三節:頭目
廃砦は思っていたよりも小さかった。
けれど、その静けさは街の夜よりも重い。
石壁には黒い焦げ跡がいくつもあり、扉の前には折れた矢と血の跡。
誰かがここで死んだことを、壁が覚えている。
「誰も出てこないね」
ランが呟く。声がやけに響いた。
「いる。息がある」
リノが目を細める。
「中の空気が動いた」
俺は槍を構え、心臓の音を数える。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
扉を押すと、古びた蝶番が軋み、湿った空気が吐き出された。
砦の中は暗く、埃と古い血の匂いが混ざっている。
天井の魔導灯がちらつき、影が何度も形を変えた。
「お前らが、次の犬か」
低い声が闇の奥から響いた。
現れた男は、片腕を失い、古い鎧を革で補修していた。
髪は白く、目だけが鋭い。
生き残ることだけを目的にした、獣のような目。
「レイヴン・ガルド。元グランディア帝国騎士」
リノが低く名を呼ぶ。
「“元”だ」男は唇を歪めた。「捨てた。役立たずの仲間と一緒にな」
ランが眉をひそめる。
「部下、捨てたの? あんた最低じゃん」
「弱い奴は足手まといだ。見捨てる勇気も実力のうちだ」
言葉が石壁に反響する。冷たい音だった。
「……そういうの、嫌いじゃないけどムカつくね」
ランが大剣を担ぎ直す。
「気に入らんなら、戦場で語れ」
レイヴンの目が光る。
次の瞬間、地面を蹴る音。
ランの大剣が風を裂き、男の剣がそれを受け止めた。
金属音が砦の奥まで響く。
「速い!」
俺が構える前に、二人の刃が三度交錯していた。
ランの剣が火花を散らし、レイヴンが横に跳ぶ。
片腕とは思えない速度。
力の流し方が、熟練のそれだった。
「援護する!」
俺は槍を構え、二人の間に滑り込む。
穂先を突き出すが、レイヴンは一歩で見切った。
剣が横薙ぎに走る。
槍の柄に衝撃。手が痺れる。
「その構え……帝国式か」
「……昔、いた」
「なるほど。ならわかるだろ。凡人がいくら突いても、届かねぇ」
その一言が胸に刺さった。
反論の代わりに、もう一突き。
レイヴンはそれを刃の腹で受け流し、逆に蹴りを放った。
盾ごと弾かれる。背中が壁にぶつかる。肺が鳴った。
「ソウマ、下がって!」
リノの声。
青い閃光が砦の中を走り、空気が震えた。
雷光がレイヴンの足元をかすめる。
しかし、彼は刃を振り下ろしてその光を切り裂いた。
「その剣……魔族の力か」
「……関係ない」リノが短く返す。
「ある。半端な血は、半端な刃を生む」
その言葉に、リノの瞳がわずかに揺れた。
青い光が、剣の縁に再び灯る。
「リノ!」
俺が呼ぶと、彼女の肩がびくりと震えた。
「落ち着け。こいつの言葉は挑発だ」
リノは唇を噛み、剣を少しだけ下げた。
「……わかってる」
その声は、かろうじて人間の温度を取り戻していた。
レイヴンが鼻で笑う。
「仲間に手綱を引かれてるうちは、半人前だな」
その一言に、空気が切り替わる。
「黙れ!」
ランが叫び、大剣が横薙ぎに振り抜かれた。
金属が鳴り、火花が散る。
レイヴンの剣がランの肩を掠め、血が飛んだ。
「ラン!」
「大丈夫っ、掠っただけっ!」
息が荒い。立ち上がろうとするが、足がふらつく。
俺は一歩踏み出した。
盾を投げ捨て、両手で槍を構え直す。
レイヴンの目が、僅かに笑った。
「盾を捨てるか。覚悟は悪くない」
「覚悟なんて立派なもんじゃない。……ただ、生きたいだけだ」
走る。
土埃が舞い上がる。
体の軸がぶれる。だが構わず突き込んだ。
レイヴンが刃を構える瞬間、ランの大剣が横から割り込む。
「させるかっての!」
重い金属音。
レイヴンの重心が一瞬ずれた。
その隙間を、突く。
訓練で何百回も繰り返した動作。
手の皮が擦れて痛い。
それでも穂先はぶれず、まっすぐ伸びた。
「――っ!」
鈍い音。
槍が相手の胴を貫いた。
抵抗、そして重み。
レイヴンの体がゆっくり崩れる。
「……凡人、か」
血の泡を吐きながら、男は笑った。
そのまま膝をつき、動かなくなった。
静寂。
砦の外から、風が吹き抜けた。
汗と血が混じった匂いが、鉄の味を残す。
俺は槍を引き抜き、深く息を吐いた。
手が震えていた。
「やった……?」
ランが息を吐きながら立ち上がる。
「……ああ。終わった」
リノがそっと近づき、倒れた男を見下ろす。
「“弱い者を捨てる”って、強さじゃないわ」
ランが鼻を鳴らす。
「ほんとそれ。弱い奴がいなきゃ、強い奴も輝かないのにね」
俺は笑うしかなかった。
凡人にできるのは、笑うことくらいだ。
でも、今はその笑いが少しだけ誇らしい。
砦を出ると、風が冷たかった。
西の空が赤く染まり、光が砦の影を長く引きずっていた。
リノが小さく呟く。
「……ありがとう」
「何に?」
「止めてくれたこと。あの時も、今も」
「仕事だ」
そう答えながら、俺は空を見た。
赤の中に、青がひとすじ混ざっていた。




