一緒にいる意味がわからなくなった…
繋がる魔道具と、隣の空席
カラン……。
夕暮れのアトリエ・くぼ地に、疲労を色濃く滲ませた若い女性が入ってきた。
「……すみません。眠りが浅くて。少し強めの安眠薬を、いただけますか」
「いらっしゃいませ。それはお辛いですね」
リヒャルトが柔らかく応じ、温かい特製茶をカウンターに置いた。
女性は茶の湯気をぼんやりと見つめながら、自分の鞄から小さな板状の『通信魔道具』を取り出し、真っ暗な画面を指でなぞった。
「……一緒にいても、ずっとこれを触ってるんです」
ぽつりと、こぼれ落ちた声だった。
「せっかくの休みも、ご飯を食べている時も。返事も生返事で、目はずっと魔道具の画面に向けられたまま。……私、一緒にいる意味あるのかなって、わからなくなってきちゃって」
「文句を言うと『大事な連絡だ』『仕事の付き合いだ』って怒るんです。でも、画面の向こうの誰かと笑って繋がっている間、隣にいる私は、ずっと一人ぼっちで……」
薬草を刻んでいた店主が、手を止めた。
調合し終えた安眠薬の小瓶を、コトン、とカウンターに置く。
「……依存か」
「え?」
女性が顔を上げる。
「相手は魔道具に依存し、お前は『相手の視線』に依存してる」
「っ……私は、ただ普通に会話がしたいだけで……!」
女性が言い返そうとしたが、店主は無言のまま、カウンターの下からコト、コト、と二つの瓶を並べた。
「お前がその『隣の空席』をどうにかしたいってんなら、選べ」
ひとつめ。
鈍い赤を沈めた、重たい液体。
「物理排除。『沈黙の砂』だ。これを一粒でも相手の魔道具に入れれば、魔力回路が鈍って、しばらく繋がらなくなる」
女性の目が、わずかに見開かれる。
「……でも、そんなことしたら、彼は怒りますよね」
「当然だ」
店主の声は平坦だった。
「根本が解決してねえんだからな。魔道具を黙らせたところで、今度はお前を鬱陶しがって、別の場所に居場所を作るだけだ」
ふたつめ。
淡い桃色の、小ぶりな瓶。
揺らすと中で甘い光がひとすじ流れた。
「心理補助。『振り向きの香』だ。身に纏えば、相手は魔道具を放り出してお前を見る」
店主は鼻で笑う。
「……だが、それは敬意でも愛情でもない。ただ依存先が差し替わるだけだ」
視線だけを奪う、空っぽの魔法。
「魔道具の画面を眺めるのと同じ目で自分を見つめられて、お前は満足か?」
女性は言葉に詰まり、唇を噛んだ。
レッターが、痛ましそうに眉を寄せて女性を見つめている。
「……じゃあ、どうすればいいんですか。私は、ただ、大切にされたいだけなのに……」
「だから、みっつめを用意してやったんだ」
店主は、最初に置いた安眠薬の隣に、深い琥珀色の液体が入った小瓶をどんと置いた。
「みっつめ。……『自立の砂時計』だ」
「自立……?」
「飲めば、頭の中の霧が晴れ、時間の感覚が極めて正確になる」
店主が瓶を指先で弾く。
琥珀色の液体が、ゆっくり揺れた。
「いいか。お前が一番傷ついてるのは、『彼が魔道具を見ていること』じゃない」
低い声が落ちる。
「『自分のために用意した時間が、彼にとってはその程度の価値しかない』という事実だ」
女性の肩が、びくりと跳ねた。
「……っ」
「待つな」
店主の声は低い。
けれど、そこには確かな熱があった。
「相手が魔道具を取り出してこちらの存在を透明にしたなら、お前もさっさと自分の時間を始めろ。本を読め。お茶を飲め。散歩に出ろ。……『あなたの背景になる気はない』と、行動で示せ」
女性は黙って店主を見ていた。
「隣に座って悲しい顔で待っててくれる都合のいい女でいるうちは、相手は一生お前を見ない」
店主は鼻を鳴らす。
「……自分の時間を生きろ。それでも相手が画面から顔を上げないなら、その程度の男だ。見限れ」
アトリエが、しんと静まり返った。
メテスが奥で、小さく頷く。
「……無抵抗な的は、舐められるだけだ。防御ではなく、離脱しろ」
戦士としての短くも鋭い言葉が、店主の言葉を裏打ちした。
女性は、三つの瓶を順に見つめた。
やがて、震えていた指先が、ゆっくりと琥珀色の『自立の砂時計』へ伸びる。
「……安眠薬は、いりません。これを」
「賢明なご判断です」
リヒャルトが、流れるような所作で小瓶を包む。
「……相手の時間を尊重できない者に、あなたの美しい時間を差し出し続ける義理はありませんよ。お代は、銀貨三枚になります」
女性はしっかりと銀貨を支払い、小瓶を鞄にしまった。
そして、自分が持っていた通信魔道具の電源を、ためらうことなく切る。
「……帰ったら、読みかけだった本を開いてみます。彼が画面を見ている間、私は私の時間を楽しみます」
「ああ。せいぜい優雅に過ごせ」
店主が鼻を鳴らす。
女性は来た時よりもずっと軽い足取りで、店を出ていった。
カラン。
扉が閉まる。
「……店主。もしあの方の彼氏が、本を読んでいる彼女を見て文句を言ってきたらどうします?」
レッターが、少し心配そうに尋ねる。
「その時は、あの女が自分で決めるだろ。蹴り飛ばすか、荷物をまとめるか」
店主は薬草の作業に戻る。
「……まあ、自分の時間を取り戻せりゃ、それで十分だ」




