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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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222/289

泥濘の陣地と、金貨一枚の命

淀みの迷宮、その最前線。


『局所浄化の陣地香』が作り出す、

わずか数メートル四方の清浄な空間。


ギルド職員たちと店主たちは、そんな小さな陣地をいくつも展開していた。


その外側は、肺を焼く濃密な毒の霧だった。

一歩でも踏み出せば、そこは死の世界だ。


「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ!」


濃霧を裂き、血と泥にまみれた冒険者が陣地へ転がり込んでくる。

膝をつき、むさぼるように新鮮な空気を肺へ送り込んだ。


「店主がいてくれて……助かった……。本当に、死ぬかと……っ」


「喋るな。酸素の無駄だ。……これを飲め」


店主は感情を交えず、淡々と小瓶を差し出した。


「筋力増強ポーションです。五分だけ、腕の疲労を忘れさせます」


リヒャルトが冷やした水と一緒に流し込ませる。

冒険者はむせながらも飲み干し、荒い呼吸のまま再び剣を握った。


「行け。次が来る」


その一言で、冒険者は死地へ飛び出していった。


直後。


霧の奥から、陣地の空気を嗅ぎつけた魔物が飛び出してくる。


一閃。


「……退け。ここは息をする場所だ」


メテスが無言で魔物を両断し、重い盾で侵入経路を完全に塞いだ。

クリムが「きゅっ!(死角なし!)」と甲高く鳴き、

ルゥが「わふっ!(次が来るぞ!)」と遊撃に回る。


完璧な防衛陣形だった。


激戦の最中。


今度は大柄な戦士が、血まみれの仲間を担いで陣地へ飛び込んできた。


「おい、しっかりしろ! ここで息をしろ! なあ!」


戦士が地面へ下ろした男は、ぴくりとも動かない。

焦点の合わない目が、虚空を見つめたまま固まっていた。


リヒャルトが静かに歩み寄り、その首筋へ指を当てる。


「……」


そして、悲痛なほど静かな声で告げた。


「……もう、彼は」


待機していた治癒班が歩み寄り、男の開いた瞳をそっと閉じさせる。

手慣れている。

だからこそ重い動作で、彼らは遺体を後方へ運んでいった。


「あいつ……俺を庇って……っ」


戦士が地面を殴りつけ、慟哭を漏らす。


その頭上から、影が落ちた。


「……飲め」


店主が差し出したのは、濁った色のポーションだった。


「……今は泣く時じゃない。後悔も悲しみも、明日に預けろ。……生きて帰ってから、思い切り泣け」


戦士は震える手で瓶を受け取り、一息に飲み干した。

瞳から絶望が一度だけ引き、代わりに冷たい殺意が宿る。


戦士は大きく息を吸い込み、仲間の仇を討つため再び濃霧へ消えていった。


――やがて。


結界の張り直しが完了し、ダンジョンブレイクが終息した頃。


迷宮の入口周辺は、文字通り死屍累々だった。


店主たちは休む間もなく、後方支援に走り回っていた。

毒気に当てられた者への解毒ポーション。

意識を手放しそうな者への気付け薬。

仲間を失って狂乱しかけた者へ、悲しみを未来へ預けるための薬。


命を繋ぐための、泥臭く終わりの見えない作業。


その最中だった。


「……ちっ! 一番の稼ぎ時に庇って負傷しやがって! 使えねえ奴隷だ!」


下品な怒声が響いた。


身なりのいい、だが目つきの卑しい奴隷商が、地面に倒れ伏す少年を蹴りつけていた。


「旦那、治癒、間に合いますかね。瘴気かなり吸ってますよ」


付き人が鼻をつまみながら言う。


「馬鹿言え! 肺が爛れ始めた奴隷を治すのに、高位の治癒魔術師を呼ぶといくらかかると思ってる! 割に合わねえ。破棄だ、破棄!」


その言葉に、リヒャルトの足がぴたりと止まった。


血と泥に汚れ、息も絶え絶えなその少年の顔に、見覚えがあったのだ。


「……店主。あの子は……以前、店に」


リヒャルトの声が、わずかに震える。


店主は無言で振り返り、破棄されようとしている少年を見下ろした。


「……まだ、息がある」


メテスが低く唸るように呟く。

その手は剣の柄を固く握り締め、奥歯を噛みしめる音が漏れた。


リヒャルトの瞳にも、普段の温和さからは想像もつかない、絶対零度の怒りが宿っていた。


店主は、小さく、そして深くため息をついた。


「……おい」


店主が歩み寄り、奴隷商の前に立つ。

その目は、非道な人体実験すら厭わない“狂気の錬金術師”そのものだった。


「……そいつを買う。ちょうど、死にかけのモルモットに試したい劇薬があるんでな。新鮮な死体候補なら都合がいい」


奴隷商は一瞬ぎょっとしたが、すぐに下卑た笑いを浮かべた。


「クククッ、いいぞ! 物好きだな! 金貨一枚で売ってやる!」


死にかけの奴隷に金貨一枚など、法外もいいところだ。


だが店主は瞬き一つせず、懐から金貨を弾き飛ばした。


「……ふん。毎度あり。返品は不可だぜ!」


奴隷商は金貨を素早く回収すると、付き人に顎でしゃくった。


「おい、その奴隷の所有権をこの店主に移せ」


足元に魔法陣が展開される。

淡い光が少年の首輪から奴隷商の紋章を消し去り、代わりに店主の魔力が一瞬だけ刻まれ――すぐに見えない形へと隠蔽された。


「じゃあな、物好きの店主さんよ!」


奴隷商たちは下劣な笑い声を残し、足早に去っていく。


その背中が見えなくなった瞬間。


店主がまとっていた“狂気の錬金術師”の気配が、霧散するように消え去った。


「……ったく。命に値段をつけるクズは、いつの時代も絶えねえな」


店主は膝をつき、少年の頭をそっと抱え起こした。

そして、腰の奥底に隠し持っていた特別な小瓶を取り出す。


夜の闇でもはっきり分かる、七色に光るポーション。


店主は躊躇なく栓を抜き、少年の唇へその輝く液体を静かに流し込んだ。


ポーションが喉を通った瞬間、少年の苦しげな呼吸がふっと和らぐ。

爛れかけていた肺の音が消え、少年は安心したように深い意識の底へ落ちていった。


「……助かりますか?」


リヒャルトが、祈るような声で問う。


「……」


メテスは何も言わず、ただ少年の小さな手を自分の手でそっと包み込んでいた。


店主は空になった小瓶をしまい、立ち上がる。


「……戻るぞ」


ポーションは奇跡を起こさない。


だが、金貨一枚で買い取られた命を、明日へ繋ぐことだけはできる。


瘴気の晴れ始めた迷宮の入口から、新しい家族を一人背負い、彼らは自分たちの“家”へと歩き出した。


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