短刀に塗るもの
カラン。
夕方。
外が騒がしくなる前の、いちばん嫌な静けさ。
クリムは棚の上で丸くなり、
ルゥは入口で伏せながら、耳だけをこちらに向けている。
俺はラベルを書き直していた。
その時だ。
低い位置で扉が鳴った。
入ってきたのは、斥候。
軽装、無駄のない動き、
視線が自然と出口を確認している。
――ああ。
これは、やる側だ。
斥候はカウンターの前に立つと、
声を落として言った。
「……短刀に塗る毒が欲しい」
クリム「きゅ(即アウト)」
ルゥ「わふ(物騒)」
俺は、
一ミリも迷わず言った。
「帰れ」
斥候は瞬きもせず続ける。
「強力じゃなくていい。
即効性もいらない」
「帰れと言っている」
「血に混ざって、
一瞬で——」
「帰れ」
俺はペンを置いた。
「この店は
“殺る用”の調合はしない」
沈黙。
斥候は、
少しだけ視線を下げた。
「……違う」
間。
「……恋人に……
持たせる刀だ」
空気が、
ほんの少しだけ変わる。
「守刀用だ」
クリム「きゅ?」
ルゥ「わふ?」
俺は眉をひそめる。
「……毒だぞ?」
斥候は、
懐から短刀を取り出した。
刃は、
まだ使われていない。
「俺は前に出る。
あいつは、後ろだ」
「……ふむ」
「万一、奪われた時……
触った相手だけ、
“もう一歩”踏み込めなくなるような……」
俺は、
棚に手を伸ばしかけて、止めた。
「……聞くぞ」
顔を上げる。
「それ、
プレゼントか?」
斥候は、
一瞬だけ詰まった。
「……そうだ」
俺は、深くため息をついた。
「ならダメだ」
「なぜだ」
「理由は三つある」
指を立てる。
「一つ。
“毒”は、渡す側の覚悟を
相手に押し付ける」
「……」
「二つ。
恋人に渡す刀が
“触ったら不調になる”って時点で
縁起が悪い」
クリム「きゅ(確かに)」
ルゥ「わふ(嫌だな)」
「三つ」
一拍。
「あいつが怪我した時、
自分で触れなくなる」
斥候の顔が、
初めて歪んだ。
「……それは……」
「致命的だ」
沈黙。
俺は、
別の瓶を三つ並べた。
コトン。
コトン。
コトン。
⸻
一本目
「【滑り止めと握力安定の塗布剤】」
「血や汗で
刃を落とさない」
「……地味だな」
「生き残るやつほど、
地味だ」
⸻
二本目
「【刃に触れた相手の動きを鈍らせる忌避剤】」
「毒じゃない。
“嫌な感じがする”だけだ」
「……効くのか?」
「効く。
人間は、
嫌な予感から一番逃げる」
⸻
三本目
俺は、
少しだけ声を軽くする。
「【持ち主が無事だと
分かるやつ】」
斥候が顔を上げる。
「……なんだそれは」
「刃が欠けた時、
“大丈夫だった”って分かる」
「……お前、
甘いな」
「知ってる」
クリム「きゅ(優しい)」
ルゥ「わふ(恋人用)」
斥候は、
しばらく考え込んだあと、
二本目と三本目を取った。
「……毒は……
やめる」
「賢い」
会計。
⸻
扉が閉まる。
俺は、
棚に戻した“毒の瓶”を見て呟く。
「……プレゼントに
毒を仕込むな」
クリム「きゅ(基本)」
ルゥ「わふ(最低限)」
「次はどうせ、
“守刀が重すぎる”とか
言い出すんだろうな」
……やれやれ。
この店は、
殺すための知恵より、
生きて戻るための知恵を売っている。




