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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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224/289

白金貨の契約書と、微笑む交渉人

淀みの迷宮でのダンジョンブレイクから数日。


アトリエ・くぼ地には、激戦を生き延びた冒険者たちが、後遺症の治療や薬の補充にひっきりなしに訪れていた。


「……まだ肺の奥がチクチク痛むんだ。店主、ポーションを頼む」


カウンターに寄りかかった大柄な常連客が、顔をしかめながら胸をさすった。


「……他の奴らは無事か?」


店主は錬金釜の火力を調整しながら、視線だけを客へ向ける。


「ああ。お前のあの狂った『泥濘の蓋』と『呼吸の陣地』のおかげでな。……生きてるよ。感謝してもし足りない」


常連客が深く息を吐くと、リヒャルトが流麗な手つきで小さな遮光瓶を差し出した。


「後遺症を散らすための清涼シロップです。肺の粘膜を保護します。……銀貨三枚になります」


「安いもんだ。これでまた明日から剣が振れる」


常連客が迷いなく銀貨を三枚置く。

命を繋いだ後のケアとして、銀貨三枚は破格の良心価格だった。


メテスが無言で銀貨を回収する。


少し離れた棚の脇では、レーベンス・レッターがぎこちない手つきで空瓶を布で拭き、次の客用の包み紙を揃えていた。

客が入るたび肩がわずかに強張る。

それでも、言われたことをひとつずつ片づけていた。


その時だった。


バーンッ!!

ガランガランガランッ!!


アトリエの重厚な扉が、今度は別の意味で勢いよく蹴り開けられた。


「店主!! あなたの腕を見込んで、ぜひ我が商会と契約を結びたい!!」


派手な絹の外套を羽織り、香水の匂いを撒き散らしながら転がり込んできたのは、王都でも名の知れた商家の若旦那だった。

その後ろには、重そうな革袋を抱えた護衛が数人控えている。


「きゅっ!?」


クリムが香水の匂いに顔をしかめ、


「グルル……」


ルゥが低く唸る。


レッターの手もぴたりと止まった。

大声、上等な外套、鼻につく香水、威張った物言い。

どれも、彼の中の嫌な記憶を引っかく類のものだった。

だが彼は顔を伏せ、空瓶を持つ手に力を込めたまま、その場を動かなかった。


店主はぴたりと作業の手を止め、ひどく冷めた目で商人を見た。


「……契約だと?」


「左様! 今回のダンジョンブレイクで、あなたのポーションがどれほど異常な効力を発揮したか、噂は聞いております! ギルドの連中に安値で卸すなど勿体ない!」


商人はカウンターへ歩み寄り、バンッと一枚の羊皮紙と、輝く硬貨の束を叩きつけた。


純白に輝く、白金貨だ。


「支度金として白金貨を十枚出しましょう! すぐに立派な工房を用意します! こんな埃っぽい店舗や、素性の知れない孤児たちを養う非効率な生活からはおさらばですぞ!」


商人が高らかに笑った瞬間。


「…………」


いつの間にか、メテスが音もなく商人の護衛たちの背後へ回っていた。


彼から立ち上る異常に濃く重い魔力の圧が、店内の空気を泥のように沈ませる。


屈強なはずの護衛たちの顔が青ざめ、目に見えない重圧に膝を震わせていた。


レッターは思わず息を止めた。

怒鳴り込み、金を積み、店を値踏みしていた側が、傷ひとつ負わされないまま追い詰められていく。


店主の目がすっと細められ、追い返すための毒舌を口にしかけた、その時だった。


「――お待ちください、店主」


澄んだ、しかし絶対的な冷たさを孕んだ声が店内に響いた。


リヒャルトだった。


彼は店主の前へすっと立つと、商人の目をまっすぐ見据え、完璧な愛想笑いを浮かべた。


「独占的な契約は、当アトリエの理念に反しますので、お受けできません。……ですが」


リヒャルトはカウンターの下から真っ白な羊皮紙と羽ペンを取り出し、流れるような手つきで文字を書き連ねていく。


「『優先的な卸先』としてなら、喜んで契約を結ばせていただきます。いかがでしょう?」


「卸先だと? ……ふん、まあいい。独占でなくとも、あのポーションを優先的に回してもらえるなら十分な利益になる。で、条件は?」


商人が鼻を鳴らすと、リヒャルトは書き上げたばかりの羊皮紙を滑らせた。


「簡単です。卸値は現在の市場価格の三倍。納品時期はこちらの任意。そして――」


リヒャルトは、カウンターに置かれていた白金貨十枚を、優雅な手つきで自分の方へ引き寄せた。


「この白金貨十枚を、契約の手付金として頂戴いたします。返金はいたしません。なお、ポーションの代金は別途請求となりますので、あしからず」


商人の顔が引きつった。


「な、舐めるな! 三倍の卸値に、白金貨十枚の手付金だと!? そんな契約、誰が結ぶか!」


「おや」


リヒャルトは静かに首を傾げた。


「淀みの迷宮を封鎖し、瘴気の中で冒険者たちを死なせなかった奇跡のポーション。それを大々的に扱える権利です。他商会がこの噂を聞きつけ、白金貨二十枚を積んで押しかけてくる前に、ここで手を打つのが賢明かと存じますが?」


一拍。


「……それに、あなたの商会は最近、西のルートで大きな損失を出したばかりでしょう? ここで目玉商品を取り逃がせば、次回の組合会議でどうなるか」


商人の眉が跳ねた。


「それは一時的な――」


「一時的、ですか」


リヒャルトの笑みは崩れない。


「では、その一時的な損失を埋めるために、ここへ白金貨十枚を持ち込んだのでは?」


商人の喉が詰まる。


「こちらとしては、契約しなくても困りません。困るのは、今回も空振りで戻るあなたの方でしょう」


「き、貴様……!」


商人は吐き捨てたが、声に勢いはなかった。


背後から、チリチリと肌を焼くような異常な魔力がさらに膨れ上がる。


振り向けば、メテスがただ無言で冷ややかな視線を落としていた。

剣を抜く必要すらない。

その圧だけで、護衛たちの足はもう半歩も前へ出ない。


「……大商人の名が泣くな」


店主がそこで鼻で笑った。


商人の顔色が変わる。


レッターは空瓶を抱えたまま目を見開く。

この家では、金を持っている方が強いわけでも、怒鳴った方が勝つわけでもない。

まだうまく信じられない。

それでも目の前で起きているのは、そういうことだった。


「くっ……」


商人が羊皮紙を睨む。

強がるように鼻を鳴らし、もう一度だけ口を開いた。


「卸値は二倍だ。手付金は五枚。それなら――」


「お断りします」


リヒャルトが微笑んだまま言い切る。


「では、他商会をお当たりください」


沈黙。


商人の視線が、羊皮紙と白金貨と、リヒャルトの笑顔の間を揺れた。

後ろでは護衛たちが青ざめたまま動けない。

逃げ道を計算しようとして、全部遅い。


「……わ、わかった! 契約する! サインすればいいんだろう!」


商人は震える手で羽ペンをひったくり、乱暴にサインを書き殴ると、護衛たちを引き連れて逃げるように店から転がり出ていった。


ガラン……。


扉が閉まり、香水の匂いが消える。


静寂が戻ったアトリエで、店主は大きく息を吐いた。


「……先々代の爺さんは大商人だったのにな。親父の代で少し鈍って、孫でここまで落ちるとは大したもんだ」


リヒャルトが白金貨十枚を丁寧に袋へしまいながら、ふふっと笑う。


「扱いやすい相手ではありましたね」


「……お前、悪徳商人かよ」


「失礼な。優秀な弟子と言ってください」


リヒャルトは得意げに笑った。


「店主は、珍しい素材や国宝級の劇薬を見ると、後先を考えず買ってしまうでしょう? この間の『不死鳥の血』だって、どれほどの額だったか……。店主が存分に錬金術の腕を振るうためにも、金はあるにこしたことはないのです」


「うっ……」


痛いところを突かれ、店主は言葉を詰まらせた。


「……了解した。あの孫が不穏な動きを見せたら、俺が処理する」


メテスも纏っていた重い圧を霧散させ、真顔で物騒なことを言いながら定位置へ戻ってくる。


「きゅっ!(大金星!)」


「わふ(……敵に回したくない奴らだな)」


クリムが歓喜の声を上げ、ルゥが呆れたように鼻を鳴らした。


店主は再び錬金釜に向き直り、大きく息を吐き出した。


「……ったく。お前ら、どんどん頼もしくなりやがって」


そう毒づきながら、店主はカウンターから身を乗り出し、まずリヒャルトの綺麗に整った頭をわしゃわしゃと乱暴に撫で回した。


「わっ、店主! 髪が乱れます!」


抗議する声とは裏腹に、リヒャルトの顔は嬉しそうに綻んでいる。


続いて、店主は戻ってきたメテスの頭もぽんぽんと、だが確かな重みで叩いて撫でた。


「……メテス。魔力の圧で脅すのはいいが、加減を間違えて店を吹き飛ばすなよ」


「……善処する」


メテスはわずかに目を瞬かせた。

無表情のままだったが、その耳の先だけがほんの少し赤い。


「よくやった。……今日の夕飯は、お前らの好きなもんにしてやる」


レッターは店の隅に立ったまま、そのやり取りを見ていた。

白金貨十枚が積まれても、店主が笑う相手は弟子たちで、落ちる手は褒美みたいにまっすぐだ。


金より先に、この家の空気が動く。


白金貨十枚の袋がカウンターの隅でずしりと沈む。

この店を満たしているのは金の匂いではなく、いつも通りの薬草と鍋の匂いだった。


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