一節 :黎明の霜
夜明けの光は、冷たいというより痛かった。
空の青さも、砂の色も、まるで一晩で磨き抜かれたように無機質で、
昨日までの荒野とは別の世界に見えた。
風はまだ吹いている。けれど“音”がない。
砂も鳴かず、鉄塔の残骸も沈黙したまま。
風鳴りの荒野を越えた先は、まるで世界の終端みたいだった。
俺たちは、焚き火の跡を囲むように立っていた。
火はもう灰しか残していないのに、
それでも三人とも、しばらく動けなかった。
ランが最初に口を開いた。
「……ねぇ、今さらだけどさ、昨日のあれ、夢じゃないよね」
「痛みが残ってるなら現実だ」俺は肩の傷を軽く叩いた。
「じゃ、あーしも現実満喫中ってことか」
笑ってみせるけど、声に力はなかった。
リノも静かに立ち上がり、マントの裾についた霜を払う。
「夢なら、こんなに寒くないと思う」
「そういうリアルいらない……寒っ」
空気が薄い。
呼吸をするたび、肺の奥が焼けるように冷たかった。
凍る街道――そう呼ばれる所以が、もう肌でわかる。
俺は空を見上げた。
太陽は、まるで古い金貨のように色を失って、
薄雲の奥で滲んでいた。
光があるのに、影が生まれない。
この土地の“寒さ”は温度じゃなく、時間そのものに根付いている気がした。
ランが焚き火の灰を靴で崩しながら言った。
「風の音、消えたね」
「凍ってるんだ」
「え?」
「風が凍ると、音も動けなくなる。そんな気がする」
「理屈になってない理屈だね」
「……そういう場所なんだよ、ここは」
リノが一歩、北の方を見つめる。
その目の奥に、青い光がほんの一瞬、揺れた。
「この先に、神聖国の境がある。そこまで行けば、たぶん何か掴める」
「聖堂の残党か?」
「ええ。まだ“光の結晶”を追っているなら、そこに向かうはず」
沈黙。
砂の上に、雪のような霜がうっすらと積もり始めていた。
音がないのに、風の流れだけは確かにある。
凍る街道は、まるで世界そのものが息を潜めて見ているようだった。
ランが肩をすくめて笑う。
「ま、行くっきゃないっしょ。止まってたら凍っちゃうし」
「凍ったら?」
「……動かなくなる。あーし、それが一番怖いんだ」
「死ぬことより?」
「うん。止まるのって、“終わり”みたいでイヤじゃん」
その言葉に、リノが小さく息を吐いた。
「あなたって、時々すごく真面目なこと言うわよね」
「それ褒めてる?」
「さぁね」
俺は荷物を背負い直した。
風断峡を抜けるとき、サディクから預かった木箱がずしりと重い。
木の表面が薄く白く曇っている。
冷気じゃない。――中から、わずかに魔力が滲んでいる。
「それ、まだ光ってるの?」ランが覗き込む。
「ああ。たまに、脈みたいに動く」
「気持ち悪ぅ……。生き物じゃないよね?」
「どうだろうな。……少なくとも、死んではいない」
言いながら、自分でも変な言い方だと思った。
けれど、“あの箱の中身”には確かに体温のような気配がある。
まるで、見えない誰かがまだ息をしているみたいに。
リノがその視線に気づいたのか、小さく呟いた。
「……“聖堂の残り物”」
「ん?」
「その箱のこと。サディクはそう呼んでたでしょ?」
「ああ」
「ねぇ、もしかして――それ、物じゃないのかもね」
その声には、いつもより人間らしい温度があった。
俺は言葉を飲み込む。
沈黙のあと、ランが口笛を吹こうとして、途中でやめた。
「……音、出ないや」
「凍ってるからな」
「だから理屈になってないってば!」
それでも、彼女は笑っていた。
凍った世界の真ん中で笑えることが、
このチームの一番の奇跡だと思った。
歩き出すと、靴底の下で霜がパリパリと鳴った。
それが唯一、まだ生きている音。
俺たちの足音が、凍った世界に道を刻む。
風が背中を押すたびに、
まるで誰かが「まだ歩け」と囁いているようだった。
峡の向こうに続く白い大地――
その先に何があるかなんて、まだ誰も知らない。
けど、確かにこの道は続いている。
俺たち“残り物”を導くように、
白い風が、ゆっくりと前へ流れていた。




