一節:依頼の街
港町レヴァンに戻ると、空気が少し冷たくなっていた。
数日前と同じ朝の喧騒。
鐘が鳴り、値札が変わり、露店の呼び声が重なる。
だが、戦いのあとの目で見ると、どの音も少し遠く感じた。
「帰ってきたねー」
ランが伸びをしながら言う。
「ま、前よりマシな顔してるわね」リノが小さく笑う。
「うるさ。化粧ヨレてるとか言わないでね?」
「言ってない」
二人の軽口が、潮風に混ざって聞こえる。
俺はその後ろで、槍の柄を握り直した。
人の群れに紛れるのが、こんなに落ち着かないとは思わなかった。
「で、これからどうすんの?」
「まず登録所。正式に傭兵として“チーム扱い”になるために」
「へえ、そんな制度あんだ」ランが首を傾げる。
「名目だけよ。戦争の時に雇いやすくするための“管理”」リノの声は少し固かった。
「つまり、信用証明ってやつね」
「そう。……でも、信用って誰が決めるんだろうね」
彼女の言葉に、少しだけ影が落ちた。
レヴァン傭兵登録所は、石造りの建物の中にあった。
入口には王国の紋章と、魔導探知機のアーチ。
前に通った時より、警備が厳しくなっている。
青い光が順番に通る人の体を撫で、
金属音のような電子音が静かに鳴る。
「うわ、これ通るの?」ランが眉をしかめた。
「形式上は、ね」リノの声が硬くなる。
俺は小声で言った。
「心配するな。前と同じ要領でいこう」
「……わかった」
リノはローブの胸元を少し引き締め、息を整えた。
ランが先にくぐる。青い光、問題なし。
俺も続く。ピッという軽い音。
最後にリノ。
光が彼女の体を撫で、胸元に差しかかった瞬間――
音が一度だけ濁った。
「反応あり。もう一度通れ」
検問兵の声。
リノの指がわずかに震えた。
ランが一歩前に出る。
「ね、これ安物の魔石入りローブなの。ほら、ほつれてるし」
「そんな言い訳――」
「なに? じゃああーしが脱いで見せよっか? 見たいの?」
兵士の顔が一瞬で赤くなる。
「け、結構だ! 通れ!」
「はいはーい、助かるー」ランは笑顔でリノの背を押した。
通過してから、三人同時に息を吐く。
「……ギリギリだったわね」
「ね、ラン様のお色気戦術なめんなって」
「褒める気にならない」リノが小さく呟く。
「でも助かったでしょ?」
「……助かった」
その言葉に、ランは満足げに鼻を鳴らした。
受付の机には、金髪を後ろで束ねた事務官が座っていた。
目だけが鋭く、書類の山を指先でさばいている。
「名前と所属階級を」
「紅級、ラン。あと紅のリノと、灰のソウマ」
「三人で登録するのですね?」
「うん、“紅紅灰”チームで」
「……変わった組み合わせですね」
事務官の声が、ほんの少しだけ乾いていた。
用紙にサインを済ませ、印章を押す。
その間、俺は周囲の視線を感じていた。
背後の列に並ぶ傭兵たち。
その何人かが、リノの黒髪とローブをじっと見ている。
“見慣れない”とか“違う匂い”とか――そういう目。
「ねえ、ソウマ」
小声。リノが視線を落としたまま言う。
「私……浮いてる?」
「目立ってるだけだ。悪い意味じゃない」
「……そう」
その声の奥に、小さな痛みが混ざっていた。
登録証を受け取り、建物を出ると、港の風が強く吹いた。
青い空に白い帆。
街はいつも通り喧騒に満ちている。
けれど、その真ん中でリノだけが、少しだけ遠くを見ていた。
「どうした」
「……なんでもない。風、冷たいね」
「そりゃ潮風だからな」
「違うの。なんか――この街の風、少し痛い」
俺は言葉を探したが、うまく出てこなかった。
その代わりに、隣のランが笑った。
「痛いなら、あーしが温めてやんよ」
「何で?」
「そりゃ仲間だし」
「……バカね」リノが笑う。
「でしょ?」ランは胸を張った。
三人の笑い声が、港の喧騒に紛れていった。
でもその奥底に、誰も口にしない違和感が沈んでいた。
――この街は、戦場よりも複雑だ。
そして、誰かが本気で笑える場所ほど、誰かが泣いている。
俺は登録証を見下ろした。
そこには、三人の名前が並んでいた。
《傭兵団・灰紅》
まだ仮の名。けれど、それが“俺たちの場所”になる気がした。




