ポーションが足りない。
「……足りない」
カラン、と乾いた音を立てて扉が開く。
入ってきたのは、仕立てのいいローブを纏った若い魔術師だった。
身なりは整っている。だが、その瞳は血走り、指先がわずかに震えている。
「……なにが?」
俺はカウンターの奥で、乾燥させた薬草を小刀で刻みながら尋ねた。
足元では、クリムが「きゅ……?」と首を傾げ、
ルゥが低く「わふ」と、警戒を促すように鳴いた。
少し離れた棚の前で薬草を仕分けていたリヒャルトが、そっと手を止める。
店の隅で空瓶を運んでいたメテスも、無言で顔を上げた。
「……ポーション」
「HPやMPポーションなら薬師の店で売ってる。あっちの方が安いし、味もマシだ」
「……あそこは、飲みすぎは良くないとうるさくて行きにくい。適量を守れ、休息を取れ。聞き飽きたんだ、そんな説教は」
魔術師はカウンターを叩いた。
建前は効率の追求。
だが、裏にあるのは、魔法を撃ち続けていなければ自分の価値が消えてしまうという強迫観念だ。
魔力への依存。あるいは、止まることへの恐怖。
「で、お前はどうしたい。もっと撃ちたいのか、それとも、もっと楽に撃ちたいのか」
俺は作業を止め、棚から三つの小瓶を取り出した。
「一本目。『紅蓮の灯火』。強制的な魔力回路の活性化だ。身体の脂を絞り出すように魔力を生む。短期的な火力が必要ならこれだ」
魔術師の目が、わずかに揺れる。
「……今使っているものと大差ないな」
「そうだな。今より少し派手に削るだけだ」
俺は二本目を指先で弾いた。
「二本目。『蒼月の静寂』。魔力操作の精度を極限まで高める。消費効率が劇的に良くなるから、結果として『足りない』という感覚は薄れるはずだ。ただし、自分の魔力回路の細さと向き合うことになる」
魔術師の眉間に皺が寄る。
効率よりも、爆発的な全能感を求めている顔だった。
その沈黙を、リヒャルトが静かに切った。
「……失礼ですが。欲しいのは効率ではなく、“尽きない感覚”の方なのではありませんか」
魔術師が鋭く顔を上げる。
「何だと?」
「魔法を撃てる間だけ、自分に価値があるように感じる。だから止まりたくない。……そういう焦り方に見えました」
穏やかな声音だった。
だが、言葉は正確に芯へ入る。
魔術師は返さなかった。
返せない顔だった。
俺は三本目を持ち上げる。
「三本目。『深淵の蜜』。脳のブレーキを外す。魔力回路が焼け付く寸前まで、際限なく魔力を引き出せる。文字通り、お前の望む『底なし』だ」
一拍。
「ただし、使い切った後に何が残るかは保証しない」
魔術師の視線が、どろりとした黒い液体に吸い寄せられる。
その指が、誘惑に負けそうに震えた。
「……きゅ」
クリムが、その指先にぽてっと自分の手を重ねた。
魔術師はびくりと肩を揺らし、我に返ったようにクリムを見る。
店の隅から、メテスの低い声が落ちた。
「……焼けた回路は、戻らない」
短い。
だが、それで十分だった。
「器まで削って得る力は、強さじゃない」
魔術師の喉がかすかに鳴る。
俺は三本目の瓶を、ゆっくりと棚の奥へ引っ込めた。
「……人生はポーションじゃ変わらない。魔法が強くなっても、お前の器が大きくなるわけじゃないんだ」
静かな間が落ちた。
やがて魔術師が手を伸ばしたのは、二本目――『蒼月の静寂』だった。
「……効率が悪かっただけだ」
誰にともなく、言い訳みたいに呟く。
「俺の才能が足りないわけじゃない」
「そう思いたいなら、それで凌げ」
俺は小瓶を押しやった。
「ただし、次に来る時は“足りない”の中身を少しは見極めて来い。魔力なのか、自信なのか、恐怖なのか。そこを混ぜたまま飲む薬は、碌な効き方をしない」
魔術師は銀貨を置き、小瓶を掴んだ。
その背中はまだ渇いていた。
だが、さっきまでみたいに黒い蜜へ飛びつく目ではなかった。
カラン。
扉が閉まる。
「……わふ」
ルゥが、去っていった背中を見送って鼻を鳴らす。
「ああ。あいつはまた来るだろうな。二本目で満足できなくなった頃に、また三本目を欲しがってな」
俺は再び小刀を手に取った。
魔力で満たされた万能感よりも、空っぽになった自分を認める方が、よっぽど難しい。
リヒャルトが整えた薬草の束を棚へ戻しながら、小さく息をつく。
「……少なくとも今日は、深淵に手を伸ばさずに済みましたね」
「……次は、もっと奥まで欲しがる」
メテスが短く言った。
「その時、戻ってくる気が残ってりゃ、まだ薬は効く」
俺は薬草を刻みながら答える。
「きゅ!」
クリムが元気よく返事をして、秤の皿に前足を乗せた。
「おい、重さを量れと言ったんだ。お前を量れとは言ってない」
「きゅぅ……」
窓の外では、夕闇が迫り、魔術師の歩く影を長く、黒く引き伸ばしていた。




