もう限界だ! イケメン! 美女! 筋肉! ぼいーん!
ガランガラン!!
扉が勢いよく開き、通信魔道具(薄い水晶の板)を握りしめた若い男が、血走った目で飛び込んできた。
「店主! もう限界だ! イケメン! 美女! 筋肉! ぼいーん! だ!!」
「……は?」
カウンターの奥で、店主が死んだ魚のような目を向ける。
薬草を刻んでいたリヒャルトの手が止まり、
メテスが無言で店主の盾になるように半歩前へ出た。
「この通信魔道具の中の世界は、絶世の美女と、彫刻みたいな筋肉と、弾けるような『ぼいーん』に溢れている! なのに!」
客はバッと店の外の、平和で平凡な路地を指差した。
「現実には、全く溢れていない!!」
「……そりゃそうだろうな」
「通信魔道具のフィルターを通した虚像じゃ駄目なんだ! リアルで見て、この荒んだ心を癒やされたいんだよ! だから店主、飲めばその辺の普通のおっさんやオバチャンが、絶世のイケメンや美女に見えるポーションをくれ!!」
「……それはつまり、自分の脳にフィルターをかけるということでは……?」
「……同じだ」
弟子二人の冷静すぎるツッコミが刺さるが、客は聞く耳を持たない。
「違う! 『目の前に実在して動いている』という空気感が大事なんだ! 頼む店主、金なら払う!」
店主は深くため息をつき、カウンターの下から淡い虹色の液体が入った目薬の小瓶を取り出した。
「……『美点抽出の点眼薬(あら、不思議フィルター)』だ」
「おおっ! これを目にさせば、道行く人が全員絶世の美女に!?」
「他人の顔の造作を勝手に変える幻覚剤じゃない。これは、視覚情報の処理を強制的にバグらせる薬だ」
一拍。
「対象の『一番魅力的な部分』だけを極端にクローズアップして、脳に錯覚させる」
「最高じゃないか!」
「だが、お勧めはしないぞ。人間の脳は、視界に入る全域の情報を都合よく補正し続けられるほど、処理能力が高くない」
客は忠告を無視して、さっそく目薬を両目にさした。
ぱちぱちと瞬きをした後、客は外を歩いていた平凡な中年商人を見た。
「……う、おおおおっ!? ただの腹の出たおっさんなのに、ヒゲのラインがダンディすぎる! 謎の色気を感じる! すげえ!!」
「……」
「あっちの普通のおばちゃんは……うおお! 姿勢が良くて歩き方が洗練されすぎてる! 美女のオーラが出てるぞ!! やった、これで俺の現実はパラダイスだ!」
客が歓喜の声を上げた、その時だった。
客が振り返り、ふと、カウンターの奥にいたリヒャルトとメテスを見た。
二人は、元々が非常に整った顔立ちの少年である。
「……っっっ!!?」
客は両目を押さえて、その場に崩れ落ちた。
「ぐああああああっ!? 眩しい!! 顔面の黄金比が! 暴力的なまでの美しさが視神経を焼くぅぅぅっ!!」
「……えっ?」
「……」
「言っただろうが。元の造形が整っているやつを見ると、魅力がブーストされすぎて情報量が脳の処理限界を超えるんだよ」
「目が、目がぁぁぁ……っ!」
「ほら、中和剤の目薬だ。銀貨二枚。……魔道具の板の中で満足しとけ」
涙目で中和剤をさした客は、力なく銀貨を支払い、ふらふらと帰っていった。
ルゥが呆れたように鼻を鳴らし、
クリムが「きゅ(アホだ)」と鳴く。
「……なんだか、ものすごく疲れるお客様でしたね」
リヒャルトが小さく息をつく。
「現実の地味さを許容できない奴は、結局、本物の光にも耐えられないってことだ。……おら、床を拭いとけ」
店主が鼻を鳴らす。
メテスは無言で布を取り、
リヒャルトは散った目薬の滴を拭いながら、まだ少しだけ呆れたように肩を落とした。
アトリエ・くぼ地は、今日も平和に騒がしかった。




