彼氏に雑に扱われてるって気が付いた
夕方と夜のあいだ。
店の外はまだ少しだけ明るいのに、空気はもう疲れている時間帯だ。
棚のガラス瓶が、窓から差し込む斜めの光を受けて、静かに反射している。
クリムはカウンターの端で丸くなり、しっぽの先だけがときどき揺れる。
ルゥは入口の前に伏せて、来客の気配を半分寝ながら待っていた。
扉が鳴る。
カラン、という音が、いつもより小さかった。
入ってきたのは、派手でもなく、地味でもなく、
ただ“少しだけ元気が抜け落ちた”女性だった。
椅子に座って、しばらく何も言わない。
俺も、急かさない。
やがて、ぽつり。
「……彼氏に、雑に扱われてるって……気が付いたんです」
声は静かだった。
怒っても、泣いてもいない。
だからこそ、重い。
「気が付いた、ってことは」
俺はゆっくり言う。
「前は、そう思わないようにしてたんだな」
女性は苦笑いした。
「はい。
忙しいだけ、とか
不器用なだけ、とか
私が気にしすぎ、とか……」
指先を組んで、ほどいて、また組む。
「でも最近、
連絡は返ってこないのにSNSは見てるとか
約束は忘れるのに、自分の用事は優先するとか
……ああ、これ“後回し”にされてるんだなって」
その言葉の選び方が、もう答えだった。
雑に扱われるって、
殴られることでも、怒鳴られることでもない。
大事にされないまま、関係だけ続くこと。
それに気付くのは、遅くなるほど痛い。
「腹は立たないのか?」
そう聞くと、女性は首を振った。
「立たないんです。
……それが、いちばん嫌で」
ああ。
それは、“諦め”に近い感情だ。
俺は棚から、小瓶を三つ取り出した。
今日は音を立てずに並べる。
◆一本目
【感情の輪郭を取り戻すポーション】
「これを飲むと、
“嫌だと思ってること”が、ちゃんと自覚できるようになる」
女性が目を伏せる。
「……怖いですね」
「怖い。
でもな、雑に扱われて一番削れるのは
“自分が何を嫌がってるか分からなくなる”ことだ」
◆二本目
【自己価値固定ポーション(微)】
「雑に扱われる関係が続くと、
人はだんだん
“この程度で我慢する自分”に慣れる」
瓶を指で軽く叩く。
「これは、“本来のお前の扱われ方”を思い出させるだけだ」
女性の喉が、小さく鳴った。
「……私、
最近“贅沢言っちゃいけない”って思ってました」
「それな」
俺は即答する。
「大事にされたい、は贅沢じゃない」
◆三本目
【境界線を引く勇気のポーション】
「別れるための薬じゃない。
我慢をやめるためのやつだ」
女性が顔を上げる。
「……もし、これを飲んで」
「相手が変わらなかったら?」
少し間を置いて、俺は答える。
「それは
“お前が悪い”結果じゃない」
店内が静まる。
クリムがそっと女性の手元に近づき、
鼻先で小瓶をつついた。
ルゥは立ち上がって、背中側に座る。
逃げ道を塞ぐんじゃない。
“一人じゃない位置”に来ただけだ。
女性は三本の瓶を見つめて、深く息を吐いた。
「……気付いちゃった以上、
もう戻れないですよね」
「戻らなくていい」
俺ははっきり言う。
「雑に扱われてるって気付いた時点で、
もう“目は覚めてる”」
立ち上がるとき、女性の姿勢は少しだけ真っ直ぐになっていた。
「……来てよかったです」
「おう。
大事にされてない事実に気付いたお前は、
もう雑じゃない扱いを選べる側だ」
扉が閉まる。
静かになった店で、俺は棚を見上げた。
「……雑に扱うやつほど、
失ってから気付くんだよな」
クリム「きゅ(遅い)」
ルゥ「わふ(でも、よくある)」
やれやれ。
でもな。
“気付けた夜”は、
ちゃんと次につながる。
この店は、
そういう夜のためにあるんだ。




