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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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橋の下のふたりと、投げつけるしかない失敗作

一か月の長期クエスト。

その初日の朝だった。


「はやく! はやく!」


「……ま、待ってよ、ルナ!」


転がり込むみたいにして、私たちは今にも発車しそうだった乗り合い馬車へ飛び乗った。


がたん、と車体が大きく揺れる。


私は乱れた息を整えながら、向かいに座ったネスをキッと睨みつけた。


「ちょっと、ネス! このクエスト逃したら、家賃滞納で『白亜の要塞』から追い出されちゃうじゃない!」


「……僕はちゃんと、時間通りに起こしたよ」


「そこはほら! えーっと……あ!」


苦しい言い訳を探そうとして、私はもっと重大なミスを思い出した。


「しまった! 店主からポーション買うの忘れてた!」


「はい。これ」


ネスが、当たり前みたいな顔で懐から小瓶を差し出してくる。


「さすがネス!」


私は反射的に笑って、小瓶の栓をぽんと抜いた。


「半分こね!」


ぐい、と半分だけ喉に流し込んで、残りをネスへ渡す。


その瞬間。


ネスの手が、ぴたりと止まった。


震える指先。


彼は、私が口をつけたばかりの小瓶の縁を、食い入るように見つめている。


それから、私の唇を見た。

小瓶を見る。

もう一度、私の唇を見る。


「……なによ」


「いや……」


ネスは耳の先まで真っ赤に染めながら、やたらと慎重な手つきで、小瓶の口へ自分の唇を重ねた。


ほんの少しだけ触れるみたいにして飲んで、次の瞬間、ぶわっと顔をさらに赤くして両手で口元を覆い隠す。


「……っ。キツい」


「味はどう?」


私がわざとにやにやしながら聞くと、ネスは顔を隠したまま、消え入りそうな声で言った。


「……最高です」


「なにそれ」


「味の話じゃない」


「聞こえてるわよ」


馬車の窓から差し込む朝の光が、ネスの真っ赤になった耳を明るく照らしていた。


こんな出立前のばたばたした時でも、こいつはいつもこうだ。


ちょっと可愛い顔をしたかと思えば、すぐに重くなる。

息が詰まるくらい重いくせに、肝心なところはもだもだして踏み込んでこない。


でも、そういう面倒くさいところも、もう見慣れた。


だって私たちは――『ニコイチ』だから。



私たちが初めて出会ったのは、冷たい橋の下だ。


ゲッセネスは、最低限の餌だけを与えられて生きていた「放置子」だった。


親は、彼を世話する気なんて最初からなかったんだと思う。

死なない程度にただ生かしておいて、視界の隅にいることすら煩わしくなった頃……ある日、ふっと消えたそうだ。


もぬけの殻になった家に取り残されたネスは、それでもずっと待っていたらしい。


戻ってくるかもしれない。

迎えに来るかもしれない。


そう思って、何度も、何度も、誰もいない空っぽの家へ足を運んだ。


でも、最後まで誰も来なかった。


やがて家賃の取立てに来た人間に捕まり、どこかへ売られそうになって、彼はようやく逃げ出した。

そして橋の下に転がり込み、泥水に塗れて死にかけていたのだ。


私は私で、まともじゃない家で育った。


『まだ死んでなかったの?』


実の母は、そういう顔で私を見る人だった。

父は、酒を飲んでは私を殴る人だった。


そしてある日、扉の向こうで、私の身体を売って金を稼がせる相談をしている声を聞いてしまった。


だから、逃げた。


鞄に少しの食料を詰め込んで。

母が床下に隠していた金も掴んで。

夜逃げ同然で乗り合い馬車に飛び乗って、あの毒親から一番遠い、この街まで来た。


でも、手元の金は多くなかった。

まともな宿に泊まり続けたら、すぐに尽きるのは目に見えている。


だから、橋の下で寝る覚悟を決めた。


そこで見つけたのが、ネスだった。


最初は、ただの死体かと思った。

薄汚れて、骨と皮みたいに細くて。泥に塗れた顔の中で、目だけが妙に大きく虚ろに開いていた。


でも、かすかに息をしていた。


『ちょっと。あんた、死ぬなら別のとこで死になさいよ』


そう悪態をついたのに、返事はなかった。


仕方ないから、水筒の水を強引に飲ませた。

買ったばかりの硬いパンをちぎって、無理やり口へ押し込んだ。


そしたら、こいつ……声を上げて泣いたのだ。


それからだ。

私たちが、二人でひとつの『ニコイチ』になったのは。



「やった! 採取クエストは無事に達成したから、あとは街に帰って納品と報告だね!」


ネスが、背負ったずっしりと重い荷を抱え直しながら嬉しそうに言う。


「ふふふー!」


私も思わず笑みがこぼれる。


「これで、白亜の要塞から追い出されずに済む!」


今の私たちは、あの頃とは違う。


あのアトリエ・くぼ地の二階。角部屋。

隙間風も吹かなくて、寒くなくて、雨風をしのげる、温かい『自分たちの部屋』がある。


帰りを待っていてくれる、面倒見のいい店主やリヒャルトたちがいる。

絶対に、失いたくない。


そのためには、働いて、稼いで、この世界に必死に食らいつかなきゃいけない。


冒険者ギルドには、事情を通してある。

それでも、たまにあの毒親からの手紙がギルド宛てに届く。


ギルドの職員も渡したくはないらしいが、正規の依頼として出された以上、手渡すしかない規則なのだそうだ。


だから今のところ、私は実家から“泳がされている”状態だ。


直接乗り込んで来ないなら来ないで気味が悪い。

でも、まだ直接ここへ来ていないだけマシだ。


――はやく、もっと強くならなきゃ。


自分たちの力で食べていけるくらい。

あの親が来ても、力ずくで追い返せるくらい。

ちゃんと、未練ごと断ち切れるくらいに。


がたんっ。


突如、馬車が大きく跳ねるように揺れた。


私ははっとして顔を上げる。


なに、今の。


肌を撫でる空気が、急に重く、冷たくなった。


嫌な気配がした。


「ルナ!」


ネスの声も、普段より少し高く上ずっている。


「僕から絶対に離れないで!!」


ネスも感じ取ったんだ。


次の瞬間、景色が一変した。


ぶわっ、と。


視界を覆い尽くすほどの、不気味な白い霧が四方から押し寄せてきた。

窓の外にあったはずののどかな林道が、一瞬でぬめるような白へ溶け落ちる。


「……っ!」


乗客たちがパニックを起こしてざわつく。

御者の怒鳴り声。

馬のいななき。


でも、そのどれもがすぐに、ぶ厚い霧の向こうへ不自然に吸い込まれて消えていった。


「……こ、これ……ダンジョン化じゃ……」


ネスの声が震える。


突発ダンジョン生成。


最悪だ。


しかも、ただの迷い森じゃない。

肌が粟立つ。この霧、嫌な感じしかしない。五感がぐにゃりと歪められるような、気持ちの悪い魔力だ。


「ネス!」


私は即座に叫んだ。


「とにかく安全第一!! 私についてきて!」


馬車が完全に止まるのを待つ余裕なんてない。

私は転がるように荷台から飛び降りて、必死に辺りを見回した。


霧。

木。

白。

近いはずの地面の起伏すら曖昧で、足元がおぼつかない。


でも、こういう時は視界を信じちゃだめだ。


空気を読む。

毒親の機嫌を察知して逃げ回っていた、私の勘を信じる。


地上にいるより、空に近い方が安全だ。


「こっち!」


目に見える範囲で、いちばん太くて高い木を見つける。

枝の張り方、幹の太さ、足場になる節。


これなら登れる。


「ネス、荷物を捨ててでもついてきて!」


「わ、わかっ……!」


私が先に幹へ飛びつく。

手をかけ、足をかけ、素早く体重を移して登っていく。


ネスも重い鎧を鳴らしながら、後ろから必死に食らいついてくる。


太い枝が交差する高い位置まで上がって、ようやく私たちは息を吐いた。


「……ここで一回、止まる」


「う、うん……」


木の上なら絶対安全、なんて保証はどこにもない。

でも、少なくとも私の直感は、地上でこの霧の中を闇雲に歩くよりはマシだと告げていた。


――ぎゃあぁぁぁぁっ!!


遠くの下方から、乗客の悲鳴が聞こえた。

すぐに、ぷつりと切れた。


そのあとに訪れた泥のような静けさが、逆に恐ろしい。


ああ。


私たち、ここで死ぬかもしれない。


隣の太い枝の上で、ネスがごくりと喉を鳴らした。


私は、ふと横を見る。


すごく怖い顔をしてる。

でも、私を置いて逃げようとはしていない。


馬鹿みたいに愛情が重くて、情けなくて、でも絶対に私から離れない、私のニコイチ。


「……ネス」


「……なに?」


「死ぬ前に、私に言うことない?」


「は!?」


ネスが、目を限界までひん剥いた。


「な、ななな、何を……! 死ぬなんて言っちゃダメだよ!」


「今言わなきゃ、永遠にチャンス来ないと思わない?」


「そ、それは……」


顔が真っ赤になってる。

こんな命の危機にまで、本当にもう。


言え。

ここで言え。

あんだけ重いくせに。


そう思っていた、その時だった。


ドォン――!!


遠くの霧の奥で、強烈な爆破音が鳴り響いた。


私たちが乗っている木の葉が、びりっと震える。


私たちは同時に顔を上げた。


その爆音のあと、微かな、だけど澄んだ音が風に混じって聞こえた。


ちりん。

ちりん。


鈴の音だ。


「……聞こえた!?」


「捜索隊が来てる!」


ネスの目が一気に冴え、声に希望が宿る。


でも、私は足元をじっと睨み下ろし、すぐに首を振った。


「……だめ。下を見て」


霧が、さっき登ってきた時よりも異常に濃くなっている。


木の根元なんてもう見えない。

真っ白な膜みたいに地表を覆っていて、その中で『何か』が動いている気配がした。


「嫌な霧が濃すぎる……あの中を歩くのは危険すぎる」


ネスも下を見る。

ごくり、と震える喉の音が聞こえた。


「……ルナの勘は外れない」


ネスは小さく息を吸って、それから、震えを押し殺してはっきりと言った。


「僕は、絶対にルナから離れない」


胸の奥が、ぎゅっと、ちょっとだけ熱くなった。


こういう時だけ、ちゃんと言う。

本当に、ずるい。


でも今は、それでいい。


捜索隊が近い。

あの鈴なら、店主たちが来ているのかもしれない。


でも、下へは近づけない。

このままじゃ、向こうも霧に遮られて私たちの位置を掴めない。

叫べば、下にいる魔物たちを呼び寄せてしまう。


何か。

何か、こっちにいるって安全に知らせる術が――


そこで、私は目を見開いた。


「あっ」


「な、なに?」


「ネス。あんた、リヒャルトから預かったポーション、まだ持ってる?」


「えっ」


ネスが、慌てて腰のポーチの中を探る。


取り出した小瓶は、どす黒く濁っていて、見るからにろくでもない気配を放っていた。


リヒャルトの失敗作だ。


『何が起きるかわからないから、絶対にむやみに使うな』と、出立前に念を押されて押し付けられたやつだ。


「でもこれ、ほんとに何が起きるかわからないって言われて……!」


「とにかく、あっちの爆発音がした方に向けて、全力で投げなさい!!」


「と、投擲はルナの方が得意じゃん!」


「そこは男見せなさいよ!!」


ネスが、涙目になって泣きそうな顔をする。


でも、枝の上でその不気味な小瓶を握る手は、

ちゃんと離さなかった。


白い霧の向こう。

微かに鳴り続ける鈴の音。

爆破の残響。


私たちは息を止めたまま、その見えない先を睨んだ。



アルテルナ(ルナ)とゲッセネス(ネス)

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