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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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大人にも春休みは必要だと思わないか?


「……大人にも、春休みは必要だと思わないか?」


カウンターに突っ伏した男が、絞り出すような声で言った。


冒険者ギルドの事務官だ。

年度末の精算と、春から動き出す新人たちの登録に追われ、目の下には深い隈が落ちている。

襟には紙埃。指先にはインク染み。

書類の山をそのまま着込んで歩いてきたみたいな顔だった。


「それで?」


俺は磨いていた蒸留器を置き、男を見る。


足元ではクリムが心配そうに「きゅ……」と鳴き、

ルゥが「わふ」と短く、同情するように鼻を鳴らした。


少し離れた棚では、薬草を束ねていたリヒャルトがそっと手を止める。

店の隅で荷箱を整えていたメテスも、無言で顔を上げた。


「必要だと思うなら、ギルド長に直談判して休めばいい。わざわざポーション屋に言いに来ることじゃない」


「それができりゃ、苦労はしねえよ」


男は顔を上げないまま笑った。乾いた、ひび割れた笑いだった。


「俺が一日いなきゃ、あの山積みの書類が崩れて、ギルドの機能が止まる」


建前は責任感。

だが、その底にあるのは、自分が止まった瞬間に何かが終わるような恐怖と、それでも足を止めたいという泥のような疲れだ。


「で、お前はどうしたい。休みたいのか、それとも、休んでいる感覚が欲しいだけか?」


俺は棚から三つの小瓶を取り出し、カウンターに並べた。


「一本目。『銀草の朝露』。肉体疲労の強制排除。三日三晩、馬車に揺られても平気になる。動きたいならこれだ」


男は片目だけ上げて小瓶を見る。


「……仕事が増えるだけだな」


「そうだな」


俺は二本目を指先で弾いた。


「二本目。『空洞の残響』。認識阻害の一種だ。数時間、周囲の喧騒が遠のく。自分だけ静かな場所にいるみたいな錯覚を得られる。精神的な避難所だ」


男の瞼が、わずかに動いた。


「それは……少し、惹かれるな」


その時、リヒャルトが静かに歩み寄ってきた。

音を立てない所作で、事務官の脇へ小さなクッションを差し込む。


「失礼します。この角度のまま眠ると、起きた時に首まで終わりますから」


「……ああ」


男は礼を言う気力も尽きかけていたが、それでも額の位置が少しだけ落ち着いた。


俺は三本目を持ち上げた。


「三本目。『永劫の春片』。服用してから二十四時間、一切の責任感を脳から消去する。締め切りも、部下のミスも、ギルドの崩壊も、どうでもよくなる。ただし翌日には、全部が元通り、あるいは悪化して待っている」


男の喉が、ひくりと動いた。


やがて三枚の硬貨が、鈍い音を立ててカウンターに置かれる。

震える指が、二本目――『空洞の残響』を引き寄せた。


「三本目は……怖すぎる。俺が俺でなくなっちまいそうだ」


「賢明だな。人生はポーションじゃ変わらない。だが、視界の泥を落とすくらいなら、こいつで十分だ」


男は栓を抜き、一気に飲み干した。


数秒後。


彼の表情から険が抜ける。

どこか遠くを見るような、緩んだ顔になる。


「……ああ、静かだ」


掠れた声だった。


「雨の音も、あいつらの怒鳴り声も聞こえない」


「一時間もすれば切れる。それまでに少しだけ眠っておけ」


そう言う前に、メテスが動いていた。


無言のまま入口の札を裏返す。

**『営業中』が消え、『休憩中』**が表になる。


ついでに内鍵を半分だけ落とし、外から不用意に誰かが飛び込んでこないようにしてから、短く言った。


「……これで、少しは静かだ」


リヒャルトがわずかに笑う。


「ありがとうございます。ええ、少なくとも新しい悲鳴は増えませんね」


ルゥはすでに事務官の足元へ移動していた。

大きな体を丸め、番犬みたいに、けれど柔らかな壁みたいに横たわる。


「わふ」


それは「ここは見ている」という短い返事だった。


事務官はその声を聞いたのか聞かなかったのか、そのままカウンターに顔を埋め、深い寝息を立て始める。


「……きゅ?」


クリムが俺の顔を覗き込む。


俺はまた蒸留器を手に取り、布で拭き始めた。


「春休みか。そんな贅沢、俺が一番欲しいくらいだよ」


「……店主こそ、少しお休みになってはどうですか」


リヒャルトが静かに言う。


「……賛成だ。最近、寝不足の顔をしている」


メテスも短く続けた。


俺は鼻を鳴らした。


「寝てる。お前らよりはな」


「その返答をする時点で、十分怪しいんですが」


「……怪しい」


二人が揃って言う。


俺は蒸留器を磨く手を止めないまま、肩をすくめた。


「静かに。今寝かせるべきなのは、そこに転がってる書類の亡霊だ」


カウンターの向こうで、事務官はぴくりとも動かない。

ルゥの体温と、リヒャルトが整えた角度と、メテスが作った静けさの中で、ようやく人間らしい眠りに落ちていた。


窓の外では、まだ冷たさの残る風が、春の訪れを告げるように強く吹いていた。


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