子供がいつも靴を片方だけ無くしてくる。
カラン。
昼前。
陽はあるのに、店の奥が冷える時間。
カウンターの前に立った客は、
エプロンの紐を何度も結び直してから、言った。
「……うちの子、
いつも靴を片方だけ無くしてくるんです」
声は落ち着いている。
落ち着きすぎている。
俺はラベルを書いたまま、頷いた。
「忘れないようにするポーション、だな」
「はい……」
クリムが棚の端で「きゅ……」と鳴く。
ルゥは入口を背に、伏せたまま動かない。
「聞くけどな」
ペンを置く。
顔は上げない。
「いつからだ」
女性は答える前に、額を押さえた。
軽く、でも毎日の癖みたいに。
「……一ヶ月前から」
間。
「雨が続いて……
川が、増水してて……」
言葉が一度、詰まる。
「その頃から、
頭が……痛くなる日があって……」
クリムが「きゅ」と短く鳴く。
ルゥが尻尾を一度だけ床に打つ。
「それから……
毎日、左だけ……
帰ってくるんです」
俺は、そこで初めて顔を上げた。
「左、か」
「はい……」
女性は鞄を開け、
小さな靴を一つ、そっと取り出した。
乾いている。
砂も、草も、ついていない。
俺は見ないふりをして、棚から三つ。
生活側の距離の瓶を並べる。
コトン。
コトン。
コトン。
⸻
一本目。
「【玄関で足元を確認するやつ】」
瓶の栓を、軽く指で弾く。
「出る前に一拍置く。
左右を声に出して確かめる癖を、体に残す」
女性は思わず、
自分の靴先を見下ろした。
「あ……はい……
……左、右……」
小さく、練習みたいに言う。
クリムが「きゅ(できてる)」
ルゥが鼻先で床をとん、と叩く。
⸻
二本目。
「【忘れ物に気づく間を作るやつ】」
瓶を並べ直す音が、少しだけ大きい。
「急がない。
戻る。
“取りに行ける”って判断を、遅らせない」
女性は瓶を手に取り、
光にかざしてから、ゆっくり下ろした。
「……戻って、いいんですよね」
「いい。
戻れる時は、戻る」
肩が、ほんの少し下がる。
「……助かります」
声が、わずかに軽くなった。
⸻
三本目。
声を落とす。
「【忘れないポーション】」
女性の視線が、瓶に吸い寄せられる。
呼吸が、一拍、遅れる。
「……それは……
……どんな……」
「消さない。
思い出を、抜かない。
ただ、刺さらない形にする」
指で瓶を軽く叩く。
「前に進むための、重さに整える」
女性は、しばらく黙っていた。
靴を持つ手が、きゅっと強くなる。
「……忘れない、ほうが……
いいですよね」
「踏めるならな」
間。
「踏めない日は、
持って歩ける重さにする」
クリムが「きゅ(背負う)」
ルゥが「わふ(歩く)」と低く鳴く。
女性は、瓶を胸に近づけて、
小さく息を吐いた。
「……毎日、
同じところで……
同じのを探してた気がします」
「今日は、玄関だ」
「……はい」
⸻
会計。
女性は、靴を見ながら瓶を受け取った。
鞄にしまわず、手に持ったまま。
指先で、靴の縁をなぞる。
「……今日も、
片方だけで……」
言いかけて、止める。
「……忘れないように、
してきます」
カラン。
扉が閉まる。
俺は、三本目の棚を一段奥に戻した。
「……靴はな」
独り言みたいに言う。
「戻らない時ほど、
片方だけ、帰ってくる」
外で、川の音がした。
この町では、いつもしている音だ。
――が。
俺は咳払いして、空気を切り替える。
「さて」
クリム「きゅ?」
ルゥ「わふ?」
「次はどうせ、
『片方だけ帰ってくる手袋』か
『数が合わない靴下』だろ」
クリム「きゅ……(やだ)」
ルゥ「わふ……(やだな)」
俺は棚の瓶を一つ、元の位置に戻す。
「……忘れないを売る日は、
在庫より気力が減る」
カラン。
今日もこの店は、
生活の顔をした相談で忙しい。
――次は、どっちが来るやら。
左の靴は、心臓側。
人は立ち止まる時、無意識に左足から止まる。




