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臭い花にご用心

 ねばつく空気が肺を満たして、胃の中がひっくり返されるようだった。

 臓腑で毒蛇がぐるぐるとぐろを巻いているかのように気持ちが悪い。

 わたしは急いで窓を開けて、部屋を換気した。


 まだ臭う。強烈な臭いは、ちょっとやそっとでは薄れてくれそうになかった。

 このままここにいては、皮膚の奥まで臭いが染みついて落ちなくなりそうだ。

 いっそ鼻や肺を取りだして、丸洗いしたいと思うくらいには耐えられなかった。


「おえぇ……なんだこれは」


 臭気の発生源はすぐにわかった。

 机の上に置いてある奇妙な花だ。


 なんだこれは。わたしに花を飾る趣味はないぞ。


 毛むくじゃらの花弁は、毒々しい赤。まるでヒトの舌のようにぽってりと肉厚な形をしている。

 だらりと垂れ下がる長い葉が、まるで悪魔の爪のようだ。


 まだ薬草学の授業で習ったことはないが、植物図鑑で見たことがある。これは――〈屍香蘭(しこうらん)〉だ。


屍香蘭(しこうらん)〉。別名〈死肉花(しにくばな)〉とも呼ばれる、生き物の屍肉や生き血の臭いがする蘭の花だ。

 この強烈な腐臭で虫や血肉を好む魔法生物をおびき寄せて、花粉や種を運んでもらうらしいが――およそ観賞植物に向く花ではあるまい。


 おおかた、わたしを目の敵にしたクラスメイトが嫌がらせで置いたのだろう。

 一体どうやってセキュリティを突破してきたのやら。その労力を他に費やせばいいものを。


 とはいえ、いつまでもここに置いておくわけにもいくまい。

 このまま悪臭にさらされていては、部屋の物という物に臭いが染みついて、いくら洗っても取れなくなってしまいそうだった。


 わたしは〈屍香蘭(しこうらん)〉を抱えて廊下に出た。

 燃やしてしまえば楽なのだろうけれど、いくら悪臭の元凶とはいえ、生命をいたずらに殺してしまいたくはない。花に罪はないからな。


 どうしたものかと廊下をウロウロとさまよっていると、向こうの角から掃除用魔導具を持って歩いてきた〈ハルじい〉に出くわした。

 彼は片足に古傷があるらしく、いつも足を引きずるような独特な歩き方をしているから、すぐにわかる。


「おや、イザベル嬢。その花はどうしたことかな?」


〈ハルじい〉こと用務員のハル・フリックは、この学院には珍しい〈魔力なし〉だ。

 だが、その温和な人がらと誠実な仕事ぶりで、選民思想の強い生徒たちからも慕われている。


 ちなみに、〈ハルじい〉なんて呼ばれているが、おそらくまだ初老くらいだ。

 だが、その穏やかで老成した雰囲気から、そんなあだ名がついている。


 疑い深いと自覚のあるわたしだが、ハルじいのことは比較的信用していた。


「部屋にこれがあって……」

「おやおや。心当たりはないのかい?」

「はい。おそらく、誰かの嫌がらせかと」


 ハルじいはふうむ、と少し考えこむと、穏やかな笑みを向けた。


「では、寮監のカーマイン教授に相談するよ。貸してごらん」


 そういって有無を言わせず〈屍香蘭(しこうらん)〉の鉢を受け取ると、


「ではな、イザベル嬢。ゆっくりおやすみ」


 と、さっさと踵を返していってしまった。


 正直、歩きづらそうにしているハルじいを見ると、頼みごとをするのが申し訳ないんだが。

 とはいえ、そうやって気を使わせるのを嫌がるからこそ、やや強引に話を進めたのかもな。


 まあ、ありがたいと言えばありがたい。あのまま持っていたところでどうしようもないし。

 せいせいした気分で自室のドアを開けたわたしであったが、すぐに頭を抱えるはめになった。


 ……臭い。

 臭気の発生源がなくなったにも関わらず、こびりついた臭いまでは消えてくれないらしい。

 こんな悪臭の中でどう休めばいいというんだ。眠っているうちに窒息してしまう。


 仕方なくわたしは杖を取りだすと、知っている限りの清浄呪文を片っぱしから唱えることにした。



 ◇◇◇



 翌日。

 あの後も空気と格闘して、どうにか耐えがたいほどの悪臭を「やや臭う」くらいに変えてから、ようやく就寝した。

 おかげで目の下にうっすらとクマができるほど寝不足である。

 まさか上級清浄魔法でも効果が薄いとは思わなかった。まあ、単にわたしの習熟度が足りなかったのかもしれないが。

 後で生活魔術のカーマイン教授に相談するとしよう。


 さて、本日の一限目は魔法生物学である。

 この科目は基本的に課外授業なので、学院が所持する飼育場でおこなう。ようするにフィールドワークだ。


 ああ、朝日が目に痛い……。


 寝不足の目をこすりながら、あくびを噛みころす。

 嫌がらせをしたヤツめ、覚えてろよ。ハルじいが寮監に通報してくれたから、今ごろは魔力の痕跡を調査してくれているはずだ。ザマーミロ。


「はーい、みなさん。全員集まりましたねぇ」


 魔法生物学のユアン・ホーソーン教授が、ゆったりした動きでやってきた。

 レンズが三つもついたふしぎな形のメガネが、相変わらずズレかかっている。

 寝ぐせでぴょんぴょん跳ねた髪を、彼の真っ黒に日焼けした手がかき回していた。


 あいかわらずゆるい雰囲気の教師だ。


「前回の予告を覚えていますか~? 今日はどんな魔法生物のお勉強をするか、わかる人~」


 はーい、と手を挙げるホーソーン教授につられて、何人かの生徒が挙手した。


「はい、ではオルロックさん」

「あっ、は、はい」


 隅のほうで遠慮がちに挙手していた女生徒が指名された。

 おそらく当てられないよう控えめに手をあげていたのだろうに、意外と意地が悪いなホーソーン。


「その、……チュパカブラです」

「正解! よく覚えていましたね~。では、チュパカブラの生態について、サントレアさん」


 おっと、わたしか。

 集中していないのがバレたかな?


「生き物の血を吸うことで有名です。主にヤギなどの家畜が対象ですが、時には人間も被害に遭います。四足歩行の生物で、外見は犬やコヨーテに似ています」

「素晴らしい! その通りですよぉ。では、そんなチュパカブラと、実際に触れ合ってみましょう。――ではみなさん、まずはペアを作ってください」


 げっ、最悪だ。

 こういう時、わたしは憂うつな気分になる。いつもあぶれて気まずい空気になるからだ。

 好きこのんでわたしと組みたがるやつなんていやしないのに、なぜペアにならねばならないのか。

 最初からひとり残ることはわかっているのだから、いっそ教授のほうからペア相手を決めてくれればいいのに……。


 案の定、クラスメイトたちは仲のいい者同士でさっさと組んでしまい、わたしはひとりあぶれることになった。


「おやぁ、サントレアさんが余ってますねぇ」


 ホーソーンがたった今気づきましたとばかりに言う。

 わたしがぼっちなのは自覚しているから、せめて口に出して言わないでくれ。よけいにみじめな気分になるじゃないか。


 ああ、クラスメイトがくすくすと笑う声がうっとうしい。


「じゃあ、オルロックさん。サントレアさんと組んでくださいねぇ」

「は、はい……」


 カミラ・オルロックが指名される。

 彼女はたしか、伯爵家の令嬢だったか?

 いかにも奥手そうな感じだし、声をかける勇気が出なかったんだろうな。可哀想に。


 おずおずと近づいてきたカミラ嬢は、わたしの顔を見るなり「ひ……っ」と小さく悲鳴をあげた。


「どうしました、オルロックさん?」

「わ、わたし……むりです! ごめんなさい!」


 そう言って、カミラ嬢は逃げだしてしまった。


 ……おいおい、わたしがペア相手であることは、指名された時点でわかっていただろうが。そんな化け物を見たような反応をするな。


「あーあ。カミラ嬢、かわいそうに」

「そりゃそうよね。相手はあの〈血まみれイザベル〉だもの。わたしだって嫌よ」


 ひそひそ、ひそひそ。

 ささやかれる声がうっとうしい。

 違う、わたしは血まみれなんかじゃない。


 指が白くなるほど、力いっぱいこぶしを握りしめる。

 頭の芯がじぃんとしびれる気がした。


「――なら、俺と代わってくれ」


 ざわめきをかき消すような大声が響きわたった。


 アレン・ヴァレンティアスの声だった。


「えっ? ちょっとアレン……」

「悪い、エミリー。カミラ嬢と組んでくれるか?」

「で、ですが……」


 引きとめるエヴェレットの声を振りほどくようにして、ヴァレンティアスがこちらにやってくる。

 サンイエローの髪が、今日は一段とまぶしかった。


「…………いいのか? エヴェレットはキミと組みたがっていたんだろう」

「エミリーなら、誰が相手でもうまくやれるさ」


 こいつ、気がついていないのか?

 そのエヴェレットが先ほどから、ものすごい目で睨んできているのだが……。


「俺が、キミと組みたいんだ。……ダメかな?」

「……いや」


 いつもなら、「好きにしろ」だとか、「誰が相手でも気にしない」だとか、いくらでも憎まれ口を叩いているところだ。

 だが、今回ばかりは、そんな気になれなかった。


「――助かったよ」


 今のわたしにできる、精いっぱいの言葉だった。

 ヴァレンティアスは少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。


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