一節:風標
レヴァンを発って三日。
潮風の名残はとうに消え、
かわりに砂と草いきれの乾いた匂いが肺の奥にこびりついていた。
湿った港の空気を恋しく思うことなんて今までなかったのに、
いざ離れてみると、あの塩気さえ“人の気配”みたいに思えてくる。
荒野の風は無機質だ。吹いては砂を巻き上げ、何も残さない。
まるで、この道を歩く者の足跡ごと風化させようとしているみたいだった。
「はい、これ。昼の分」
ランが干し肉をちぎって投げてくる。
空中で受け取ったそれは砂でざらついていて、噛むたびに歯が軋む。
「味、砂っぽいな」
「砂が主食みたいな土地だからね、この辺」リノが淡々と返す。
「やだその事実」ランが顔をしかめる。
そんなやり取りが、風の音にかき消される。
この二人の声を聞いていると、いつの間にか息が整うのを感じる。
それだけで、生きている実感が少し戻ってくる。
地平線の向こうに、倒れかけた鉄塔がいくつも突き出ていた。
かつては魔力通信塔だったらしい。
風が通るたび、折れた骨組みがうなり、低く唸るような音を上げる。
“風鳴り”――この荒野の名前の由来だ。
音はまるで、かつてここにあった文明の残響。
立ち止まると、
死んだ機械たちがまだ何かを伝えようとしているようにも思えた。
足を止めた俺たちの前に、砂に半ば埋もれた石標があった。
刻まれた文字は風に削られて薄れているが、なんとか読める。
「ケルナ交易驛、ここから半日」リノが指でなぞる。
彼女の指先が白く、細くて、
岩に刻まれた古いルーンとよく似た線を描いていた。
「で、依頼は?」ランが顎を上げる。
「商人隊の護衛。ケルナ驛から“風断峡”を越えるまで」
「峡ってさ、だいたいロクな目に合わないんだよねー」
「正しい。だからこそ仕事になる」
俺は笑いながらも、その通りだと思った。
世の中の“誰も行きたがらない場所”こそ、傭兵の飯の種だ。
行きたがる者がいる限り、俺たちの仕事はなくならない。
――それがこの稼業の皮肉な安定だ。
ふと足元に、砂に埋もれた矢筒が転がっていた。
古く、羽根の一本が違う材で継ぎ直されている。
器用貧乏な修理跡。俺と似たようなもんだなと思う。
生き延びるために、できることを繋ぎ合わせて、それでも歪なまま形を保つ。
そんな矢筒に、妙な親近感が湧いた。
思わず、指で砂を払っていた。
「マメだね、凡人くん」
「貧乏性なだけさ」
「でも便利じゃん」リノが小さく笑う。
彼女の笑顔はあっという間に風にかき消されたけれど、
その一瞬、荒野の色が少しだけ柔らかくなった気がした。
風が強くなり、鉄塔の骨鳴りが遠くで唸る。
俺たちは同時に顔を上げた。
風が、旅の進行方向を指しているように思えた。
“どこへ行くか”より、“誰と歩くか”。
凡人の俺でも、その順番だけは間違えたくない。
三人の影が砂に長く伸びる。
その先にあるのが何であれ、
いまはただ――歩く。それが、俺たちの仕事であり、生き方だ。




