくりと跳ねる。


「……このまま陣営に戻れば」


店主が前を向いたまま低く言う。


息は荒い。

それでも声の芯は微塵もぶれていなかった。


「引き連れてきた魔物で、捜索隊が全滅しそうだ」


「では!」


「進行方向、左の谷筋へ行く」


有無を言わせない、戦闘錬金術師としての絶対的な判断だった。


店主が鋭く進路を変える。

リヒャルトとメテスも、一切の疑問を挟まず即座に追従する。


背中で、レッターがしゃくり上げていた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……僕のせいで……」


店主は、一度も振り返らない。


「口を閉じて、落ちないようにしっかり掴まってろ」


ただ、それだけだった。


だが、どんな優しい慰めよりも、そのぶっきらぼうな一言の方が、今のレッターには確かな命綱として効いた。


突然、前方の霧が、意思を持ったように不自然な渦を巻いた。


「店主!!」


リヒャルトが警告を叫ぶ。


店主が忌々しげに舌打ちする。


「……チッ」


メテスが大盾を構え直し、足を止めた。


「……完全に、囲まれてる」


木の上。

根元の死角。

白い靄の向こう側。


じわじわと、底知れない数の影が浮き上がってくる。


飢えた牙。

毒を持った爪。

滴るよだれ。


どう考えても、四人でさばき切れる数ではない。


店主は一度だけ、短く、深く息を吐いた。


「……ふぅ」


その呼吸を合図にするように、リヒャルトが店主の背中を守る位置へ寄る。


魔力で青白く発光する魔術杖を構える。


メテスはさらに一歩前へ出て大盾を岩のように立て、片手剣の刀身へ濃密な魔力を這わせた。


来る。


全員が死闘を覚悟した、その瞬間だった。


森の辺り一面が、およそこの世のものとは思えない、暴力的な白い光に飲み込まれた。


「――!?」


森の音が、すべて消える。


世界が、圧倒的な白一色に塗り潰される。


次の瞬間、遅れて鼓膜を破るような規格外の爆風が叩きつけてきた。


店主が目を限界までひん剥く。


「……は?」


リヒャルトも、完璧な笑顔を崩して息を呑んだ。


「な……!?」


メテスが大盾で強烈な爆風をぎりぎりで受け流しながら、信じられないものを見るような声で低く呼ぶ。


「……リヒャルト。お前、何を投げた」


「……僕じゃありませんよ! あんな出鱈目な威力……」


激しい風に吹かれ、答えるように、幻惑の霧がゆっくりと晴れていく。


そして、遠くの太い木の上から、間の抜けた、ひどく必死な声が響き渡った。


「たーすーけーてぇー!!」


「こっちですー!!!」


木の枝にしがみついている、アルテルナとゲッセネスだった。


店主は一拍だけ呆然と黙り、それから、こらえきれないように肩を震わせて笑い出した。


「……あの、馬鹿ども」



あの規格外の爆発を境にしたように、森を覆っていた幻惑の靄は嘘のように薄れていった。


完全に消えたわけじゃない。


だが、さっきまでの方向感覚すら狂わせる悪質な濃さはない。


捜索隊の安否を確認する呼び声が、遠くで繋がり始める。


行方不明だった冒険者たちも、この霧の晴れ間を突いて、ひとり、またひとりと無事に見つかっていった。


安全圏まで合流を果たし、店主はようやく足を止め、背負っていたレッターを静かに地面へ降ろした。


レッターは自分の足で地面に立った途端、安心と罪悪感で、また泣きそうに顔をぐしゃぐしゃに歪めた。


「……僕のせいで……ごめんなさい……僕が……僕が、みんなを危険な目に……」


「レッター」


低く、静かな声に、レッターの肩がびくりと震える。


店主はレッターの涙を見ても、顔色ひとつ変えなかった。


ただ、まっすぐにその目を見て言った。


「そこは、『迎えに来てくれてありがとう』、だ」


レッターが、はっと息を呑んで目を見開く。


リヒャルトも、メテスも、息を止めたみたいにして店主を見つめていた。


店主は何でもない、いつもの気怠げな顔に戻ると、

まず、隣にいたリヒャルトの美しい金糸の頭をわしゃっと乱暴に撫でた。


「待機命令を無視して飛び出してきた、馬鹿その一」


「……店主」


次に、大盾を下ろしたメテスの頭へ、大きな手が容赦なく乗る。


「馬鹿その二」


メテスは何も言い返さない。


ただ、少しだけ嬉しそうに目を細めて、その乱暴な撫で方を受け入れていた。


そして最後に。


まだ涙目のレッターの頭へ、ぽん、ぽん、と一番優しく、軽く手を置いた。


「で。ひとりで勝手に迷子になった、馬鹿その三」


その瞬間。


「きゅーーーっ!!」


「わふっ!」


これまで空気を読んで我慢していたクリムとルゥが、揃って店主の身体へ猛突進した。


「ぐあっ!」


分厚い武装を着込んでいる店主でさえ、二匹の愛情のタックルにたたらを踏む。


クリムが肩へよじ登って髪の毛を引っ張り、

ルゥが足元へぐりぐりと強めに頭を押しつける。


「おい、痛い! 重い! 苦しいっての!」


「きゅっ!(心配したんだぞ!)」


「わふ!(……無茶をするな、馬鹿飼い主!)」


クリムとルゥたちの容赦ない物理的な抗議に、張り詰めていた戦場の空気がようやく緩んだ。


その時だった。


遠くの木の上から、またしてもやかましい声が飛んでくる。


「ちょっとー!! だれかー!!! きいてるー!!?」


「爆風で木から降りられませーん! 助けてくださーい!!」


いまだに枝にしがみついているアルテルナとネスだ。


店主は顔を上げた。


それから、心の底から呆れたような、特大のため息をつく。


「……最後までうるさいな、あいつらは」


だが、文句を言うその声音は、

今日一番、どこか安心したように軽かった。



数日後。


カラン、とアトリエのベルが鳴り、扉が開く。


「おい店主! 噂のすげぇ威力の『殲滅ポーション』とやらが欲しいんだが!」


常連の冒険者が、いかにも軽い調子でカウンターへ身を乗り出してきた。


店主は乳鉢を回す手を一切止めず、鼻を鳴らす。


「……あれは偶然の産物だ。危険すぎる上に、そもそも素材がない。量産できるような代物じゃない」


「あー、そうか。残念だ」


常連客は肩を竦め、それでも結局、いつもの『滋養強壮薬』だの『傷薬』だのを買い込んで帰っていく。


扉が閉まる。


静けさの戻った店内で、店主がちらりと、意味深な視線をリヒャルトへ向けた。


「……あれはダメだぞ?」


リヒャルトは、一拍だけ、完璧な笑顔のまま目を逸らした。


「……量産はしませんよ」


メテスが棚の整理をしながら、低く付け加える。


「……奥の手は、いる」


店主は乳鉢を回しながら、これ以上ないほど深く息を吐いた。


「やれやれだ。どいつもこいつも、物騒な弟子ばかりで嫌になる」


その時、厨房の奥から明るい声がアトリエに響き渡った。


「お昼できましたよー!」


レッターだった。


その声にはもう、怯えも、顔色を窺うような暗さもない。


白亜の要塞の一階に、薬草の青苦い匂いと、美味しいスープの温かい湯気、そして、まだほんの少しだけ残る森での死闘の記憶が混ざり合う。


アトリエ・くぼ地は今日も、

ひどく物騒で、騒がしくて、愛おしい日常を刻んでいた。



脱字を修正しましたm(_ _)m

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