発生率0.0001%の転送トラップ
俺は今日ほど、自分の運の悪さを素直に認めた日はない。
いや、初心者ダンジョンだぞ?
入り口のスライムすら、初心者向けとは思えない弾力で飛んでくるけど、それでもまあ安全って言われてる場所なんだ。
そこで――よりによって――
“発生率0.0001%の転送トラップ” を踏む?
なぁ、聞きたいんだけど。
初心者に、その確率、必要か?
踏んだ瞬間、俺の視界はぐにゃりと歪んで、気がつけば――青空。
そう、青空。
天井じゃない。壁でもない。
空だ。リアル空。ダンジョンの「からくり天井」レベルじゃない、本物の青空が頭上いっぱいに広がっていた。
草原、湖、森。
夏のような日差しの向こうに、秋みたいな風が吹いて、遠くの山頂には冬みたいな雪がかかってる。
おいおい、季節どうなってんだ。1エリアで四季をコンプリートする必要あった?
もちろん、俺はこう思った。
――え、外? 出口? 脱出? やった?
しかし、そこに現実がぬるりと割り込んでくる。
草原の端にいた鳥型の魔物を、驚きで投げた石が直撃してしまった。
倒れた瞬間、光に変わって**“魔石”**を落としたのだ。
……ドロップアイテムがある時点で、ここはダンジョン内確定。
俺は仰向けのまま、青空に向かってつぶやいた。
「……ダンジョンさんよ。初心者をいじめるの、趣味なの?」
もちろん返事などない。
仕方ないので起き上がり、いつも通り、腰に下げている道具袋を確認した。
瓶、瓶、瓶。瓶。
草。乾燥草。乾燥しかけ草。乾燥しきった草。
あと、砕けたやつ。
――錬金術師だから仕方ない。
ポーション作りは俺の日常であり、俺の武器であり、俺の人生みたいなものだ。
ただし、初心者だからレシピはポーション系しか知らない。
栄養剤とか万能薬とか、そんな高等なものはまだ無理。
でも、作れば作るほどスキルレベルが上がる。
つまり、量産すれば成長するシステムだ。
問題は――素材だ。
「さて、素材を探すか。……っていうか、この空間広すぎない?」
歩くたび、足元の草がさらさらと揺れる。
遠くでは湖が光り、森の奥からは鳥とも獣ともつかない鳴き声が聞こえる。
風は涼しくて気持ちいい。
こんなに爽やかなら、ここが死地じゃなければ完璧だ。
歩き続けること一時間。
緑の中に、丸い影がぴょこっと動いた。
「……お?」
薄いクリーム色の、毛玉。
耳は小さく、瞳はつぶらで、尻尾はウサギみたいに丸い。
どう見ても害はなさそうだ。
だが、俺は知っている。
こういう“可愛い見た目”の魔物に裏切られた冒険者が、何人いたか――。
距離を取りつつ、そっと観察する。
……すると、毛玉は突然尻もちをつき、身体を震わせ出した。
「お、おい、大丈夫か?」
近づくとすぐに分かった。
傷だ。腹。小さいけれど深い。
どこか別の魔物に噛まれたのだろう。
毛玉は俺の気配に驚いて逃げようとしたが、足に力が入らず、倒れ込んだ。
「……あー……」
俺は頭をかいた。
助けるか、見捨てるか。
ここはダンジョン。弱肉強食。
見捨てても、責められない。
でも――
「材料、あるんだよなぁ……」
錬金術師の性である。
素材を見ると、ついポーションを作りたくなる。
そして、治癒ポーションは俺の十八番だ。
毛玉は怯えた目で俺を見つめる。
殺されるか助けられるか分からず、固まっている。
俺は小瓶を取り出し、素材を手早く混ぜ合わせた。
草を潰し、水でなじませ、少し振る。
初心者ゆえのシンプル調合だが、効果はある。
「はいはい、じっとしとけ。噛まないでくれよ?」
瓶の蓋を開けて口元へ近づけると、毛玉はびくっと震えた。
だが、逃げる力もないらしい。
「飲めるか?」
ためしに指先に少量つけて差し出してみる。
毛玉は恐る恐る――ぺろり。
次の瞬間。
ぱあっ と、毛玉の身体が淡く光った。
「おっ、成功したか?」
傷口がみるみる閉じ、毛並みがふわっと膨らむ。
毛玉は驚いたように腹を見て、俺を見た。
そして――
ころん、と俺の足に頬ずりしてきた。
「……いやいやいやいや。懐くの早いって!」
ぴょん、ぴょん、と跳ねながら俺の足元を回る毛玉。
完全に「ご主人さま見つけた!」のテンションだ。
「ちょ、待て、俺は動物使いじゃねぇんだよ。錬金術師だ。ポーション屋だ。人見知りなんだよ俺は!」
しかし毛玉は聞いていない。
ぴょん、と俺の膝に乗り、うるうるした目で見上げてくる。
「……まぁ、可愛いけどさ……」
可愛い。
くっそ可愛い。
でもこんな愛玩動物みたいな魔物連れた錬金術師なんて聞いたことない。
だが、ここはダンジョン。
“ひとりで生き残るより、たぶん二人のほうが強い”理論はある。
「……よし、一緒に行くか。名前どうする?」
毛玉はこくこく頷くように跳ねた。
「じゃあ……クリーム色だし……クリムでどうだ?」
ぴょん。
どうやら気に入ったらしい。
クリムは俺の肩にぴょんと飛び乗り、ふわふわの尻尾で俺の頬をくすぐった。
「やめろくすぐったい! くっ……可愛いけど……!」
そんなやり取りをしながら、俺たちは草原を歩き出した。
――そしてここから先の生活が、思いのほか“ほのぼの”の連続になるとは、まだ知らなかった。
風が吹く。
草原が波のように揺れる。
遠くで何かが吠えた気がするが、クリムは恐れもせず、俺の肩で丸まりながらスンスンと匂いを嗅いでいる。
「……さて、まずは拠点づくりだな」
青空の下、俺は大きく伸びをした。
魔物と暮らすなんて、冒険者人生で一度くらいはあるかもしれないけど――
まさか初心者ダンジョンでやることになるとは思わなかった。
続く




