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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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揺れる扇と店番

厨房から漂う、食欲をそそる芳醇な香りがアトリエの空気を満たしていた。

夕餉の支度が佳境に入ったことを知らせるその匂いは、店番をしている面々の胃袋まで静かに刺激している。


「……いい匂いだ。今日は一段と腹にくるな」


カラン、と乾いたベルの音が響く。


入ってきたのは、顔なじみの常連客だった。


「いらっしゃいませ。いいタイミングでしたね。ちょうど厨房に火が入ったところですよ」


カウンターでリヒャルトが、気品ある仕草で顔を上げる。


「やっぱり『これ』シリーズと……あと、いい夢見れるポーションをくれ。外の匂いで余計に腹が減っちまって、このままじゃ寝つけそうにない」


「かしこまりました。銀貨四枚になります」


リヒャルトが流れるような手つきで包みを用意する。

その傍らで、メテスが音もなく棚から星空色の小瓶を取り出し、カウンターへ置いた。


その時だった。


カランッ、と、先ほどより鋭いベルの音が響く。


見慣れない装いの女性が、嵐のように飛び込んできた。

上質な生地のドレスに身を包んだ彼女は、店内を見渡すなり、カウンターで微笑むリヒャルトを見つけて、声を弾ませた。


「まあ! ここが噂の錬金術師のポーション屋!? なんてこと、店主がこんな美少年だなんて! ……はっ、若さを保つポーションね? そうなのね!? 凄いわ、そんなに若々しいお姿でいられるなんて……私も欲しいわ! いくら出せば手に入るの!?」


「いらっしゃいませ、お客様……」


リヒャルトが「店主ではない」と言いかけた、その瞬間だった。


「……そうなの……やっぱりわかる? もうね、身体にガタが来てるのよ。あるわよね? その美しさを保つ秘薬。ないとは言わせないわよ!」


勢いのまま言葉を被せられ、リヒャルトの微笑みがほんの少しだけ固まる。


「きゅ……っ(勢い凄い……!)」


カウンターの端でクリムが圧倒されたように耳を伏せた。


足元のルゥは、女の昂ぶりの奥にある危うさを嗅ぎ取ったのか、音もなくメテスとリヒャルトを守るような位置へ移る。


「……お前さん」


包みを抱えた常連客が、呆れたように、それでも忠告を含んだ声で口を開いた。


「この店で何が欲しいのか、はっきり言わなきゃ駄目だぞ。ここは『そういう』店だ」


「あら」


女は一瞬だけ鼻で笑った。

だが、その瞳の奥には焦燥と、どろりとした執念が張りついている。


「……ふん。店主、ちょっと耳を……」


女はリヒャルトを手招きした。


リヒャルトが言葉を返そうとすると、女はぱっと扇を広げ、顔を隠して声を潜める。

メテスがすっと一歩前へ出て、不測の事態に備えてリヒャルトの斜め後ろへ回った。


「……夫に愛人ができてね。……妊娠したのよ」


扇の陰から漏れた声は、先ほどの華やかさが嘘みたいに凍っていた。


「しかも……その女を、一緒に住まわせると言い出したのよ。この私を無視してね」


「…………」


リヒャルトの微笑みが、ほんの少しだけ温度を失う。


「……それで。あなたは、何をお望みですか?」


声はどこまでも澄んでいた。

慰めはなく、同情もない。

ただ、答えだけを求める声だった。


「……そうね」


女は、獲物を狙う蛇みたいな目でリヒャルトを見つめた。


「眠るように目を覚まさなくなるポーションか……私を、かつてのように美しく、誰もが跪くほど魅力的にするポーション。……もしくは、あいつらの未来をまとめて腐らせるような……」


アトリエに、冷たい沈黙が落ちる。


常連客は包みを抱えたまま目を逸らし、足早に店を出ていった。


リヒャルトは、カウンターの下から三本の瓶を、迷うことなく並べた。


ひとつめ。真珠のように光る、甘い香りの液体。


「物理補助。『幻惑の香水』です。これを纏えば、男の目にはあなたが絶世の美女に見えるでしょう。……ですが、見えるだけです。鏡の中身までは変わりません」


ふたつめ。濁った紫色の、重たい液体。


「物理排除。『睡蓮の沈黙』。飲ませた者は二度と目を覚まさなくなります。……その後、あなたが何を抱えて生きるかまでは、面倒を見かねますが」


女の手が、震えながらふたつめの瓶へ伸びかける。


その上から、メテスの視線が静かに落ちた。

剣を抜く必要すらない。異常に重い彼の魔力が、女の狂気を物理的に押し潰していく。


リヒャルトは、みっつめ。

透明なポーションを静かに前へ押し出した。


「みっつめです。……『決別の劇薬』。これを煽って今すぐ家を飛び出し、すべてを捨てて自立する。その覚悟があるなら、これほどよく効く薬はありません」


女は三本の瓶を見つめ、震える指先を彷徨わせた。


ふたつめを取る勇気はない。

けれど、みっつめを選んで今の地位も生活も捨てる覚悟も、まだない。


やがて、彼女が縋るように掴み取ったのは、ひとつめの『幻惑の香水』だった。


「……今は、これが欲しいのよ。これさえあれば、あの人の目はまた私に向くはずだわ。私の勝ちよ」


女は自分に言い聞かせるように呟き、銀貨をカウンターに叩きつけた。


「……あとの二つは、また来るわ。これでも駄目だった時にね」


「左様でございますか。……お待ちしておりますよ」


リヒャルトは完璧な、けれどひどく冷たい微笑みで一礼した。


「当アトリエの店主は非常に気が短い。……ですから、その香水が切れる前に、次の答えを見つけておくことをお勧めします」


「…………っ」


女は香水の小瓶を胸元にきつく抱きしめ、嵐のように店を飛び出していった。


カラン。


扉が閉まり、静寂が戻る。


「……店番、終了ですね」


リヒャルトが銀貨を金庫へしまいながら、ふうと息を吐く。


「……リヒャルト。あれ、本当に効くのか?」


メテスが、纏っていた圧を消しながら、ぼそりと尋ねた。


「ええ。美しく見えるのは確かですよ」


リヒャルトは瓶の残り香を指先で払った。


「……ですが、幻で作った愛など砂の城と同じです。一度崩れ始めれば、香水一瓶では到底支えきれません」


そう言って、急いで店の札を『準備中』へ返す。


「さあ、行きましょう。店主の料理を待たせるのは、毒を飲むより恐ろしいですから」


「きゅ!(はやくはやく!)」


「わふ(……やっと飯か)」


温かく、少しだけ切ない晩餐の香りが、白亜の要塞いっぱいに満ちていた。



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