眠くて眠くて、でも、寝ちゃダメなんです
夜更け前。
店の灯りはいつもより低く落としてある。
薬草の香りも控えめで、甘さよりも“静かさ”が前に出る時間帯だ。
クリムは棚の上で丸くなり、呼吸に合わせて毛が上下している。
ルゥは入口の前に伏せて、半分だけ目を開けたまま――寝ているのか起きているのか分からない顔。
俺はカウンターを拭きながら、あくびを噛み殺していた。
そこへ、扉は鳴らなかった。
音もなく、すっと入ってきた客が一人。
椅子に腰を下ろしてから、ぽつりと。
「……眠くて眠くて、でも、寝ちゃダメなんです」
俺はすぐには返さない。
こういう言い方をする人は、“眠い”以上のものを抱えてる。
少しだけ間を置いてから、聞いた。
「寝たら、何が困る?」
客は指先を組んで、視線を落としたまま答える。
「……全部、止まる気がして」
その言葉で、だいたい分かった。
仕事。
考え事。
責任。
後回しにしてきた何か。
あるいは、“向き合いたくない朝”。
眠りは回復でもあるけど、
同時に“切り替え”でもある。
切り替えてしまったら、
今の自分が続けてきた緊張や踏ん張りが、
無意味になる気がする。
「無理に起きてると、どうなる?」
そう聞くと、客は小さく笑った。
「頭が回らなくなって……
やってること、全部雑になります」
「でも?」
「……でも、止まれない」
ああ、これはもう
“眠気”の問題じゃない。
俺は棚から、小瓶を三つ取り出した。
いつもより音を立てないように、そっと。
「寝ちゃダメな夜ってのは、確かにある。
だから今日は“寝かせる”ポーションじゃない」
クリムが「きゅ?」と片目を開け、
ルゥは耳だけぴくりと動かした。
◆一本目
【意識を沈めない覚醒補助ポーション(微)】
「これは“無理やり目を覚ます”やつじゃない。
頭の奥がぼんやり溶けるのを防ぐだけ。
カフェインみたいにギラつかない」
客は瓶をじっと見る。
「……助かります」
「ただし、長時間は使うな。
“眠いのに動いてる状態”は、体力を削る」
◆二本目
【思考の渦をほどくポーション】
「眠れない夜の大半は、
体じゃなくて“考えすぎ”が原因だ。
これは思考を止めるんじゃない。
“今考えなくていいこと”を横にどかす」
客の肩が、少し下がった。
「……それ、欲しかった」
◆三本目
【眠気を“預ける”ポーション】
「これは変わり種だ。
眠気そのものを消すんじゃない。
“後でちゃんと寝る約束”を、体に刻む」
「約束……?」
「今は起きてろ。
でも、この夜が終わったら休んでいい。
そう思えるだけで、無理は減る」
三本並んだ瓶を見て、
客はしばらく黙っていた。
やがて、ぽつり。
「……寝ちゃダメ、じゃなくて
“今は寝られない”だけなんですね」
「そうだ」
俺は頷く。
「寝ることを敵にすると、
いつか体が先に折れる。
でも、“後で休む”前提なら、夜は乗り切れる」
クリムが「きゅ…」と小さく鳴き、
ルゥは安心したように目を閉じた。
客は三本を受け取り、深く息を吐いた。
「……今日、ここに来てよかったです」
「眠気はな、
サボりじゃなくて“警告”だ。
無視し続けるなよ」
立ち上がる背中は、来たときより少し軽い。
扉が閉まったあと、
俺はカウンターに肘をついた。
「……眠い夜は、だいたい厄介だな」
クリム「きゅ(でも、越えられる)」
ルゥ「わふ……(ちゃんと朝は来る)」
そうだな。
今夜も、
無理しすぎない範囲で、
起きていればいい。
眠るのは、
“逃げ”じゃないんだから。




