性格が明るくなりたい。そんなポーションが欲しい
愛想の仮面と、声の出どころ
カラン……。
昼下がりのアトリエ・くぼ地に、ひどく静かな青年が入ってきた。
年の頃は二十代半ばほど。
黒に近い髪をきちんと撫でつけ、服にも皺はない。
けれど、その整い方はどこか不自然だった。
乱れないように、はみ出さないように。
失敗しないことだけを重ねてきた人間の、息苦しい整頓だった。
「いらっしゃいませ」
リヒャルトが柔らかく微笑む。
青年は会釈を返し、カウンターの前で少し迷ってから、小さく口を開いた。
「……性格が、明るくなりたいんです」
レッターが、ぱちりと目を瞬く。
店主は薬草を刻む手を止めず、淡々と返した。
「どんな風に明るくなりたいんだ?」
「ど、どんな風に!?」
青年が、そこで初めて本気で狼狽えた。
その反応に、クリムが店主の肩の上で首を傾げる。
「きゅ……(そこから……?)」
ルゥは床に伏せたまま、片目だけ開けた。
青年は慌てて両手を振る。
「ええと、その……こう、もっと……明るく。場を盛り上げられる感じというか。人と自然に話せて、気の利いたことも言えて、周りを笑わせたり、和ませたりできるような……」
「要するに」
店主が、ようやく手を止めて顔を上げる。
「今のお前は、暗いのか」
青年はぐっと言葉に詰まった。
「……暗い、というか……」
視線が落ちる。
「職場でも、飲み会でも、集まりでも。僕がいると場が静かになるんです。話しかけても会話が続かないし、何か言おうとすると考えすぎて遅れるし。あとで“ああ言えばよかった”って一人で反省して……」
カウンターの木目を見つめたまま、掠れた声が落ちた。
「うまくやれない人間なんです」
レッターが小さく眉を下げる。
リヒャルトが茶を淹れながら、静かに問うた。
「お客様は、“明るい方”がお好きなのですか?」
「好き、というか……羨ましいです」
青年は苦く笑う。
「誰とでも話せて、空気を軽くできて、いてくれると助かるって思われる人。ああいう人なら、もっと生きやすいんだろうなって」
店主が鼻を鳴らした。
「……性格そのものを入れ替えたいわけじゃなく、“周りから扱いやすい人間”になりたいってことか」
青年の肩が、ぴくりと揺れる。
図星だったらしい。
「……わかった」
店主はカウンターの下から、
コト、コト、と二つの小瓶を並べた。
「お前がどうしても“明るい性格”になりたいってんなら、選べ」
ひとつめ。
炭酸みたいにぱちぱちと弾ける、鮮やかな橙色の液体。
「物理補助。『宴会花火のソーダ』だ」
青年が目を上げる。
「飲めば、声量が上がる。表情筋も柔らかくなる。身振り手振りも自然に大きくなって、笑う、驚く、相槌を打つ、そういう反応が全部派手になる」
「それは……」
青年の目に、少しだけ期待が差す。
「場では確かに“明るい人”に見えるだろうな」
店主は瓶を指先で弾いた。
ぱち、と中で小さな泡が跳ねる。
「ただし、中身が伴わねえと、三十分で“声がでかいだけの薄い奴”になる。お前の空っぽさが、今よりでかい音で響くだけだ」
青年の顔が引きつった。
「……こ、怖いですね」
「だろうな」
ふたつめ。
甘い金色をした、蜜みたいなとろりとした液体。
「心理補助。『愛想笑いの蜜』だ」
「名前からして嫌な予感がします……」
「飲めば、人の話に自然に笑える。相手の機嫌を読むのも上手くなる。場に合わせて丸く収まりのいい返事ができるようになる」
青年はごくりと唾を飲む。
「……それ、だいぶ助かる気が」
「だろうよ」
店主の声は平坦だった。
「ただし、お前自身もどこで本気で笑ってるのかわからなくなる。愛想のいい便利屋にはなれるが、帰る頃には“今日の自分、何喋ったっけ”って空っぽになるぞ」
金色の液体が、重たく揺れる。
「明るいってのは、“嫌われないように器用に振る舞う”のと同じじゃねえ」
青年は黙り込んだ。
手元の二本を見つめる目が、少しずつ曇っていく。
「……じゃあ、どうすればいいんですか」
ぽつりと、諦めたような声だった。
「僕、別に人気者になりたいわけじゃないんです。ただ……人と一緒にいる時、毎回“失敗しないように”って力が入りすぎて、終わる頃にはぐったりしてるんです」
指先が、カウンターの端をぎゅっと掴む。
「もっと、自然に笑いたい。もう少しだけ、人と話すのが怖くない自分になりたい」
アトリエが、しんと静まる。
店主は鼻を鳴らした。
「……だから、まともなみっつめを用意してやってんだろ」
店主は、無言のままカウンターの下から最後の小瓶をどんと置き、青年の前へ少し押し出した。
淡い琥珀色。
陽だまりを溶かしたみたいに、静かな光を湛えていた。
「みっつめ。本音補助。『声の出どころ』だ」
「声の……出どころ?」
「飲めば、“相手にどう見られるか”より先に、“今、自分が何を感じたか”が掴みやすくなる」
青年が目を瞬く。
店主は琥珀の瓶を指先で弾いた。
「面白いなら、面白い。困るなら、困る。好きなら、好き。わからないなら、わからない。……そういう、一番最初の感触だ」
静かな声が、まっすぐ落ちる。
「暗い人間ってのは、たいてい本当に暗いんじゃねえ。言葉を出す前に、“これを言って変じゃないか”“滑らないか”“嫌われないか”って、出口で全部渋滞してるだけだ」
青年の瞳が、わずかに揺れた。
「この薬は、お前を陽気にはしない。人気者にもしてくれねえ」
店主の声は、いつも通り乾いていた。
「だが、“自分の声がどこから出るのか”は少し見えやすくなる。場に合わせて無理に明るくなるんじゃなく、お前の中から出る感想を、少しだけそのまま外へ出しやすくする」
リヒャルトが、穏やかに茶を差し出す。
「要するに、“魅力的な別人”になるのではなく、“息の詰まらない自分”に近づく補助ですね」
青年は茶の湯気を見つめた。
しばらくして、かすかに笑う。
「……なんか、思ってたのと全然違います」
「当たり前だ」
店主が鼻で笑う。
「性格なんざ薬で入れ替わるもんじゃねえよ。だが、喉元で詰まってる石ころを少しどかすくらいならしてやれる」
レッターがそっと続ける。
「ぼ、僕も……前は、人と目を合わせるだけで怖かったです。でも、“うまくやらなきゃ”より先に、“今、怖いんだ”って自分でわかるようになってから、少しだけ楽になりました」
青年が、レッターを見る。
その目に、さっきまでより少しだけ熱が戻っていた。
「……なるほどなあ」
小さく息を吐く。
「僕、明るくなりたいんじゃなくて……毎回、縮こまって終わるのをやめたかったのか」
「ようやく自分の相談が聞こえたか」
店主が淡々と言う。
青年は苦笑し、それから琥珀色の瓶へ手を伸ばした。
「……これをください」
「賢明だな」
店主が言う。
青年は瓶を持ち上げ、しばらく眺めたあと、小さく笑った。
「これ飲んだら、いきなり人気者にはなれなさそうですね」
「なれるか馬鹿」
「ですよね」
そのやり取りに、レッターがほっとしたように笑う。
リヒャルトが、流れるような所作で小瓶を包む。
「お代は銀貨三枚になります。なお、効果中は“気の利いたことを言おう”とする前に、“それ面白いですね”“ちょっと困ってます”“実は緊張してます”のような素朴な一言が先に出やすくなります。大変地味ですが、有用ですよ」
「地味なんですね……」
「非常に」
青年は苦笑しながら銀貨を置いた。
「でも、たぶんそういうのが欲しかったんだと思います」
店主が短く鼻を鳴らす。
青年は小瓶を懐にしまい、立ち上がる。
入ってきた時より、表情はまだ地味だった。
だが、肩の力が少しだけ抜けていた。
「……ありがとうございました」
今度は、ちゃんと店主たちの顔を順に見て礼を言う。
カラン。
扉が閉まり、静けさが戻る。
しばらくして、レッターがぽつりと呟いた。
「……明るくなる、って難しいですね」
「雑な言葉だからな」
店主が薬草を刻みながら言う。
「明るくなりたい、の中には、人気者になりたいも、嫌われたくないも、気楽になりたいも、全部ごちゃ混ぜで入ってる」
メテスが低く言う。
「……戦場でも同じだ。“強くなりたい”の中身を分けない奴は、だいたい死ぬ」
「物騒なたとえですねえ……」
リヒャルトが微笑みながら、空になったカップを下げた。
「ですが本質です。何を欲しているのか、自分で言い当てられないうちは、適切な薬も言葉も選べませんから」
クリムが胸を張って鳴く。
「きゅ!(まずは中身!)」
ルゥは静かに尻尾を揺らした。
「わふ(……無理に明るくなくていい)」
昼下がりのアトリエ・くぼ地には、特製茶のやわらかな香りが、まだ静かに残っていた。




