惨劇の教室
それは一瞬の出来事だった。
「――アレン!」
異変に気がついたわたしが叫ぶのと、チュパカブラがヴァレンティアスに襲いかかったのは、ほぼ同時だった。
「うわっ!」
しゃがみこんでいたヴァレンティアスは、そのまま尻もちをついた。
監督役のセイヴンがすぐさま杖を取りだそうとしたが、四つ脚の生き物の動きは、それ以上に速かった。
バネのように素早く飛びかかると、彼の顎下をしたたかに打ちすえる。
脳震盪を起こしたか、セイヴンはそのまま倒れて動かなくなった。
ぐうるり。
チュパカブラがこちらを振り返る。
鮮血の瞳に、わたしが映りこんでいた。
ぐっとチュパカブラが体勢を低くする。
「――シャアァッ!」
脚の筋肉が盛りあがったかと思うと、次の瞬間、弾丸のようにこちらへ飛んできた。
――あ、やっぱり舌はストロー状なんだな。
生命の危機を前にして、ふとどうでもいいことを思った。
チュパカブラの口の間から見える、ぶっといヒルのような舌には、細かい歯がびっしりと生えている。
――あれで刺されたら、痛いだろうなぁ。
あれだけ素早かったチュパカブラの動きが、なぜか遅く感じる。
周りの風景がスローモーションのようだ。
走馬灯……いや、『タキサイキア現象』って言うんだっけ?
セラ、ごめん。あなたの言うとおりだった。魔法学校なんかにこなければ、こんなことにならなかったのかもしれない。
わたしはまだ、両親の仇すらとれていないのに――。
「――〈風よ〉!」
横なぎの風が、目の前の吸血動物を吹き飛ばした。
ヴァレンティアスだ。体勢を崩した状態で、それでもなお呪文を唱えてくれたらしい。
――わたしはバカか! なにを弱気になっている!?
冷や水を浴びせられたかのように、一気に我にかえった。
転げ落ちたチュパカブラは、なおもこちらへ向かってくる。
「っ、〈盾よ〉!」
わたしはとっさに杖をかまえ、呪文を唱えた。
不可視の盾が出現し、飛びこんできたチュパカブラを吹き飛ばす。
だが、それも見事に着地され、すぐさま二撃、三撃がくる。
ピシリ、と盾が嫌な音をたてた。
……まずい。わたしの杖に埋めこまれているのは〈アレキサンドライト〉。
この宝石は昼と夜で色味が違うという珍しい石だ。
しかしこの特徴、魔導具としては、色味によって得意魔法が変わってくるという性質がある。
今のアレキサンドライトは緑色。
自然をあやつる魔法とは親和性が高いが、結界系である〈盾の呪文〉とは相性が悪い。
――このままでは魔法がやぶられる。
わたしはとっさに、足元に転がっていた餌を明後日の方向に投げた。
反応は劇的で、チュパカブラは矢のように追っていく。
……あ、バロメッツの肉にも反応するんだ。いや、あの餌には血吸い花の粉末を練りこんでいるから、そっちかも?
思わぬところで実証されてしまったな……。
「――〈静止せよ〉!」
軽やかに餌を追いかけていたチュパカブラが、空中で停止した。
ホーソーンが杖をかまえながら駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか、みなさん?!」
「え、ええ。助かりま――」
わたしの言葉をさえぎるように、背後から絹を裂くような悲鳴があがった。
振り返ると、別のグループのところにいたチュパカブラが二匹、猛スピードでこちらに向かってきている。
おいおい、勘弁してくれ!
「〈引き裂け〉!」
キャイン、と悲鳴をあげて、片方のチュパカブラが血を吹き出した。
「俺のダチに手を出すとは、ふてぇヤローだ!」
呪文の主であるクロフォードが、鼻の下をこすりながら言う。
ガシャン、となにかが割れる音がした。
どうやらエヴェレットが、もう一匹のチュパカブラの鼻先に魔法薬の小瓶をぶつけたらしい。
キャインキャイン、と苦しそうに悶えている。
「アレン、お怪我はありませんか!?」
他の者には見向きもしないで、エヴェレットはヴァレンティアスに駆け寄った。
「あ、ああ。ありがとう、二人とも」
「よかった、アレンがぶじで……」
手を取って、エヴェレットがふたりの世界を作ろうとするが、
「みなさん、下がって! まだ気を抜かない!」
ホーソーンが指示を飛ばす。
血まみれのチュパカブラがよろよろと起き上がり、再びうなり声をあげている。
クロフォードがとっさに杖をかまえたのを、ホーソーンが静止した。
「だだだダメです! あの子たちは外国から譲っていただいた貴重な――」
「んなこと言ってる場合かよ!?」
「それを抜きにしても、中途半端に危害を加えると、かえって興奮させます!」
やいやい言い合っているのをよそに、わたしはハッとした。
エヴェレットが魔法薬を投げつけたほうのチュパカブラだけおとなしくなっている。
クロフォードが傷つけた個体のほうが、明らかにダメージが大きいのに……。
そこでピンときたわたしは、まだ持っていた香草と解毒草の粉末を投げつけた。
「――先生、魔封じを!」
「っ、〈魔封じ〉!」
上級魔法『魔封じ』。
ホーソーン教授ならできると思ったが、予想が当たってよかった。
まあ、粉末の中には『解毒草』もあったし、大丈夫だとは思ったが。あれには魔力を分解する効果がある。
香草の粉末も、チュパカブラを抑制するのにひと役買っただろう。
わたしたちペアが選んだのはローズマリー、セージ、スペアミント。香りが強いものばかりだから、しばらくは鼻が効かないはずだ。
吸血動物は匂いに反応するものが多いからな。
とはいえ、完全におとなしくなったわけではない。
みなでチュパカブラをケージに移動させようとしたが、暴れて手がつけられなかった。
「……やむを得ないか……」
痛ましい表情でホーソーンが杖をかまえる。
と、それを手で押しとどめる者がいた。
セイヴンだ。失神から回復したらしい彼は、
「ルル……ルルルル……」
と、歌うように話しかけた。
とたんにチュパカブラたちは従順になって、自ら檻の中へ入っていく。
……すごい。これが動物言語学の力か。
ふだんはバカにされがちな科目だが、こうして目の当たりにすると、その素晴しさを実感する。
感動したわたしが近づこうとした時、セイヴンがハッとしたように振り返った。
「きてはいけない!」
「えっ?」
「き、キミのローブから、変な臭いがする。……これは、『屍香蘭』? 間違いない。チュパカブラが暴走したのは、その臭いが原因だ」
クラス中にざわめきが広がる。
「え、じゃあ……これって、あの子のせい?」
誰がつぶやいたか。小声のはずのそれは、いやにハッキリとわたしの耳に残った。
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