二節:紅と灰
夜の酒を薄めるみたいに、朝の空気を肺いっぱいに入れて街道へ出た。
空は痛いほど青い。こういう日に限って、仕事はややこしくなる。
「なあ、本当に行くのか?」
「行くでしょ。仕事だし」ランは肩に剣を担いだまま鼻歌。
「銅貨五十のために命かけるやつ、普通いねぇって……」
「普通じゃないから傭兵やってんでしょ?」
返す言葉はない。
リノが地図を折り直し、足跡の抜ける方向を指でなぞる。
「昨日、荷馬車がやられたのはここ。影が長くなる時間は避ける。風下は匂いでばれるわ」
森の入口で、空気が薄皮一枚だけ重くなる。
小枝が擦れる音に、弓弦の鈍い唸りが混じった。砂利がパチンと跳ねる。
「……いた」ランが大剣の柄を軽く叩く。
「確認してから動け。突っ込むなよ」
「うっさい、慎重なの苦手なんだよねー」
次の瞬間、枯葉の向こうで靴底が土をえぐり、影が走った。
俺は盾と槍を上げ、半身で進む。
岩陰から三人が飛び出す。
鎧は継ぎ接ぎの革片、金具は錆び、刃は油が抜けて鈍い光を返す。
腕前は平凡でも、生きるための凶暴さは一級だ。
ランが踏み抜く。低い姿勢からの横薙ぎ。
刃の風圧だけで一人の膝が折れ、同時に足払い。
鈍い悲鳴と重い落下音。
リノは短く息を整え、刃に青い火花を纏わせる。
「雷纏」
打ち合いの瞬間に痺れが走り、相手の反応が半拍遅れる。
その半拍で、勝負の向きが決まる。
俺の正面にも一人。
喉が鳴る。手汗が柄に滲む。
突いて、引いて、間合いを切る――訓練通りに体を流す。
一突き、布と皮膚を裂く抵抗。
相手の目が見開かれ、恐怖とも悔しさともつかない色で俺を映す。
その瞬間だけ、殺す側と殺される側が同じ重さになる。
吐き気がこみ上げ、視界が狭まる。
「ソウマ、下がって!」
リノの声。蒼い閃光が地を走り、足もとの影が跳ねて止まった。
自分の呼吸が鼓膜の内側でうるさい。
数分――体感ではもっと長い――で、森は唐突に静まる。
ランが泥を払って剣を肩に担ぐ。
「ふー、上々。噛みあってきたじゃん」
「突っ込みすぎ」リノは汗を拭い、淡々と釘を刺す。
「でも勝ったし?」
「……次も勝てる保証はないわ」
初対面なのに、もう“掛け合いの位置”が決まりつつあるのが分かる。
この瞬間から、だいたいの距離感は固まっていた。
倒れた盗賊のひとりがまだ息をしている。
俺と同じ年頃。
ほんのさっきまで体温のあったものが、急速に沈んでいく。
胃の奥に冷えた石が落ちた。
「……気分悪い」
リノがちらと見る。
「初めて殺したの?」
「……かもな」
「慣れなくていい」
短い言葉は、刃物じゃなく毛布みたいに軽く乗った。
ランが肩を軽く叩く。
「ま、誰だって最初はビビるって。あーしだって、最初は泣いたし」
「嘘だろ」
「ホント。泣きながら次の日も斬ってたけど」
「結局泣いてもやるのかよ」
「やるし。生きるためだし」
無神経じゃない笑い方を、器用に選べるやつだ。
隠れ場所から出てきたのは、干し肉と穴の空いた外套、栓の抜けかけた酒樽。
“悪党の巣”というより、生活の残骸。
俺は外套を畳んで木の根元に置いた。誰も見ていない。見られたくなかった。
夕暮れ、街へ戻る。
銅貨五十枚。音は派手だが、重さは薄い。
それでも、俺たちは生きて帰った。
カウンターの向こうで店主が顎をしゃくる。
「生きて帰ったな」
「まあね。安かったけど、働いたわ」ランが肩で笑う。
「そうかい。……なら次もあるな」
「次?」リノが息を吐く。
「盗賊の頭がまだ残ってる。依頼はまだ終わってないぞ」
「またかよ」俺は笑うしかない。
店主も笑った。
「この街じゃ、そうやって生きるしかねぇんだよ」
ランが拳を突き上げる。
「よーしっ、次もやるか」
「お前ほんとバカだな」
「褒め言葉ね」
リノが肩をすくめる。
「……ま、悪くないチームね」
その一言で、胸の石が少し軽くなった。




