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錬金術師のポーション屋。疲れたときはやっぱりこれ  作者: ChaCha


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勝手に! 断りもなしに料理にソースをぶっかける奴

カラン、カラン!!


「……勝手に! 断りもなしに料理にソースをぶっかける奴、大嫌いなのよ!!」


扉が叩きつけられるように開き、一人の女が怒鳴り込んできた。

手にした買い物かごが激しく揺れ、中の野菜がごとごとと悲鳴を上げる。


「きゅぅっ!?」


クリムが飛び上がって棚の奥へ転がり込み、ルゥは片耳を伏せて低く唸った。


俺は乳棒を置いた。

死んだ魚みたいな目で、カウンター越しに女を見る。


「……うちはポーション屋だ。調理法の相談なら定食屋へ行け。出口はあっちだ」


「ちょっと待って! そうじゃないのよ、そうじゃなくて! ポーション買うから! だから追い出さないでちょうだい!」


女が勢いのままカウンターへ身を乗り出しかける。


その瞬間。


「……」


メテスが音もなく動いた。


女とカウンターの間へ、鋼の板みたいな体がすっと割り込む。

予備動作も、威嚇もない。

ただそこに立っただけで、無遠慮な勢いを止めるには十分だった。


女が「ひっ」と息を呑んで動きを止める。


「どうぞ。まずは白湯を」


リヒャルトが絶妙な間で湯気の立つカップを差し出した。

女はそれをひったくるみたいに受け取り、一息で飲み干す。


「……はぁ」


ようやく肩が一つ落ちる。


俺は腕を組んだ。


「で。何が欲しい」


女は乱れた呼吸を整えきれないまま、唇を噛んだ。


「……気に障ることを、全部スルーできる女神みたいになれるポーション、作れない?」


「女神ねぇ」


俺は女を上から下まで眺めた。


逆立った毛先。

赤く乾いた目元。

怒りを飲み込みきれず、カップの縁をきしませる指先。


「……何よ。今、絶対に『面倒くせえ女だな』って顔したでしょ」


「してねえよ。観察しただけだ」


「同じようなもんじゃない!」


まだ燃えている。

だが、燃料は怒りだけじゃない。

眠れていない神経の尖り方だ。


「いいか」


俺はカウンターに肘をついた。


「お前の悩みは高尚な人格の話じゃない。神経が剥き出しになってるだけだ」


女が眉を寄せる。


「……は?」


「今のお前は、皮膚の表面が薄皮一枚剥がれたみたいなもんだ。誰かの無作法も、皿にソースが落ちる音も、余計な一言も、全部が直接、剥き出しの肉を叩いてる」


女の口が、わずかに閉じた。


「別に、お前が特別に性格悪いわけでも、気が短いわけでもない。今は何もかも近すぎるんだよ。近すぎて、いちいち刺さる」


リヒャルトが静かにカップを受け取る。

メテスはまだ女の前に立ったままだったが、その立ち方からは余計な圧が少し抜けていた。


「……最近、ずっとこうなの」


女がぽつりとこぼす。


「店でも、道でも、家でも。箸の持ち方でも、靴音でも、ちょっとした言い方でも、全部気になるの。気づいたら腹が立ってる。前はこんなんじゃなかったのに」


「寝てるか?」


「……あんまり」


「飯は」


「適当」


「人混みは」


「毎日うんざりするほどいるわよ」


「だろうな」


俺は棚の奥から鈍く銀色に光る小瓶を一本取り出し、カウンターへ置いた。


コト。


「『遠景の銀薬』だ」


女が小瓶を見た。


「……さっきの女神の薬?」


「近いな。五感の表面に、錬金術的な薄い膜を一枚張る。不快な音も、嫌な光景も、すぐには芯まで届かなくなる」


「そんな便利な薬、あるの?」


「ある。ただし万能じゃない」


俺は続けた。


「視界の全部を鮮明に受け止めるのをやめさせる薬だ。お前の真横で誰かが品のない食い方をしてても、それは急に“遠くの出来事”になる。海の向こうで嵐が起きてるみたいにな。見える。聞こえる。だが、いちいち心臓の真ん中までは届かない」


女は小瓶をじっと見つめた。


「……効きすぎたら?」


「少し鈍る。少しぼやける。今日のところは、そのくらいでちょうどいい」


「私が悪いって言いたいわけじゃないのね」


「言ってねえよ」


俺は即答した。


「尖りきった神経で世界を全部正面から受けてたら、誰だって嫌な女になる。まず休ませろって話だ」


一拍。


「女神が慈悲深いのは、心が広いからじゃない。最初から人間と同じ近さで物を見てねえからだ。少し遠くに置け。お前の血管で、他人の皿の上まで受け止める必要はない」


女はしばらく黙っていた。


それから、ふっと息を吐いた。


「……それ、効くなら欲しい」


「銀貨五枚だ」


「高いわね」


「神経の貼り替え代だ。安いくらいだろ」


女は鼻を鳴らしたが、少しだけ口元が緩んだ。

買い物かごを脇へ寄せ、銀貨を五枚、順にカウンターへ置く。


「……じゃあ、それください。今の私、たぶんソースだけじゃなくて、世界全体にキレてるから」


「自覚があるなら、まだマシだ」


俺は小瓶を押しやった。


女はその場で栓を抜き、一気に飲み干した。


喉が上下する。


数秒。


「……あ」


女が瞬きをした。


さっきまで怒りで釣り上がっていた肩が、ゆっくりと落ちる。

目の奥に張っていた力がわずかにほどけた。

店の外のざわめきはまだ聞こえているはずなのに、もうその全部へ噛みつこうとはしていない顔だ。


「どうだ」


「……うるさいのはうるさい。でも」


女は扉の向こうを見た。


「さっきみたいに、全部が顔の真ん前に飛び込んでこない」


「そういう薬だ」


「……なるほどね」


女は買い物かごを持ち直した。

入ってきた時より動きが静かだ。


扉の前で、ふと立ち止まる。


「ありがとう」


今度の声は、怒鳴り声じゃなかった。


「……女神は無理でも、今夜くらいは、まともに寝られそう」


「寝ろ。明日も全部がうるさかったら、もう一本買え」


「商売っ気あるわね」


「慈善事業じゃない」


女は小さく笑って、店を出た。


カラン。


今度のベルの音は、最初よりずっと軽かった。


扉が閉まると、リヒャルトが回収したカップを盆に乗せながら静かに言う。


「……店主。あの薬、本当は感覚を一時的に鈍らせる、副作用の強い鈍麻薬ですよね?」


「……ああ。あれだけ神経を尖らせてりゃ、誰だって世界全部が敵に見える。要は、外界との間に一晩ぶんの距離を作ってやっただけだ」


「……休息の強制投与ですね」


「そういうことだ」


メテスが短く言う。


「……近すぎると、全部刺さる」


「きゅ……」


棚の奥から顔を出したクリムが、まだ少し怯えた声で鳴いた。


ルゥは大きく欠伸をして、ようやく耳を戻す。


「わふ」


その声は、さっきよりだいぶ機嫌がよかった。


俺は乳鉢を引き寄せ、鼻を鳴らす。


「……ったく。他人の箸の上げ下げまで自分の血管で受けてたら、命がいくつあっても足りねえよ」


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