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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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225/291

遺言の代金と、帰還のための劇薬

チーン、と。


白亜の要塞に備え付けられた魔道リフトが、静かな到着音を鳴らした。


扉が開き、重装備に身を包んだ中年冒険者が一階の店舗へ降りてくる。

三階の部屋を借りている男だった。

以前、家賃滞納は即退去だと店主に冷たく言い渡され、それでもここを選んだ客だ。


背中には、長期戦を覚悟した巨大な背嚢が揺れている。


「店主、明日から三ヶ月ほど遠征に行く」


男はカウンターへ歩み寄ると、ずっしり重い革袋と、封蝋のされた一通の手紙を置いた。


「三ヶ月分の家賃の前払いだ。……それと、万が一俺が帰ってこなかった場合は、部屋の荷物とこの手紙を、ここに書いてある住所へ届けてくれ」


どこか諦めの混じった、遺言みたいな響きだった。


リヒャルトが革袋を引き寄せ、流れるような手つきで中身を改める。


「金貨九枚。確かに三ヶ月分の家賃としてお預かりします」


「ああ。頼んだぜ」


男が小さく息を吐いた、その時だった。


「……うちは宿屋兼ポーション屋だぞ」


乳鉢を回していた店主が、手を止めることなく冷ややかに言い放った。


「死人の遺品整理と、遺言の配達サービスなんかメニューに載せた覚えはねえ」


男は苦笑して肩をすくめた。


「そこをなんとか頼むよ。デポジットから手数料を引いてくれて構わないからさ。……今回は迷宮のかなり深い階層まで潜るんだ。正直、生きて戻れる保証はどこにもない」


静寂。


少し離れた棚の陰で、薬草の仕分けをしていたレッターの手が、ぴたりと止まった。


(……死ぬかもしれないなら、どうして行くんだろう)


彼には分からなかった。

彼が知る死の危険とは、奴隷商の鞭や、逃げ場のない暴力のことだ。

自分から死地へ向かう意味が分からない。


そして同時に、店主がどう出るかを息を詰めて見守った。


(お金はもう払われた。なら、死んだ方がこの店主にとっては得だ。荷物も取れるし、手紙なんて捨てればいい)


それが、レッターの知る大人の計算だった。


だが店主は、引き出しから三つの薬をカウンターへ並べた。


「……生きて戻れる保証がないなら、保険を選べ。ギルドの遺体回収屋の世話になる前に、お前自身がどうしたいかだ」


ひとつめ。

粘り気のある、黒い泥のような薬。


「『凝血の黒泥』。腕が飛ぼうが腹が裂けようが、これを塗れば無理やり肉を繋いで出血を止める。……一生消えない傷が残るが、失血死だけは避けられる」


男が息を呑む。


ふたつめ。

淡く光る、美しい紫色の液体。


「『走馬灯の滴』。どうしようもなく追い詰められ、死を悟った時に飲め。……死の恐怖と痛みを消して、お前が一番会いたい奴の夢を見ながら死ねる」


男の視線が、自分で置いた手紙へ揺れた。


「手紙の配達料は、デポジットからきっちり引いてやる。……綺麗なまま死にたいなら、そいつを持っていけ」


レッターは身を固くした。


(……ほら、やっぱり)


死ぬことを前提にしている。

楽に死ねる薬を渡して、残りを回収する気だ。


だが店主は、みっつめを出す代わりに、カウンターに置かれていた男の手紙を指先で弾き返した。


その上に、小指の先ほどの小さな錠剤をひとつだけ乗せる。


「三つ目。……超高濃度の『覚醒丸』だ」


店主の目が、男の覚悟の底を見透かす。


「味は最悪だ。飲めば三日は眠れず、心臓が爆発するみたいに脈を打つ。……死ぬよりしんどいぞ」


一拍。


「だが、死に損なう」


店主は手紙を指差した。


「お前が死を覚悟するのは勝手だ。だが、死人の遺言なんて残された側からすれば、ただの呪いだろ。……配達料が惜しいなら、絶望した瞬間にその錠剤を噛み砕け。最悪の味に怒り狂って、這ってでも自力で帰ってこい」


アトリエに、重苦しい沈黙が落ちた。


メテスが壁際で腕を組み、静かに男を見据えている。

リヒャルトは家賃の金貨を金庫へしまいながら、表情を変えずにただ微笑んでいた。


男は三つの選択肢と、突き返された自分の手紙を見つめた。

やがて、大きく息を吐き出して笑った。


「……まったく。お前って奴は、本当に愛想のない宿の主人だよ」


男は迷いなく三つ目の『覚醒丸』を掴み取り、自分の手紙を再び懐の奥深くへしまい込んだ。


「分かったよ。こんな手紙、お前みたいな悪徳店主に任せておけるか。……絶対生きて帰って、自分で届けるさ」


「ああ、そうしろ。三ヶ月後、お前が帰ってこなかったら、部屋の荷物は全部売り払うし、デポジットは迷惑料として全額没収するからな」


「へいへい。首を長くして待ってな!」


男は来た時よりずっと力強い足取りで、背嚢を揺らしながら扉を開けた。


ガラン……。


西日が差し込み、扉が閉まる。


レッターは、その光景を棚の陰から呆然と見つめていた。


手紙を預かって、二つ目の薬を渡せばよかったはずだ。

そうすれば、金も荷物もきれいに手に入る。


それなのに店主は、「絶対に帰ってこい」と、一番苦しい薬と一緒に手紙を突き返した。


それはレッターの目には、どうしても損なやり方にしか見えなかった。


「……何をぼーっとしてる、レッター」


「ひっ……!」


いつの間にか、店主がカウンター越しにこちらを見ていた。


レッターは慌てて空瓶を拭く手を動かし、首をすくめる。


(殴られる。仕事をしていないと、不良品扱いされる……!)


だが、店主の口から出たのは罵声ではなかった。


「その棚の拭き掃除が終わったら、奥で飯にしろ。……メテス、こいつを連れて行け」


「……了解した」


メテスが無言で近づき、レッターの作業が終わるのを、急かすこともなく静かに待つ。


「あ、あの……」


レッターは震える声で、つい聞いてしまった。


「店主様は……荷物、欲しくなかったんですか……? あの人が死んだ方が、儲かったはずなのに……」


言ってから、しまったと青ざめる。

奴隷が主人の損得に口を出すなど、殺されても文句は言えない。


だが店主は再び乳鉢を引き寄せながら、鼻で笑った。


「……死人の持ち物なんて、ろくな値がつかねえんだよ」


ゴリ、ゴリ、と薬草を擦る音が店内に響く。


「それに、うちは月貸しの宿だ。家賃を払ってくれる生きた住人が、長く帰ってきてくれる方が、長い目で見りゃ儲かるに決まってるだろ」


あくまで自分は損得で動いただけだと言わんばかりの、ひどく不器用な理屈だった。


「……きゅ(素直じゃない)」


クリムが店主の肩で呆れたように鳴き、


「わふ(……帰る場所があると、足が前に出る)」


ルゥが静かに目を閉じた。


リヒャルトが、レッターの背中へそっと声をかける。


「行きましょうか。今日のスープは、あなたでも食べやすいように香草を減らしてありますよ」


「……っ、はい」


レッターは空瓶を置き、メテスとリヒャルトの後に続いて店の奥へ歩き出す。


(……儲かるから、生きて帰ってこいって、言った)


その冷たい言葉の裏にある、ひどく温かい呪い。


まだ完全には信じられない。

レッターは、自分の胸元をぎゅっと握りしめたまま、いつもよりほんの少しだけ急ぎ足で、ふたりの背中を追った。



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