また、遠くなる
まだ暖かい季節であるはずなのに、一気に空気が冷えこんだ気がした。
視線に質量があれば、わたしは今ごろ串刺しになっていることだろう。
足元から血の気が引き、冷たくしびれていくのがわかった。
「屍香蘭……? なぜ、そんなものが」
ホーソーンが疑問を口にする。
わたしは震える舌を抑えながら、努めて冷静に言った。
「わかりません。昨夜、寮の自室に戻った時に、机の上に置いてありました。すぐに寮監に報告しましたが……」
「そうなんですか、セイヴン教授?」
ホーソーンの問いかけに、セイヴンがうなずき返す。
「は、はい。女子寮監のカーマイン教授から説明を受けました。今朝、ボクが遅刻したのも、そのことが原因で」
「そうでしたか。……しかしこれは、嫌がらせで済む問題ではなくなってしまいましたねぇ」
すっかり固くなった雰囲気をほんの少し緩めて、ホーソーンがやれやれと肩をすくめる。
だが、クラスの空気は一向に晴れなかった。
「自室にあった、って……誰かがロックを外して侵入したってこと?」
「ムリだろ。魔力紋認証なのに」
「おおかた自作自演じゃねぇの? だって、〈血まみれイザベル〉だぜ……」
ひそひそ、と陰口はやまない。
ああ、またか。
なにか事件があると、わたしがやったと思われる。
こうやって罪を押しつけられるんだ。わたしの両親みたいに――。
気がつけば、すがるように胸のペンダントに触れていた。
「……っ、彼女は――!」
やめろ、ヴァレンティアス。
よけいなことを言うんじゃない。
「――静まりなさい」
一瞬、誰が言ったのかわからなかった。
それくらい別人のように思えた。
いつもニコニコと穏やかな笑みをたたえているホーソーンが、この時ばかりは厳しい表情をしていた。
「憶測で他者を糾弾し、証拠もなく結論を出すことが、魔導士のやることですか? キミたちの中には将来、警察や法曹関係、政治の道に進む者もいるでしょう。ですが、魔導士が一般人より大きな権力を持つからこそ、その査定は厳しくなることを忘れないように」
ようは、安易なことを言うと推薦はやらないぞ、という脅しだった。
たちまちクラスが葬式のような沈黙に包まれる。
「寮に侵入した者がいたという情報がたしかならば、あなた方も例外なく容疑者ということです。自分の罪をごまかすために、他者に責任を押しつけている――そう取られても仕方のない発言は慎むように」
生徒らはぎょっと息をのんだ。
「それで、セイヴン教授。検証の結果は、どうなりましたか?」
「ひぇっ、は、はいぃ……。か、カーマイン教授に、後は引き継ぐから授業に向かいなさいって言われてぇ……ボクは魔法生物学の補助があるから、お言葉に甘えちゃって、そのぅ、詳しいことはわからなくてぇ」
「そうですか。いや、けっこう。後でこのことを報告がてら、聞きにいきます」
そう言うと、ホーソーンはようやくいつもの柔和な顔つきに戻った。
そして、生徒たちに深々と頭を下げる。
「このたびは、わたしの不手際のせいで、みなさんを危険な目にあわせてしまいました。チュパカブラの危険性を見誤った、わたしのミスです。大変申し訳ありません」
大のおとなが謝罪する姿を見て、どう反応すればいいのか。
生徒の間にとまどいが広がっていく。
「この授業の扱いにつきましては、職員会議で相談したのち、改めてみなさんに通達いたします。それまで、くれぐれも生徒同士で諍いなど起こさないように、頼みましたよ。――では、解散」
ホーソーンが言うやいなや、堰を切ったように再びざわめきが広がった。
しかし、今度は「怖かった!」「びっくりしたね」など、当たり障りのない内容だった。
周囲の時間が動きだす中、わたしだけは、その場に縫いとめられたように動けないでいた。
「――大丈夫か?」
そんなわたしに、ヴァレンティアスだけは声をかけてきた。
けれど、うまく答えられない。喉の奥が張りついているかのようだ。
彼の瞳に映るわたしは、今どんな顔をしているだろう……?
「……わたしは……」
ヴァレンティアスは、わかりやすく気づかっている顔をした。
「あ、あのさ……。あんなの、気にすることないって、イザベル嬢……」
――ああ、そうか。
そうだよな。
「みんな、あんなことがあって混乱してて、それで……」
「――もう、いい」
ぐいっと彼の胸を押しのける。
わたしよりずっとしっかりしているはずの身体は、簡単に離れていった。
「い、イザベル嬢……?」
「もういい。ムリに気をつかっていただかなくて、けっこうだ」
「ムリにだなんて……! 俺は、その」
「これ以上、わたしに関わらないでくれ」
くるりとわたしは踵をかえした。金縛りが解けたかのようだった。
「ま、待ってくれ。違うんだ、そうじゃなくて……っ!」
「おい、もう関わるんじゃねぇ! おまえまで変な目で見られるぞ!」
「邪魔しないでくれ、ジャック。俺は、彼女に――」
それ以上聞きたくなくて、わたしは駆けだした。
生徒たちはわたしを見るなり、ぎょっとして道を開ける。
まるで神話に出てきた、海を割る神のようだな。
思って、自嘲する。
これほどの嫌われ者が神のようだなど、バカげた妄想だ。
人ごみを抜け、誰もいない廊下を歩いていると、向こうから深紫の派手なドレスを着た女性が歩いてきた。
――ヴァイオレット・カーマイン教授だ。
濃いワインレッドの髪を夜会巻きにしていて、あいかわらず隙のない女性である。
「――レディ・イザベル。校長先生がお呼びです。ついていらっしゃい」
そう笑顔でうながされる。
彼女の美しい歩き姿についていきながら、わたしは考えていた。
――また、疑われるんじゃないか。
カーマイン教授の甘い香水の匂いが、わたしを不安にさせた。
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