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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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223/288

買われた命と、毒の入っていないスープ

ふかふかのシーツの感触。

痛みのない呼吸。

微かに香る、清潔な薬草の匂い。


レーベンス・レッターが目を覚ました時、最初に感じたのは安堵ではなく、凍りつくような恐怖だった。


(……息が、できる)


爛れて破棄される寸前だったはずの肺が、嘘みたいに軽い。

身につけているのは血と泥に塗れた襤褸布ではなく、肌触りのいい清潔な寝間着。

そして自分が寝かされているのは、どこかの貴族の館かと錯覚するような、手入れの行き届いたふかふかのベッドだった。


レッターの身体が、びくりと強張る。


(……治された。こんな、清潔な部屋で)


男娼館での記憶と、奴隷商の鞭の痛みが、脳髄の奥で一斉に警鐘を鳴らした。


――投資された分だけ、回収される。


綺麗な服。

高い薬。

柔らかいベッド。


これだけの金をかけられたということは、次に何を要求されるのか。

どんな奉仕が待っているのか。

どんな実験に使われるのか。


「……っ」


レッターは音を立てないよう毛布を握りしめ、身を縮こまらせた。

ベッドの隅から、いつでも床へ降りられるように重心を寄せる。

土下座ができる姿勢。怒らせない姿勢。命令にすぐ従える姿勢。


最適解だった。

怒らせないこと。

要求を先回りすること。

それしか、生き延びる道を知らない。


コン、と。


控えめなノックの音が響いた。


レッターの肩が跳ねる。


扉が静かに開き、一人の少年が入ってきた。


身のこなしから隠しきれない気品が漂う、ひどく整った顔立ちの美少年――リヒャルトだ。

その手には、温かい湯気を立てるスープとパンが載った木盆が握られている。


「……おはようございます。目は覚めましたか」


リヒャルトは、ベッドの隅で強張るレッターを見ると、それ以上は一歩も近づかなかった。

ただ、部屋の入口寄りにある小さな丸テーブルへ、コトンと木盆を置く。


「店主――この家の主からの伝言です。『金貨一枚分の先行投資だ。勝手に死なれると損をするから、さっさと飯を食え』とのことでした」


(……金貨、一枚)


レッターは息を呑んだ。


大金だからではない。

たった金貨一枚だったからだ。


鋼鉄の剣一本と同じ程度の値段。

それが、自分につけられた値札だった。


レッターはその意味を、これまでの経験から正確に理解した。


(僕は、剣一本と同じ値段で買われた安い道具だ)


喉がひりつく。


(……だから、ちゃんと動いて役に立たないと、またすぐに捨てられる……!)


恐怖が胃の腑を締め付ける。

綺麗な服を着せられ、ふかふかのベッドに寝かされたのは、安い道具をなんとか使える形に整えているだけだ。


もしここで食事を拒めば、「手入れの利かない不良品」として、今度こそ本当に破棄される。


リヒャルトはレッターと目を合わせないよう、少しだけ視線を外したまま続けた。


「食事に毒も、眠り薬も入っていません」


一拍。


「……ですが、今は信じられないでしょう。ですから、食べる食べないはあなたの自由です。誰も急かしませんし、残しても怒りません」


それだけ言うと、リヒャルトは優雅な所作で一礼した。

そして、そのまま静かに部屋を出ようとする。


「あ……」


レッターの喉から、掠れた音が漏れた。


(食べないと、怒られる。不良品だと判断される……!)


混乱するレッターの前で、開いた扉の隙間から、もう一人の人影が見えた。


廊下の壁を背にして、大柄な少年――

メテスが床に座り込んでいる。


彼は部屋の中を覗き込むことすらしない。

ただ、膝の上に置いた分厚い片手剣を、布で静かに、淡々と磨き続けていた。


リヒャルトが廊下へ出ると、メテスが短く声を発した。


「……起きたか」


「ええ。ですが、警戒は解けないでしょう。無理もありません」


「……そうだな」


メテスは剣を鞘に収め、

そのまま扉の横で腕を組み、目を閉じた。


「俺はここにいる。……中には入らない」


その言葉はリヒャルトへ向けたものだった。

けれど、部屋の中にいるレッターにも、はっきりと届いた。


パタン、と。


扉が閉められる。

鍵はかかっていない。


部屋には再び、レッターと、温かいスープだけが残された。


誰も彼をベッドから引きずり下ろさない。

「金貨一枚分の働きをしろ」と鞭を打つ者もいない。


監視の気配はある。メテスが外にいる。

それでも、誰も部屋の内側へ踏み込んでこない。


レッターは部屋の隅で膝を抱えたまま、テーブルの上のスープを見つめた。


(……わからない。前のご主人様たちとは、全然違う……)


金貨一枚の道具に、どうしてこんなにも「何もしない時間」が与えられるのか。


温かいスープの匂いが、空っぽの胃を刺激する。

それでもレッターは、すぐには動けなかった。


「何もしない」という優しさが、彼にはまだ、次の要求を釣り上げるための見えない罠にしか思えなかったのだ。


外からは、剣がわずかに擦れ合う音と、誰かが廊下を静かに歩く気配だけが、規則正しく聞こえていた。


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