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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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はじめてのお使いと、細道に切り取られた青空

朝のアトリエ・くぼ地は、戦場みたいに慌ただしい。


「店主! いつもの滋養強壮ポーション頼む!」

「こっちもだ。あと傷薬も二本!」


開店と同時に、常連客や入居者たちが、次々とカウンターへ押し寄せる。

出されたポーションをジョッキみたいにぐいっと飲み干し、

「よし、行ってきます!」と威勢よく扉を開けて、

それぞれの仕事へ飛び出していく。


「レッター、三番テーブルの空き瓶を回収してください」

「はい、リヒャルトさん!」

「……メテス、お前は入り口の荷物を退けろ。邪魔だ」

「……了解」


店主の短い指示と、リヒャルトの流れるような客捌き。

その間を縫うように、レッターはぱたぱたと小走りで手伝いをこなしていた。


忙しい。

けれど、この活気に満ちた“日常”の輪の中に自分がいることが、レッターはたまらなく好きだった。


その時だ。


ポーションを買い終えて足早に出ていった客が、カウンターの端に小さな革袋を置き忘れているのに気づいた。


「店主! お客様が落とし物をされました!」


レッターの弾んだ声に、店主が手を止める。

店内と、忙しそうに動くリヒャルトたちをぐるりと見回した。


「……レッター。お前、今ならあいつに追いつくだろ。届けてやれ」


「はいっ!」


レッターは革袋をぎゅっと胸に抱え込み、弾かれたように店を飛び出した。


朝の冷たい空気が、頬を撫でる。


不思議だった。

ただ落とし物を届けるために、見知らぬ誰かの背中を追いかけているだけなのに、なぜかひどく嬉しい。


かつて“逃げる”ために這いずり回っていた時の恐怖は、もうどこにもなかった。

今の自分の足取りは、羽が生えたみたいに軽い。


「あっ、いた!」


通りの先に、先ほどの客の背中が見えた。


けれど、レッターが声を上げようとしたのと同時に、客は停留所に滑り込んできた乗合馬車へ乗り込んでしまった。


「ま、待ってください……っ!」


無情にも、馬車はゆっくりと車輪を回し始める。


ああ、どうしよう。

追いつけなかった。

店主の期待に応えられなかった。

……このまま、店に戻るべきだろうか。


レッターがその場に立ち尽くしていると、停留所で次の馬車を待っていた老人が声をかけてきた。


「おや坊ず、今の馬車に乗り遅れたのかい? あれは中央広場行きだよ」


中央広場。


レッターは、頭の中の地図を素早く広げた。

リヒャルトから何度も教え込まれた街の道筋が、すっと浮かぶ。


(……行ける)


「おじいさん、ありがとうございます!」


レッターは踵を返し、大通りから外れた細道へ飛び込んだ。


この入り組んだ路地をまっすぐ抜ければ、馬車が迂回して中央広場へ着くより早く、次の停留所へ先回りできるはずだ。


ぎゅっと落とし物を握り締め、覚悟を決めて走り出す。


タンッ、タンッ、と石畳を蹴る音が心地よいリズムを刻んだ。


細道には、ひだまりで欠伸をする猫。

尻尾を振ってこちらを見る犬。

見上げれば、両脇の建屋に挟まれて細長く切り取られた、どこまでも晴れた青い空。

そこを、名も知らぬ鳥たちが自由に羽ばたいていく。


風を切って走る。

痛みのない身体で。

自分の意志で。


なんだか、自分もあの鳥の一羽になったような気がして、レッターの口元に自然と笑みがこぼれた。


細道を一気に駆け抜けると、ぱっと視界が開け、がやがやとした人のざわめきが波のように押し寄せてきた。


中央広場だ。


そしてちょうど今、レッターが追いかけていた乗合馬車が停留所に到着し、あの客が降りてきたところだった。


「お客さまーーー!!」


レッターの声に、客が驚いて振り返る。


息を弾ませたレッターが、大切に抱えていた革袋を両手で差し出した。


「これ! アトリエに、忘れていかれました!」


「えっ……嘘だろ。君、わざわざここまで走ってきてくれたの!?」


客は目を丸くして革袋を受け取り、中身を確かめる。

それから、心底安堵したように息を吐いた。


「本当にありがとう。仕事の道具が入ってたんだ。助かったよ……っ、これはお駄賃だ。甘いものでも食べな」


客はレッターの手に小さな銀貨を一枚握らせると、大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でた。


「えへへ……。ありがとうございます!」


かつてなら、他人に手を伸ばされただけで怯えていたはずだった。

それなのに今は、満面の笑みでその温もりを受け入れている。


再び仕事へと急ぐ客の背中に、レッターはちぎれんばかりに手を振った。



店まで帰る道。

大通りは、すっかり一日の活気に満ちていた。


その雑踏の中を、レッターは一人で歩いている。


見張る者も、鎖もない。

自由に、自分の足で。


ポケットの中で、お駄賃の銀貨がちりんと鳴った。


カラン。


「……ただいま戻りました!」


アトリエの扉を開けると、いつもの匂いがした。

薬草の青苦い香りと、特製茶の甘い匂い。


カウンターの奥で乳鉢を回していた店主が、顔を上げる。

ほんの少しだけ、目を細めた。


「無事にお届けできましたか?」


リヒャルトが、布巾でカウンターを拭きながら優雅に微笑む。


「……水だ。飲め」


いつの間にか背後に立っていたメテスが、無表情のまま冷たい水の入った木杯を差し出した。


レッターは水をごくごくと飲み干し、口元を拭う。

それから、太陽みたいな笑顔で三人に報告した。


「はいっ! ……お駄賃、もらえちゃいました!」


店主が鼻を鳴らす。

リヒャルトの口元がやわらかく綻ぶ。

メテスは何も言わなかったが、差し出した木杯を受け取る手つきが、少しだけゆるんでいた。


朝の喧騒はもう落ち着き、店内には特製茶のやさしい香りが静かに残っている。


レッターはポケットの銀貨をそっと握りしめた。


その小さな重みが、

今日の自分を確かに褒めてくれている気がした。



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